第5話 ぼくらの向かうべき場所へ

U2を聴きながら吸うシーシャは、美味い。


もちろん、ライブハウスで目を瞑って聴くGRAPEVINEも格別だった。

この状況でライブなんて、と思ったがいざ開演したらそんな気持ちは消えた。

記憶がなくても音楽の感動は奪われない。


僕が住む関西は東京ほどではないにしろ娯楽が充実している。

好きなバンドがライブツアーをやれば大阪はほぼ外れなく日程に組み込まれるし、野球場もあるし、何よりシーシャ屋が多い。

僕の生まれ故郷に関してはまず水煙草なんてものを知ってる人がどれだけいるのか疑問だ。

僕は親元を離れた関西での暮らしが気に入っていた。



生まれ故郷と言えば、僕は郷土のプロ野球チームを熱狂的に応援していた。

記憶を失うまでは。

先日テレビで観た野球中継を面白く感じなかった決定的な理由が解ったのだ。


記憶を失って観るプロ野球は、つまらない。


12話からなるドラマの序盤の4話を見逃して5話から観始めても訳が解らないのと同じだ。

プロ野球は、キャンプやオープン戦から始まり日本シリーズまで続く数か月のドラマだ。

チームの戦績や状態が好調な時も苦しい時もある。主力選手が怪我でチームを離れることもある。

苦難を乗り越えて波に乗ったチームが優勝する。

1試合たりとも見逃していい試合などないのだ。

苦しかった時期を知っている。選手や首脳陣の足跡や想いを知っている。

だから感動するのだ。

そのドラマの序盤を、僕は就職活動をしながらもチェックしていたはずだ。

その記憶を一度に失った。


ドラマの参加資格を奪われたようなものだ。

もう、野球がどうでもよくなっていた。

だから今音楽を聴きながらシーシャを吸っている。



さて、今日大学で出会った学友とのやりとりを思い出す。


僕、久原大輔は就職活動の末に3社から内定を獲得していた。

しかしそこで健忘により記憶喪失になり、就職活動中の記憶を失った。

3社に対して抱いていた印象も思い出せないため、3社のうちどの会社に入社すべきかが解らない。

つまり、内定を手にした状況から就職活動をやり直すことになる。


世の中には内定承諾期限というものがあり、企業から内定を受けた学生は早くに入社の意思を示さなければ企業から悪い印象をもたれ、最悪の場合は内定取り消しもあり得る。

この期限は企業により長短があるが、一般的には1ヶ月程度と言われている。

1ヶ月の間に、3社について深く知り、自分の心の声にも耳を傾け、就職先を決めなければいけない。

しかし、直近半年ほどの記憶がない。


就職活動の手がかりを得るために、僕は放送研究会の部室に向かった。

僕はこの研究会に1回生の頃から籍を置いている。

部室には大抵部員が何人かたむろしているので、ここ半年間の僕の情報が何か解ると踏んだのだ。


部室へは迷わず向かった。

最近の記憶はなくしたが、それ以前に得た知識は失っていない。

なぜ放送研究会に入会したのかは忘れたが。


にしても、自分が記憶喪失者だという事を僕はようやく受け入れつつあるのに、ばっちり覚えている部分もたくさんある。

それが不思議だった。



「久原じゃん」

部室に入った僕に真っ先に気付いて声をかけたのは影山ひかりだった。

彼女は僕と同じく広島生まれ、それも広島市内の出身だった。

僕は実家から近い公立高校を卒業したが、影山は市の中心部にある進学校の出で、僕が記憶を失う前にコンサルティングファームへの入社を決めて、インターン中だと思う。

僕はまだ自分の就職先について何も知らないのに、だ。忌々しい。

僕と同じ球団を贔屓している事と、大学生なのに髪を染めず黒髪を貫き通している事、その2点だけは好きになってやっても良いが、広島に生まれた人間は1割だけがあの球団を嫌いになり残り9割は熱烈なファンになるので特に感動的な事でもない。

髪を染めないのも美意識ゆえではなく単に就職先が厳しいからだろう。


「え、何で包帯巻いとん」

そう、僕は頭を打って以降まだ包帯がとれていない。

その事を指摘してきた関西弁の男は鹿島壮平。

大学から近い兵庫出身で実家から大学に通う。

ぽっちゃりした体形とくせ毛が特徴だ。

僕に逆求人型の就職サイト"BizBox"を紹介した人物でもある。

彼もまた就職活動を終えたのだろうか、茶髪にしている。

元からベンチャー志向が強かったし、就職先がヘアスタイルにうるさくないのだろうか。


「転んで打ったんじゃ」

その結果記憶をなくしたなんて言えば説明が面倒になるのでやめておいた。


「痛むか?」

そう気遣うのは髙山仁。

鹿島ほどではないがくせ毛で、身長178cmの長身細身で塩顔の男だ。

こいつはあまり自分語りをしないので就職先については知らないが、恐らく就職活動は上手いことやって希望のところから内定を得ているだろう。

そう思わせるくらい、クレバーな男だ。

良い人間だが、男が憧れるものを大抵持ち合わせているし京都の都会生まれであるので、僕にとっては少し近寄り難かった。


とまあ、部室で出会った3人の同期のことはしっかり覚えていた。

最近どんな会話をしたかは知らないが。


「鹿島ぁ、BizBoxで内定1個出たわ」

「その話この前聞いたで」

「出た。鹿島のネズミ講じゃ」

「だーれがネズミ講やねん」


ほらこの通り。


「ここで駄弁りよるんやったら皆就活終わったんじゃの」

「自分だって終わっとってじゃろ」

「終わった言うても……」

内定を承諾して、余った内定を辞退するまでが就職活動だ。


「久原まだ悩んどうな」

鹿島が言った。

「まだ3つから絞ってへんのか」

髙山も続く。


「ん-、まあな」

僕は曖昧に返事をした。


「結局内定貰ったんどことどことどこ?」

影山が訪ねるも、

「言うとらんかったっけ」

僕は敢えて断定しない返事をした。


「てかBizBoxで出た内定もどこか聞いてへんし」

鹿島が言う。



ここまでの彼らとの会話から解ったことは、

彼らに対して僕は内定を3つ得て、どこに入社するか決めかねている事までは伝えていた。

しかし、最終的にどこに入社するのかは告げていなかった。

放送研究会の同期はこの3人のみ。

僕達は3年の秋に研究会を引退してOBの扱いなので就職活動中は後輩とあまり会わない。

僕は他にサークルらしいサークルには所属していない。

塾講師のアルバイトも、スマートフォンに残されたメッセージのやりとりを見るに辞めてはいないが近頃出勤していない。

担当していた小学生の中学受験が落ち着いたタイミングで、就職活動が本格化するのに合わせて休業に入ったと思われる。

社員やバイト仲間とはしばらく会っていないはずだ。

つまり、影山、鹿島、髙山の3人が知らない事は他の誰も知らない可能性が高い。

部室にこれ以上の手がかりはない。


……恐らくそうだろう。


「用済みじゃ」

僕は小さくこぼして、3人に背を向けて部室のドアに手をかける。


「なんて?」

影山が訪ねるが適当に返事をしておいた。



「流石俺って感じじゃ」


シーシャの管を口から外しひとりごちた。

都会育ちで就職活動も順調に終えた鹿島と髙山。

同郷だがしっかり者で勝ち気で可愛げのない影山。

田舎育ちで、大阪に出てきた途端に都会に染まり、音楽を聴きながら水煙草などふかしている僕。

都会を満喫し、都会の人になり切ろうとしている僕。

野球ファンであることは影山をはじめ同期には明かしていたが、聴く音楽のジャンルや日頃シーシャ屋でドープになっていることを彼らは知らない。

今日(僕の感覚としては)久々に彼らに会って思い出したが、


僕は彼らに心を開いていなかったのだ。


内定を獲得した事は伝えたくせに社名までは教えなかった。

それが象徴している。

認めたくないが、劣等感がある。

髙山は未確認だがどうせ大手から内定を貰っただろう。

影山と鹿島は待遇や安定よりも自分の夢を優先して早くから自分の進む道を定めていて、自分の就職先に誇りをもっている。


僕は、そんな彼らに、自分の身の程を晒すことを良しとしなかったのだ。



とにかく、放送研究会の同期と話していても僕の就職先は解りそうにない。

記憶をなくす前の自分がどの会社を選んでいたのか、解らない。

では、やはり今から選び直すしかない。

シーシャを吸いながら未来を選べ。


パソコンに残るエントリーシートには、建前だとしても僕が3社に対して抱いた印象や志望理由が書いてある。

各社の評判についてウェブで調べるのも良いだろう。

僕のスマートフォンのウェブブラウザには、"じょばない"というサイトがブックマークされていた。


数多くの人が、自分が退職した会社の入社理由、残業時間、入社してから気付いた会社の欠点、退職を決めた理由などを投稿するサイトだ。

ある程度の規模の会社であれば10件以上の口コミが集まっている。

それらを参考にするのも良いだろう。退職者のリアルな声には価値がある。


しかし、人によってものの見え方は違うし、同じ会社でも部署によって空気や環境は異なるだろう。

"じょばない"だけを参考にして就職先を決めるのは少し不安だ。


そこに、スマートフォンの画面上から通知が表示された。

株式会社SSSからのメールで、内定者懇親会を開くという。

SSSの本社がある東京に内定者が集められ、人事だけでなく現場の社員と交流できるほか、社員抜きで他の内定者達と親睦を深める時間も設けられるらしかった。


「これじゃ」



イヤホンから流れていたU2の曲がサビに突入した。

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