第9話

salt side


 四人でごはんを食べた日から、松波さんは毎日私に連絡をしてくるようになった。基本的にはごはんの誘いで、もちろん課題を理由に断り続けている。

 こうなると、あの作戦は逆効果だったと気づく。高春さんの存在が、逆に、松波さんの私への気持ちに火をつけた可能性がある。

 いい作戦だと思った、数日前の自分に腹が立つ。

 結局、会いたくもない松波さんに会って、関係のない高春さんに迷惑をかけただけだ。バカなことをした。

 そして面倒なのは、この家にも飛び火してしまったことだ。言わなくていいのに松波さんが、私に恋人が出来たらしいと父に告げ口したのだ。

 父は複雑そうだけど、母がとても喜んでしまった。そして家に連れて来いと毎日言うようになって、私は柚子さんに連絡を入れた。

 いつものカフェには高春さんもいて、

「ごめんね詩音ちゃん」と何故か謝られた。

「例の作戦、失敗だったね。もっと注意深く、対象者を観察してから実行すれば良かった」

「いえ、高春さんはとても上手く演技してくださったし、恋人がいると騙すことには成功したので。ただ、松波さんがムキになったというか。嫉妬したみたいです」

「うん。途中で俺も気づいたよ。虎の尻尾を踏んじゃったなって」

「次の手を考えようか? 松波さんの目を違う方向に逸らす作戦」

 柚子さんの言葉に、私は首を横に振る。

「もう迷惑はかけられません。ただ、ちょっと困ったことになって、その相談に乗っていただけますか?」

 私は両親にまで話が広まったことを話し、

「早く連れて来いの一点張りで、母はこうなるとすごく頑固になってしまうんです。だから、本当に申し訳ないんですけど……」

「わかった。いつ行こうか」

 高春さんがスマホを開く。手を振って、

「いえ、いらっしゃらなくて結構です。そうじゃなくて、もうお別れしたって言った方がいいのかなって相談に……」

「それはダメよ」

 柚子さんが言い放つ。

「松波さんが、あなたに告白しちゃうかもしれない。この前も婚約者と別れようか悩んでるって、詩音ちゃんのお父様に言ってたんでしょ?」

「それは無くなったみたいです。会社の事情で、婚約破棄だとかなりの損害になるらしくて」

「じゃあ行くよ。来週なら前半の3日は大丈夫」

 高春さんは優しい声で、

「一度会えば、ご両親も安心されるんじゃないかな。ただ、俺は最近バツイチになったから、その影響で詩音ちゃんに迷惑かけそうな危惧はあるけど」

「そうだよね。親としては不安要素の一つだよね」

 二人が考え込むので、私も口をつぐむ。少しして、

「やっぱりお別れしたって伝えた方が……」

「それは無し。詩音ちゃんのご両親は、興信所とか使って、高春のことを調べてくると思う?」

 柚子さんに尋ねられて、

「分かりません。恋人を紹介するのは初めてなので」

「そっか」

 また二人とも一瞬黙って、

「人選、間違えちゃった」

「自分でもそう思った」と言い合ってる。

「会うのは無し。別れたっていうのも無し。お母様には、仕事が忙しくて会えないとお伝えして、そのままフェードアウトってことにしましょう」

「そうだね。初めて紹介する彼氏が嘘の恋人なんて酷すぎるよ。しかも俺みたいなバツイチなんて、詩音ちゃんの今後できる本当の彼氏にも影響しそうだ」

 二人で頷き合って、私を見る。話に聞いてたより仲良しで、なんだかモヤモヤしてくる。

「それじゃ、次の手を考えましょう。

そうそう。松波さんのご結婚はいつだったっけ?」

「来年の春頃です」

「……かなり先ね」

 それから三人で色々案を出し合ったけど、結局良い案が見つからなかった。

 二人と別れて、私は再び、あんな作戦しなきゃ良かったと反省した。あの二人にも迷惑かけたし、私は高春さんへの淡い恋心と失恋を同時にした。

 こうして歩いてても、さっきの高春さんの言葉や表情を思い出して、胸がドキドキする。

 恋って残酷だ。しかも自分では止められない。

 

 それからしばらくは、いつも以上に制作に打ち込んだ。そのお陰でたくさんの単位を取ることが出来て、再来年の卒業がようやく現実味を帯びてきた。

 少し落ち着いてきた時に、私はエルを自宅に招待した。彼女は来るなり、すごい豪邸と驚いていた。私の部屋の広さにも驚いて、

「次元が違うお嬢様だったね」とそわそわ落ち着かない。

「あの作戦、上手くいかなかった」と何の気なしに伝えたら、

「あ。彼氏できた作戦? そっかー。役に立てなくてごめん。粘着質には効かないよね。やっぱり、コテンパンに振るしかないんじゃない? あんたキモいとか、そういうトラウマになるぐらいの暴言吐くとか」

「そんなの、私が出来ない」

「そうだよね。詩音、優しいもんね」

 ソファに深く座って、

「それにしても。学生っていいな。詩音が羨ましい。時間にゆとりがあって、バイトしなくても大丈夫な環境で。ホント変わってほしいよ」

「課題ばっかりで、結構大変なんだけど」

 私がイーゼルを指差すと、わかってるよと笑った。

「上手くいかない時って、何してもダメなんだよね。最近、仕事が伸び悩んでて。動画のネタも無いし、友達にはハブられたままだし。もう辞めようかなとか、色々考え過ぎて疲れちゃってさ」

「……大変だね」

「大変だよ。だから他人が羨ましく見えるだけ。気にしないで」

 エルは紅茶を飲んで、これ美味しいと笑顔になった。前に会った時も愚痴をこぼしてたから心配してたけど、明るい笑顔を見てホッとする。

「そうそう。ヤエはどうだった? 八重樫くん。タイムリープって本当だったの?」

「あ、ううん。私と一緒で、記憶があやふやになってただけみたい」

 彼に会った時に、この話は誰にも言わないでと口止めされたので、エルには嘘をついた。うまく出来ただろうか。私は高春さんみたいには、なかなかなれない。

「そっか。そりゃそうだよね。でもタイムリープとか、パラレルワールドなら私も行ってみたいよ」

「エルは行ったことないから」

 つい口が滑ってしまった。

「何? 詩音は行ったことあるみたいな? ひょっとして動画のネタ、あったよって展開になる?」

「無いよ、そんなの。それより、さっきの話に戻るけど。粘着質の対応、一緒に考えてくれたら助かる」

「えー? 粘着質は、暴言吐く以外に思いつかないんだけど。あとは、おしとやかな詩音が意外にはしたないとか、下品なことして幻滅させるとか」

「無理だよ。私、演技とか出来ない」

「そしたら私みたいに、SNSで悪口いっぱい書かれて好感度下がる!」

「ちょっと待って」

 軽口かもしれない。でも引っかかった。

「そんなこと、されてるの? いつから?」

「あー」

 エルは口を押さえた。

「参ったな。さっきも言ったじゃん。友達にハブられてるって。それSNSがほとんどだから。コメント欄にも書かれるし。あることないこと、何が気に障ったのか知らないけど、実名は出さずに書きまくってるよ。もう勘弁してほしい」


 エルが帰ったあと、私は初めて彼女のチャンネルを見た。可愛くメイクしたエルが、細い体を強調するような格好で体操をしている。どこの部分に効いてるよとか、あと少しだから頑張ろーみたいな、そんなに激しくなくて、誰にでも出来そうで簡単な体操のローテーション。

 コメント欄を見る。好意的なコメントも多いけど、整形とか加工すごいとか、外見についての中傷が目立った。こんなに悪口を書いてて、誰も注意しないんだろうか。そもそもコメントって何のためにあるんだろう。嫌なら見なければいいだけ。嫌いなら尚のこと、その動画の閲覧数を増やす手伝いをしなくていいのでは。

 アプリを閉じようとして気が変わる。

『いつも応援しています。配信楽しみにしてるので、これからも頑張ってください』とコメントしてみた。平凡でありきたりの文句。でも、少しでもこの気持ちがエルに届いてほしいと思った。コメントは、配信者と視聴者を結ぶ一本の線。その細い、わずかな線にメッセージを託す。とてもいいシステムだと思ったが、使い方次第では怖い道具に成り下がるのだと、改めてゾッとした。


 課題制作に疲れてコンビニに向かう。

 昼間はかなり暑いが、夕暮れになると秋の気配が漂うようになった。この季節が一番好きだなと思って歩いていたら、見覚えのある後ろ姿が見えた。

 目の錯覚だろうか。スーツ姿の高春さんがアイスの陳列を見下ろしている。

 すぐにコンビニに入って、彼に声をかけると、少し気まずい顔で片手を上げた。

 ちょっと話そうと、近くの公園に誘われる。木の下のベンチに座って、買ったばかりのアイスの袋を開け、

「恥ずかしいな。俺、アイスがめっちゃ好きでさ。しかも期間限定とかに目が無いの。そうだ。知ってる? 季節によってアイスの種類が変わること」

「知ってますよ。カキ氷とかは冬場、売ってないんですよね」

「そうそう。コンビニも店舗によって品物が変わるから、寄るたびについチェックしちゃうんだよね」

 高春さんは、美味しそうにアイスを食べる。可愛くて、少し腹が立つ。

「詩音ちゃん、絵を描いてたの?」

「あ、はい。なんでバレたんですか?」

「顔にちょっとだけ、絵の具が付いてる」

 そう言われてスマホのカメラで確認する。鼻の横に少し青色が付いてて、手で拭おうとしたら、高春さんがじっとしてと言って、ハンカチで拭いてくれた。

「それ、洗ってお返ししていいですか?」

「家で洗うから大丈夫」

 高春さんは、アイスの袋を捨てるために近くのゴミ箱へ向かった。振り返って、

「それにしても、なんでここにいるの?」

「私の家が近いんです」

「へえ、すごい偶然。俺はあのビルに商談行ってたんだよ」

 マンションの横に立つ、商業ビルを指差して、

「ところで、あの人の件。あれから何か進展あった? お母様も大丈夫?」

「はい、母には一度、最近会えていないから何度も催促しないで、と少し強めに伝えました。打たれ弱い人なので、しばらくはおとなしいと思います。……あの人は、そうですね。最近全然、連絡が来なくなりました」

「それは良かった」

 私の隣にまた座って、

「もしまた何かあったら教えて。力になりたいから。あと、連絡先も交換していい?」

「はい、ありがとうございます」

 お互いにスマホを出してる時に、柚子さんはお元気ですかと尋ねてみた。

「うん。しばらく元気無かったんだけど、最近は少しマシになったかな。今度、元ダンナさんと会うみたい」

「そうなんですね。良かった」

 まあねと言って、高春さんは前髪をかき上げた。急にかっこいいことするので、ドキドキしてしまった。

「柚ちゃんはさ、自分の家族が大好きなんだよ。それは素敵なことだけど、片想いしてる俺にとっては残酷だよね」

 意外だった。こないだ会った時は、とても親しく見えたから。

「今は弟みたいなポジションでさ。少し前まで毛嫌いされてたから、それに比べたら全然マシだけど。……そうだ。聞きたかったんだけど」

 高春さんは私の顔を正面から見た。間近で見るとイケメン過ぎて、もう心臓が爆発しそう。

「詩音ちゃんもパラレルワールドから来たの? あのバスの事故がきっかけで」

「……はい。信じられますか?」

「信じる。ていうか、信じないとやってけない。あの事故に遭うまで、柚ちゃんと俺はいい感じだったの。二人で色んなとこ、遊びに行ったり。ごはん食べたり。旅行に行きたいねって言ったら、それは無理って却下されたけどね。五年かかって、ようやくキスさせてくれて、これからってとこだったのに」

 ん。キスだけ?

「待ってください。不倫してたんですよね?」

「してたよ、不倫。でも俺たちはプラトニック・ラブって奴。俺は本当に好きな人には手が出せないタイプ」

 こう見えて純情でと笑う高春さんに、私は心から驚いていた。

 それって不倫って呼ぶの? もっとドロドロしたイメージだったんだけど、めちゃくちゃピュアな二人だったの?

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