第6話 その度にきっと足がすくむ

スーツを着て、乗り慣れない東京の地下鉄に揺られていた。



株式会社SSS。

都内に本社を置く大手SIer。

この会社に入社する者は一部の営業を除けば概ねシステムエンジニア、SEになる訳だ。

SEに過酷なイメージをもつ人も多いが、SIerのSEは実際にコードを書くことはあまりしない。

要件定義と指示出しが主な仕事だ。

そのくせ単価は高い。"付加価値"が味方をするのだ。


全国の従業員数は1万人超。

社員寮、社宅、社員食堂あり。

その他福利厚生も充実しているし、賞与は1年目の冬から満額。

40代で年収1000万円に達する社員も多いらしい。

"じょばない"回答者の平均残業時間は月に40時間。

ホワイト企業と呼ぶには残業が少し多いかも知れないが、待遇を見れば立派な大企業と言っていい。

社会的には、3社の中で最も"正解"に近い選択肢だ。

大手故に金融や行政相手の仕事も多く、スケールが大きい。

同期に自慢しても良い会社だろう。僕はしなかったが。


さて、大学の放送研究会の先輩から聞いたところによると、残業時間が月に60時間を超えると大抵の企業の人事部は当該社員及びその上司に目を付けるそうだ。"危険ライン"だからだ。

月の営業日が20日だとして、毎日3時間残業する計算だ。

それに耐える人もいるが、60という数字は大台だ。

このあたりから、鬱病などを発症して勤務不可能になる人が増える。

対してSSSの残業時間はどうやら40時間。


もちろん平均値なのでばらつきはあるし、配属先でババを引けば多忙になる可能性もあるが、40時間といえば人間らしいワークライフバランスをまだ維持できるラインだろう。


そんな"じょばない"の情報では解らない"空気"を確かめるべく、僕はその大企業様の内定者懇親会に参加した。

僕が知らない間に受けていた面接では僕は試される立場だったが、今回は品定めする側だ。


懇親会は大企業らしく都内ホテルの宴会場で行われた。

僕たち内定者を6人グループに分け、グループごとにテーブルに座らせる。

色々な部署の社員が各テーブルを回って自社の紹介をしたり内定者からの質問に答えたりする、という次第だった。

社員との質疑応答の後は内定者同士で親睦を深める時間も設けられる。




結論から言うと、魅力的だったが即決もできない。



前述の通り生活を考えればこの会社こそが"正解"の選択肢だ。

しかもSIerとはITゼネコンの上流工程。少ない労力で価値を生む。

それに社員の8割は東京勤務だ。都会に住める。


……とまあ魅力もたくさんなのだが、懇親会でつまらない話を聞いてしまった。





30代半ばだろうか。何人目かに僕たちのテーブルについた社員の言葉だ。

僕たちのグループの誰かが尋ねた。

「仕事のモチベーションって何ですか」

彼の答えは

「家族の存在ですかねえ」


家族に良い暮らしをさせたいがために面倒な仕事も頑張るし、そこそこに出世を目指す。


嫌いな上司にゴマをするし、飲み会やゴルフにも行く。

出世に響かないようオフィスではいつでも猫をかぶり、自分の出世のために同僚を蹴落とす人間とは距離を置く。

権謀術数の香りがする場所に深入りはしない。


大企業で居心地の良いポジションを得るためには世渡りのスキルが必要なのだ。


さらに、会社に"切られた"場合の再就職のために忙しい中資格をとる。

そうでなくとも勉強の毎日だ。


そう話す彼は、この前3人目の子供が生まれたらしい。



また別の内定者が問うた。

「仕事が楽しいと思うのはどんな瞬間ですか」

「それを考えません」

即答だった。


「まず、仕事ってめんどくさいですよ」


どんなに楽しいことでも金が絡むと重圧に変わるというのが彼の教えだった。

生活や出世のための仕事。蜘蛛の巣のように張り巡らされた人間関係。

楽しいかどうかなど考えてもいないという。


働くこととは、"べからず"とタスクの連続なのだ。


それに、僕は耐えられるのか。





「難しい顔してる」


僕の隣で吊革を掴む、リクルートスーツに身を包んだ長身の女の子が僕を見ていた。


身長170cmはあろうかというその内定者、髙橋美佳と初めて言葉を交わしたのは社員が去った後、内定者同士の談話の時間が設けられた時だった。

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