第6話

citrus side


『私たち以外にもパラレルワールドからやって来た人を発見しました。今度会う約束をしたんですが、柚子さんも来ますか?』

 という詩音ちゃんのLINEを見て、私は無言で立ち上がった。ユキオが驚いて、

「ゆずちゃんどうしたの?」

「何でもないよ。ごめんね」

 また座ってユキオに微笑む。すると、

「柚ちゃんは落ち着きないね」

 高春はユキオにそう言ってから、

「食事中のスマホ禁止」と私のスマホを取り上げた。カチンときて、

「なによ偉そうに。居候の分際で、私に指図しない」とスマホを取り返す。

「言い方」

「ちょっと。お姉ちゃんだって偉そうだよ。高春さんはちゃんと宿泊代も払ってくれてるんだから」

 麻里奈が間に入る。

「だっておかしくない? 高春がうちに居候するのって」

「まだ言ってる。決めたのはお母ちゃんだよ」

「そうだよ、柚子。離婚して住むところがないって泣きつかれたら、どういう相手でも人助けするのが人情でしょ」

 母は懐が深い。そこが長所だと思うけど。

「やっぱり変だよ。不倫相手を居候させるなんて」

「フリンアイテって何?」

 ユキオが聞く。ああもう。

「ユキオ、ほらまたごはんこぼしてるよ」

 服についたごはんを手でつまんでから、

「ユキオの教育上にも良くないし」

「俺にとっては恋人の家だから」

 高春は笑顔で、お母さんのご飯美味しいですねと母を見る。口が上手いわねと母も満更ではなさそう。

 なんだこの、茶番劇。

 さっさと食べ終えて部屋に戻る。高春たちが離婚したのと同時に、彼はこの家に転がり込んで来た。文字通り泣きついて。

 人のいい母は絆され、麻里奈までが短期間ならいいじゃないと騙された。ユキオは大はしゃぎ。私にはわかる。絶対にこいつ、ここから出て行かないよ。おそらく私がいる限り。

「俺にとっては二度目なんだよね」

 私の後を追って、高春が部屋に入ってくる。

「柚ちゃんを落とすの。攻略法を知ってて、ゲームしてるようなもんだから、無駄が無くて楽勝だよ」

「うーん、いちいち腹立つ。相性はめっちゃ悪いと思うよ、私たち」

「それなら五年も不倫してないよ」

 高春が手を握ってきた。すかさず振り払う。

「それに。言っとくけど、ノンさんも麻美さんも泉も、向こうから誘ってきたんだからね。俺から動いたのって、柚ちゃんが初めてだから」

「鈴恵も口説いたって聞いたけど」

「それは向こうの勘違い。普通に話しただけで、気があると思われがちでさ。困ってるんだよね」

「モテ発言、どうも」

 お風呂の用意をしてドアを開けた途端、

後ろから腰を抱かれた。

「そういうの、本当にやめて」

 素直に腕を離したので部屋を出て、バスルームに直行する。

「なんで失敗したのかな」

 湯船に浸かってひとりごとを漏らす。あんなにこっぴどく振ったのに、高春は意外に執念深い。しかも泉とはさっさと離婚して、スッキリした顔で私に付きまとっている。

 高校のグループといる時は静かに微笑んでるだけで、いるのかいないのか分からない空気みたいな奴だった。でも今の高春は正反対で、よく喋りよく笑う、どちらかというと明るいタイプだ。人って本当に分からない。

 キッチンで牛乳を飲んでいたら麻里奈が来て、

「お姉ちゃん、めっちゃ愛されてるね」と肘打ちしてきた。

「まさか。何か魂胆があるんだよ」

「ないってば。あったら離婚なんてしないでしょ」

「あんた騙されないでよ」

「お姉ちゃんの方こそ。色眼鏡で見てるとこ、あるんじゃない? 私は正直、ユキオの面倒を見てくれて助かってるし、家も明るいから楽しいよ」

 色眼鏡、確かにかけてる。

 思い返せば、最初から気に食わなかったんだよね。あまり他人に関心のない方だけど、高春にだけは危険を感じたというか。

 それって、最初から意識してたってこと? 危険を感じたのも、自分の気持ちが揺らぐのを防ぐ、防御反応ってやつかもしれない。

 スマホが鳴ってハッとする。そうだ。詩音ちゃんのLINEを既読無視してたっけ。

『あのバスの乗客かな? 会ってみたいのでよろしくです!』と返信する。

 パラレルワールドから来た人がもう一人いる。ってことは、あのバスに乗ってた人が全て、移動してきたのかもしれないってことだ。

 運転士、おばあちゃん二人、軽傷の私と詩音ちゃん、そして高校生の男子。この6人全員が、元いた世界の住人だったりするのかも。


「パラレルワールドっていうか、タイムスリップです」

 夏服の学生服を着た、目の大きな男の子――八重樫くんがきっぱり言い切った。

「一年後の未来に来たんです。ただ、この世界では僕は今と同じ高2ですけど」

「それならやっぱりパラレルワールドじゃないかな? 私たちも同じなの」

 詩音ちゃんを見ると、私も同じですと珍しく強い声を出して、

「私の場合は逆で、亡くなった人が生きてる世界に来ました。他にも過去が変わってて、明らかに前とは違う世界だと思ってます」

 二人に言われて、彼は少し肩を落とした。

「責めてるわけじゃなくて、世界線が違うって考えた方が納得できると思うの。私の場合は、夫と離婚して実家に住んでる状況で、明らかに問題が終わった後の世界って感じだった。そういう意味では未来に来たと言えるんだけど、そもそもの過去が違う。私の不倫が原因で別れてるんだけど、本来の世界線で、私は不倫をしてないの」

 八重樫くんが顔を上げる。

「だから未来なんかじゃないって言い切れる。この事実は自分で納得できる。あなたは他に、何か変わったことはない?」

「僕は。……そうですね。2組だったのに3組になってます。あと、バスケ部で補欠だったのが、何故かレギュラーで試合に出ました」

「話の腰を折るようでごめんなさい」

 詩音ちゃんが手を挙げて、

「その、良かったら一年前に亡くなってた人の話を聞きたいです。私に似ている状況なので、すごく気になってて」

「いいですよ」

 八重樫くんはようやく笑顔を見せた。

「ゲームで出会った友達がいたんです。その子も高2で、そのうちオフでも会うようになって。バスを使えば三つ先ぐらいの場所に住んでたので、そいつの家によく遊びに行ってたんです。一緒にゲームやって、いい友達ができたと思ってた。そしたら急に、学校でいじめに遭ってる。死にたいとか言い始めて。心配してた。学校辞めたらとか、アドバイスしてたんだけど。あの日、学校で今から死ぬってLINEが送られてきて、いてもたってもいられなくて早退したんです。自転車で行けば良かったんだけど、急に強めの雨が降ってきたのでバスに乗りました。そしたらあの事故で。ほぼ無傷だったし、病院からそのままそいつの家に行ったんです。そしたらお母さんが、息子は一年前に亡くなったけど、あなたは誰?って。何度も会ってるはずなのに、おばさんショックで頭おかしくなったのかって思ったけど違ってた。おかしくなってたのは僕の方で、結局、僕はそいつを助けられなかった」

 唇をぐっと噛み、泣くのを堪えている彼を見て心が痛くなった。

 パラレルワールドという話に納得したかどうかはわからないけど、今から塾に行くという八重樫くんと連絡先を交換して、私と詩音ちゃんはそのままカフェに残った。

「可哀想ですね」

 詩音ちゃんがストローでジュースをクルクル回す。

「そうね。でも大丈夫よ。まだ若いし、この世界線でも違和感なく普通に生活できると思う」

「確かにそうですね。彼の場合、あのバスは通学で使ってるみたいだし」

「そうね。詩音ちゃんみたいに、あのバスを使った意味を考える必要はないわね」

「それなんですけど」

 詩音ちゃんは可愛く笑って、

「もういいかなって。もちろん気になるけど優先順位を低めにして、先に学業をしっかりやろうと思ってます」

「うん。その方がいいかもね」

 詩音ちゃんが、立ち直り始めていることを感じて嬉しくなった。

 私はどうなんだろう。これからどうすればいいんだろう。

 彼女と別れて駅に向かう。夕暮れの改札は人でいっぱいだ。軽くぶつかられて、顔を向けた方向に見慣れた人を発見する。

「涼介?」

 彼もこっちを見て、気まずいという表情を浮かべた。その横に、

「え、麻美?」

 元夫の腕からパッと離れた麻美が、バレちゃったねと薄く微笑んだ。

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