第8話
citrus side
「全く読めない」
家に帰ってきた途端、高春が私を見てそう言った。
「誰の話?」
「松波さん」
ネクタイを外して私に渡すので、その辺にポイと投げる。
「ちょっと。酷くない?」
「読めないって何? 第一印象ってこと?」
ネクタイを拾って首を横に振り、
「話せば話すほど、よく分からなくなる。まとってる鎧の装備が分厚くて、心の中がどんどん読めなくなる印象」
「手強そうね」
どうかなと言いながらスーツを脱ぐので、部屋から出ようとしたら、
「話聞いてよ」と腕を引っ張った。
「でも明らかに、俺に対して闘争心を燃やしていたよ。それは分かりやすかった」
「詩音ちゃんに惚れてそうな感じ?」
「そう。婚約者さんはあれを見て、何も感じないのか心配になったよ」
潔くシャツを脱ぐので後ろを向き、
「詩音ちゃんは大丈夫そうだったの?」と聞く。すると高春は、
「彼女は不思議な子だよ。思ってることはそんなに口にしないのに、出す言葉は全て真実。きっと嘘がうまくつけないんだね。とても可愛い子だなって好感を持った」
「あら、嘘が上手な高春が誉めてる」
楽しくなって振り返る。彼はまだ上半身裸で、ヤキモチ? と聞いてきた。バカバカしい。
「婚約者の月夜さんがまた、影の人なんだよ。ずっと黙って微笑んでる。謎過ぎて理解できない」
「怖いね。絶対、本音を言わないタイプだ」
「いや、本音なんてあるのかな。自我がないって感じ。人形みたいな」
高春は唇を指でなぞった。
「コンサルの仕事始めてまだ間もないけど、たまにいるんだよ。社長夫人とか。だからもう、あれはそういうカテゴリなんだなって入り込まないようにしてる。無害だし。とりあえず、恋人作戦はうまくいった。ただ誤算はあった」
「何の?」
「松波さんを煽ったかもしれない。おそらく詩音ちゃんに、かなり執着してる。アッサリ手を引くとは思えないな」
「……逆効果ってこと?」
「かもしれない」
いつものTシャツに着替えて、高春は私の肩を抱いた。そのまま部屋を出てリビングに向かう。
詩音ちゃんのことはもちろん気になるけど、私も1つの問題を抱えている。今日はその何度目かの作戦会議で、キッチンのテーブルには、麻里奈が座って待機していた。
高春には先にバスルームに行ってもらって、私と麻里奈はパソコンを見ながら話す。
「いちど決まった親権を取り戻すのは、かなり難しいみたいだよ」
「そうだよね。私が欲しいのはあの子たちの気持ちだから、親権にはこだわってない。ただ、麻美のことは本音を言うと伝えたくない。親がダブル不倫してたなんて、とてもショックだと思うから」
頬杖をついて目を閉じる。あの日、麻美と元夫を見たと話した時、高春は知ってたよ、ごめんねと謝った。
「柚ちゃんは離婚したくないって言ってたから。君の傷つく顔を見たくなかった」
そう言ってたけど、高春はわざと顔を伏せて私に見せなかった。コンサルの仕事はしてないけど、私だってある程度は人を見る力がある。きっと私にバレない限り、言う気はなかったんだろう。
「お姉ちゃんの気持ちもわかるけど。希菜子たちに会いたいなら、麻美さんの話は効果絶大なんだけどな」
「それでも、私は言いたくないな。知らない方がいいってことあるし、あの子たちはまだ子供だから」
「……お姉ちゃんがそういうなら、それでもいいけど」
麻里奈は片眉を上げた。
「でも私が許せない。お姉ちゃんを悪者にして、一方的に離婚したのに。蓋を開けたら自分も不倫してるとか」
「気づかなかったんだよね。それは私も悪かったんだよ」
元の世界でも、夫は不倫してたんだろうか。
高校時代から付き合ってたけど、穏やかで優しい人だった。ケンカもほとんどしなかった。私は彼と一緒にいる空気感が、とても好きだった。
涙が勝手に溢れて、少し乱暴に手で拭う。もしあの世界で不倫してたら、きっともっと取り乱しただろう。おそらく、彼を殴っている。そして、麻美と別れてほしいって懇願もするだろう。
でもここは、別世界だ。私は涼介と別れて実家にいる。急に寂しさが募って、涙がどんどん流れだした。
母や妹がいて、可愛い甥と暮らしていても。私は私の家族が恋しかった。みんなに会いたくてたまらなかった。
後ろから肩を叩かれ、もう寝た方がいいと高春に声をかけられた。小さく頷いて立ち上がり、自分の部屋に戻る。すぐに高春がやってきて、私は大きな腕に包まれた。そのままベッドに連れて行かれて、彼の腕の中で目を閉じる。懐かしいような、少し甘い香りと、人の温もりが心地良い。朝までぐっすり眠って、目を覚まして高春の軽いいびきに微笑む。この世界に来て、こんなに安眠できたのは初めてだ。
私は弱い。でも今日もまた鋼の鎧を身につけて、この世界と折り合いをつける方法を考える。
攻略する順番が合っているかは分からないけど、夫より先に麻美に会った。勤務先から直接、待ち合わせの居酒屋へ向かう。麻美はなかなか来なくて、相変わらずだなとこんな時だけど笑ってしまった。
「遅れてごめんね」
下がり眉をもっと下げて、麻美は私に手を合わせた。
「打ち合わせが延びちゃって」
「大丈夫。先に始めてたから」
ジョッキを見せると麻美は笑って、じゃあ私も生中にしようと店員を呼んだ。
焼き鳥やサラダを一緒に頼んで、ジョッキを合わせて乾杯する。これじゃいつもと変わらない。どうしようと思ってたら、麻美の方から本当にごめんねと謝られた。
「あーやばい。泣きそう」
そう言って目をこすっている。つられそうになったけど、
「有り得ないからね」と強めに言う。
「わかってる。でもね、一つだけ言い訳すると、もう二人で会う気は無いから」
「どういうこと?」
「元々、そういうんじゃなかったの。言っちゃえば、事故みたいな。最初は偶然会って飲んでて、急に柚が不倫してるかもって泣くから驚いて」
慰めようと思ってホテル行く? って冗談で聞いたら頷いた。それが最初で。
あとは私のタイミングで誘ったかな。でも全部合わせても一桁だよ。セフレっていうのでもないし、もちろん恋人とかでもない。柚にバレちゃったあの日も、これからどうするのって聞こうとしてただけ。だからもう会うのやめようねって約束したの。
麻美は泣きながら話した。昔から変わらない。ちょっとおバカで人が良くて、悪いことができないくせに、やってしまって後悔する。
「聞きたいんだけど。その最初ってのは、いつ頃の話?」
「んー。あのブラックな会社で働いてた時だから、三年前ぐらいかな?」
「ああ、下着屋さんで働いてた時期ね」
「そうそう。あの時はホントにやさぐれてた。タイミングが悪かったんだよね。ホントそれだけなの。好きとかお互い無いから」
「わかった。信じる」
私は微笑む。攻略の順番を麻美から始めたのは間違ってなかった。
「私の方も聞きたいんだけど」
焼き鳥の串をこっちに向けて、
「なんで高春なの? あんた一番、嫌ってたじゃん。あいつ信用できないって。あれはフェイク?」
「違うよ。本当に信用してなかったし、今もね。よく分かんない」
「何それ。まあ確かに、食えない子だよね。私も一瞬本気になっちゃったけど、私のこと好きって聞いた時、別にって微笑まれたもんね。別に好きじゃないって。ならもう会うのやめようって。ただの女好きかよって」
へえ。そんなことがあったんだ。
「そしたら柚が、手嶋くんに相談に言っちゃうし。私のことは心配しなくても良かったんだよ。あの頃は泉の方がすごかったし」
「どういうこと?」
「柚は案外、知らないんだよ。ていうか、みんな教えなかった」
聞き捨てならない。どういうことと、再び詰め寄る。
「柚の家庭はハッピーだったし、あんたは正義感強くてお節介だから、問題あってもみんな言わなかったの。だからあんたが知った頃には、問題が終わってることも多かったんだよ。あとね、言いたくなかった。柚はいい奴だから、すぐ熱くなるから。余計なことで傷つけたくなかったんだよ」
また泣きそうな顔をして、
「泉は最初から高春が好きだったの。手嶋くんと別れたのも、高春を好きになったから。たまたま手嶋くん家で会って、運命の出会いだと思ったんだって。だから、ノンや私と遊んだって聞いて、しばらくグループの付き合いに来なかった。でもその後、泉が猛アプローチして、授かり婚した時も、結局流産じゃなくて、元々いなかったんだよ。子供なんて」
知らなかった事実が次々と暴かれて、私はもうどこから突っ込んでいいか分からなくなった。
「まだ聞く? ショックなことはまだあるかもよ」
「そうね。聞きたいな。みんなが私に隠してたこと」
腹を括ってそう言うと、みんな柚が大好きなんだよと真面目な顔をした。
「鈴江はガチであんたが好き。でも、友達として柚を見守ることにしたんだって。それで今は、若い女の子と同棲してる」
あの鈴恵が? 驚き過ぎて言葉が出ない。
「高春も柚が好きで、泉の妊娠が嘘ってバレた時から、ずっと離婚してくれって頼み込んでた。でも泉はあの通り、思い込み激しいじゃん。絶対に首を縦に振らなかったけど、最終兵器、泉の大好きなパパに妊娠の嘘をバラして、離婚要求に応えてくれないと泣きつくって言ってようやく終了」
あとは、と続けるから思わず、もういいと一旦〆てもらう。
「なんでみんな教えてくれないの?」
パンチを喰らいすぎて泣きそうだ。
「だから、みんな柚が好きなの。あとやっぱ、面倒くさいもん」
わははと笑う。酷い。
「ほとぼりが冷めたら、またグループに帰ってきてほしいと思ってるよ。あと、出来れば私を許してほしい。泉だって、もう観念してるし。棚橋くんが折れてくれたら、残りのみんなは柚が戻ってくるのを待ってるよ」
「戻っていいの?」
「だから、棚橋くん次第だってば」
もう一度ジョッキを合わせて、
「高春、柚の家に居候してるんだってね。二人で暮らしてないのが柚らしいねって、みんなこないだ言ってたよ。みんなでワイワイするの、柚大好きだよねって」
そう言って、麻美が楽しそうに笑った。今日会うまでは、こんな風に彼女の笑顔が見られるなんて、思いも寄らなかった。
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