第3話 理解も納得も

「具合が悪くなったり、何か困った事があったらすぐこちらを受診してください」


包帯を巻いた頭で、僕は自宅に帰ることになった。


医者は僕に病院のホームページか何かを印刷したらしきA4サイズの紙を渡した。

それを鞄に入れ、病院を後にした。鞄には見覚えがあった。

大学に入学した2年半前(医者の話を信じるなら3年前だが)、大学生らしく洒落た鞄が欲しいと思って買ったトートバッグだ。


スマートフォンのロック画面には間違った日付が表示されている。

頭を打ったのはこいつの方じゃないのか。

僕は自分の名前も住所も覚えているし学年だって3回生で間違いない。

知らない病院に担ぎ込まれてもスマートフォンで自宅への帰り方だってすぐ調べられる。


「駅あっちか」


季節は初冬のはずなのに気候は穏やかだったし、着の身着のままの僕は何故か薄着だった。


自宅には難なく帰ることができたが、最後にいつ帰宅したのかが思い出せない。


部屋に入った僕が最初に口にした言葉は「何じゃこれ」だった。

玄関そばの壁に野球選手の写真が載ったカレンダーがかかっている。

買った記憶のないカレンダーが部屋にある。

カレンダーに写っている選手や球団のことは知っている。

広島に本拠地を置くプロ野球チームだ。子供の頃から応援している。

しかしこのカレンダーのことは知らない。

月めくりで、スマートフォン同様こいつも間違った月が表面にきている。


「母さんか?」


広島に暮らす両親が、よく球団のグッズをくれる。

仕送りと一緒に送ってくれることもあった。

やはり本場に住んでいると地元球団のグッズがよく手に入る。

このカレンダーも、何かの時に両親から貰ったものだろうか。しかしその記憶がない。


カレンダーが気に食わないが僕は部屋の奥に進む。

学生の一人暮らしではよくある1Kの部屋だ。

部屋の奥に窓とベランダ。右側の壁に沿ってベッド。左側にテレビ台とテレビ。

部屋の中央には小さなテーブル。パソコンが置いてあった。


ここで僕は鞄をひっくり返し、中身を床に出す。

病院で貰った紙と、財布と、イヤホンと、地元球団のグッズの赤いファイル。

ファイルには紙が何枚か挟まっていた。


「卒業見込み証明書……?」


その紙は要するに僕が今年度内に大学を卒業できる見込みだと示すものだった。

学生が申請し、大学が発行するもので、学生は就職先に提出する。

これは普通4回生が申請するものではないのか。


もう1枚の紙を見ると、文書作成ソフトでベタ打ちした手紙のように見える。

何故だか縦書きだった。読むと、



「誠に勝手ながら内定を辞退させていただきたくご連絡いたしました。


このような結果となりましたこと、心よりお詫び申し上げます。

また、会社説明会から選考まで貴重なお時間を頂いただけでなく、担当の〇〇様には大変お世話になりましたことを心より感謝いたします。


末筆ではございますが、貴社ますますのご発展をお祈り申し上げます。 敬具」



文末には僕の名前が書かれていた。


これは内定辞退の手紙ではないか。


学生が企業から受けた内定を辞退し、入社する意思がないことを伝えるものだ。

企業側も合格を出した学生全員が内定を承諾して入社するとは思っていないが、礼儀として内定辞退の際は必ず送るべきだとされている。


その紙の余白には、赤いボールペンで何やら書き込まれている。僕の字ではない。


これを見るに、僕は貰った記憶のない内定を辞退するために手紙を出そうとしていたのか。

赤い字は添削の跡だろうか。

書きかけの手紙の文面を、大学のキャリアセンターかどこかで添削してもらった?


テーブルの上を見ると、閉じたパソコンの上に何やら封筒が置いてある。

封筒の表面には「鯉城電子株式会社」とある。僕の出身県の県庁所在地から送られている。鯉城(りじょう)とは広島城の愛称だ。

封筒の中身を見ると、何と内定通知書が出てきた。

ずっと欲しがっていたはずの内定を、既に僕は持っている。


ここでようやく、僕は医者の言う事を信じる気になってきた。

僕は大学3回生だったが、知らないうちに就職活動を始め、年度が変わって4回生になり、地元企業から内定を貰い、内定辞退の手紙を用意していた。

その手紙の文面を添削してもらうべく大学のキャリアセンターを訪れ、その帰りに転倒して頭を打ち、就職活動中の記憶を失った?


ここでパソコンを開く。手がかりがあるはずだ。

起動する時にパスワードを要求されたが、最初に入力した文字列でロックを解除できた。

僕の好きなロックバンドの名前が英数字8文字であったためそのままパスワードに使っている。

確か、大学2回生の頃に好きになったバンドで、パスワードもその頃に設定した。

僕が記憶を失っている期間内にPCのパスワードを変更していたらと思うとぞっとする。


デスクトップを見ると、「就活」と名付けられたフォルダがある。

その就活フォルダは、「終了」と「進行中」に分けられていた。

取り敢えず「進行中」のフォルダを開くと、中にはさらに3つのフォルダが収められていた。


「SSS」、「クラシコ」、そして内定通知書が届いていた「鯉城電子」。

3つとも会社名かその略称だろう。


これは最終合格して内定した企業か、選考が続いている企業の情報を入れておくフォルダらしい。

不採用になったり選考を辞退したりした企業の情報は「終了」に入れていたのだろうか。


鯉城電子のフォルダを開く。

「鯉城電子ES(最終)」や「鯉城面接対策」と名付けられた文書ファイルが並んでいる。

どれも、書いた記憶のない文章だ。


「終了」のフォルダも見てみると、「松森製菓志望動機」や「杏雨製薬GD振り返り」などのファイルがあった。

どれも、3回生の冬以降に作られたファイルだ。

それらのファイルを作成日順に並べてみると、途中で年度が変わる。

医者やスマートフォンやカレンダーが示す年。僕が4回生になる年だ。


ここではっきり解った。

僕は転んで頭を打った影響で記憶の一部を失っている。

しかし、ある程度昔の記憶は問題なく思い出せる。

「就活」ファイルの痕跡から考えるに、僕が記憶を失っている期間は、直近半年程度。

その半年間で僕はしっかり就職活動をし、内定をとり、内定辞退の手紙まで用意していた。



何ということだ。


知らないうちに進んでいたすごろくの続きを、これからプレイしなければならないのだ。

これまでのあらすじを全く知らないにも関わらず、だ。

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