第32話
『なぁ、セラ』
「手を出してこないなら放っておくこと。今はね」
外を鬱陶しそうに見るウィロに肩をすくめて応えたのは一体何度目のことか。
論文の中で目に付いた要点を書き出したメモを新たに整理しながら私はため息を吐く。
昨日から何者かに見張られている。それは〈魔力探知〉にも引っ掛かっていた。孤児院の外でジッとしている不審者なんて本来なら即処断しても構わないのだけど、あれは間違いなく軍の人間だ。下手な干渉は憚られた。母さんが気づいていなさそうなので恐らく噂に聞く諜報などを生業にする特殊な魔術師だ。彼らは様々な欺瞞効果を起こす魔術を保有していて、この国の多くの機密を日々守っているという。
しかし肉体的な技術も併用しているかもしれないけど〈魔力探知〉は掻い潜れない。ましてや私みたいに無意識で一定時間ごとに放つなんて想定の外だろう。
「ウィロ、軽く庭を一周してきて」
『おう』
なんでとも聞かずに素直に走り出す白毛の狼。ジッと座っているのに飽きただけかもしれない。外の反応をうかがえば、どうやら興味が向けられているのはウィロの方らしい。私が域外で成果を上げている理由を探りにきたのだろうか。第四に顔を出したから目をつけられちゃったかな……
そう言えば〈魔力探知〉の掻い潜り方って授業では習わなかったな。前に従師ちゃんに語った通りこれって水平に放つから高さをつけると途端に見つかりにくくなる。それに気づいた私は角度を付けて放つ癖が付いてしまったし、だから木の上で潜んでる『誰か』もしっかり捉えている。それ以上にウィロを掻い潜れていないのだけど。
『ただいまー』
「おかえり」
『あいつ、付いてきたな』
「ウィロに興味あるみたいね」
『へー』
最近子供達と遊んでいるので、あれも遊び相手になるって期待していないだろうか。なんか目がキラキラしている気がする。
「敷地内に入ってこない限りは無視してね」
『はぁい』
私の足元に蹲ってぱたりぱたりと大きく尻尾を揺らす。喜ぶと尻尾をぶんぶんと振るし、この辺りは魔力外殻なのに動物の特性が無駄に出ている気がする。一応魔物の型は阿頼耶識の情報から構築されているという説もあるから動物っぽい動きは不思議とは言い難い。形を似せただけとはいえ魔物は尻を前にして歩いたりしないし、背中で滑って移動もしない。型になった生き物の動きはある程度模倣する。でも尻尾のような感情に伴う動きは特殊な気もしないでもない。
まぁ、そもそも『目』で物を見ているウィロだしなぁ……
下手に聞くのも怖いし、王や先生は知っててもウィロは知らない可能性があるのがねぇ……
そんな事を考えているとウィロがピクリと反応した後体を起こす。〈魔力探知〉の反応が増えた。うち1人が持つ保有魔力はやたらと大きくて、同行者の反応が飲み込まれてしまいそうになっている。
「先生がここまで来るわけないし……誰?」
『見てくるか?』
「ウィロを気にしてるようだし、ウィロはここで待機」
『えー。
あ、一人はこの前来た人だよ』
「この前って、第四の人?」
『第四?』
ウィロは最近大人と子供の違いをなんとなく覚えたけど未だに容姿や性別の区別がよく付いてない。目で物を見ているけど他の魔物と同じく魔力による感覚器の方が判断の主体のようだ。
そうこうしていると母さんが近づいてくる気配。母さんも騎士と遜色ない魔力量なので分かりやすい一人だ。
「セラ。この間の団長さんと、宮廷魔術師長を名乗る爺さんが来てるけど、会うかい?」
……なんで魔術師の長が一緒に来ているんですかねぇ……
先生を説得してとか?
「私に会いに来たの?」
「そう言ってるねぇ」
答える母さんの顔にはやや渋面が見える。
「嫌なら追い返すよ?」
「ううん。会うよ」
会う理由は無いけど、追い返しても良い事はない気がする。ここは比較的安全地帯。変な所で待ち伏せされるよりはここで会う方が多分良い。
ウィロはどうしようかと考えるけど、監視がすでに付いている以上下手に隠すような真似は逆効果かな。
「ウィロ、行こう」
『おう!』
お留守番かなと伺っていたウィロが嬉しそうに返事をした。
母さんは溜息一つ私に背を向ける。歩き出す方向は団長の時と同じく執務室兼応接室。
その部屋の前ではまるで衛兵のように一人の男が立っていた。私をジロリと見れば母さんが咎めるように圧を放つ。目を見開いた男は慌てて居住まいを正し、戸を開いた。まるで彼らの部屋に招かれたみたいだなぁと、ぼんやり思う。
「失礼します」
「おう、突然悪いのぅ」
私の言葉に軽い調子で返すのは好々爺という言葉がしっくりくる朗らかな老人。その横には仏頂面の団長さん。そしてソファーに座らずその後ろで直立不動の男性一人。護衛ですって感じ。身なりからして護衛兵団の偉い人なんだろうなぁ。
「あたしも同席して良いかい?」
「構わんよ。
ああ、国家機密あたりがうっかり出てしまったら秘密を守ってもらう必要があるが」
「なんでこの子との話しでそんなんが出るんだい!」
「そう言う存在じゃからじゃよ」
怒気を強める母さんに反応した護衛さんを術師長が手を挙げて制した。
「セラキスと言ったか。おぬしはその点、理解しておるじゃろ?」
「そういう話題は私にお答えできるとは思いませんが。適任者が居るのでは?」
「ほっほっ、なに、アレが答えんからおぬしに聞き出そうと言うわけでない。
ただあえて言えば『魔術はすべからく国家戦略技術』じゃぞ?」
魔術にまつわれば些細なことでも国家機密に値しかねない。
そう言われてしまえば中退でも教育を受け学んだ身としては反論し難い。
「院長殿も色々弁えておると聞いておる。故に同席を許すが、残るかの判断は委ねよう」
「母さん、私一人で大丈夫」
「……聞かない方が良い話かい?」
「……」
母さんからの問いに答えず、術師長さんに視線で問う。色々思い当たることはあっても切り出すのはあちらだ。
「おぬしが一介の探索者と言うなら自己判断じゃが、そうでないなら無理に聞かんほうが良いじゃろうな。
こちらとしても制限を付けなければならん話題を避けるのは難しい」
母さんは暫し考えると私を見返した。
頷きを返すと母さんは眉尻を下げて私の肩を叩き、席を立った。
「なにかあったら大きな声を出すんだよ?」
「アハハ……」
母さんの助けがあればこの相手でもなんとか出来そうに感じるのが力強い。
退出するのを待って私は宮廷魔術師長に向き直った。
「おぬしはラーヤに魔術を習ったのじゃな」
「初級魔術だけですけど」
「中級魔術は?」
「習得できなかったからファストを退学になりました」
老術師が目を細める。次に来る質問に当てが付いた。だから迷う。
「しかしおぬしは域外で魔物を狩っておる。従師にできる事でないとは言うまでもないな?」
「いいえ」
否定の言葉に老人の目が僅かに険を帯びるが、嘘を許さないという警告の意味だろう。
ウィロの事を前に出すかと自問し、一旦背に隠す。そもそも渋い顔して同行した団長さんが居るのだ。保有魔力量についてはバレたと見て間違いない。
「初級魔術に分類される物で魔物を狩ることは可能です」
顔を顰めたのは直立する護衛さんだった。一方で術師長は私の発言を当然のように受け止める。
「操魔獣術かね?」
傍のウィロに視線が向くが私は否定する。
これを肯定しては私はウィロを操作しながら別の魔術を使える新たな術式を披露しなければならなくなる。そんな術は無いし、元々の術も欠陥品と知って詳しく調べていない。初級魔術に属するかも知らない。
「いえ、〈魔撃〉を構築後直ぐに放たず、追加の魔力を詰めて加速させています。私はこれを〈増撃〉と勝手に呼んでいます」
流石に予想外だったらしく、「ぬ」と老魔術師が声を漏らす。
「……そんなことが成立するのか?」
「実際できているとしか」
できてしまった。これは事実。ただ追加で得た知識を踏まえると、おそらくウィロとの契約で得た魔力だから魔力外殻の性質を帯びて構築できているのだと思う。それは体内でなく体外に描く術式回路も同様だ。
「ふむ……後で見せてもらうとして、それができて中級魔術の習得ができていない理由が分からぬな。難易度としてはそちらの方が高く無いか?」
「繰り返しになりますが、〈増撃〉はできてしまった。中級魔術はできなかったとしか。
剣と槍と弓で得意不得意があるような物では無いでしょうか」
「……」
反論のためか開きかけた口は言葉を飲み込むようにモゴモゴとだけ動き止まる。
少し間をおいて彼は腕を肩口くらいまで挙げて掌を天に向けると、護衛さんが紙の束を取り出してその上に載せた。
チラリと見えた絵に私は顔を顰める。
「中級魔術を上手く使えんかったから、魔道具を使ってみようとした、か?」
「それ、捨てたはずなんですが……」
「どうしてじゃ?」
「仮に成立するモノだったとしても制作の目処が立たなければ実験もできないからです。その杖を構成させるための魔化した木材なんて『奥』でも手に入るかどうか」
「核の表層を魔力が滑る現象を利用し、〈放出〉は物理的な溝を回路として固定化。途中にある回路が途切れた空間に自らの〈変質〉を挟み込んで複数の射撃型中級魔術を可能とする。そう言う思想じゃな?」
「……はい」
「何故〈変質〉を杖の中に構築できる?」
普通なら回路がまともに繋がっていない上に魔銀水も使っていない、さらに回路が異様に長い魔道具モドキなんて勉強が足りない生徒の夢想程度に切り捨てるだろうに、この人は正しく設計思想を見抜いている。しかも体外で構築する術式回路と言う空想も含めてだ。
「やはりそうか。おぬし、初級魔術もまともに使えぬな?」
確信を持った問いに、周りの方が驚き訝しむ。これを否定してこの図案の空欄を埋める別回答を私は持ち合わせていない。
「よくお分かりになりましたね」
「同じような奴を一人知っておっただけじゃ。そやつはお主と違って体の外に流し、纏うという手段を構築し、体系化したがの」
「はぁ? おい、それって!」
一番に反応したのは今まで沈黙を貫いていた団長さんだった。私だってもちろん驚いている。
「そやつはな、魔術を使おうとする度に身体的な痛みを訴えておった。わしらには分からぬ感覚故に『怠ける為の戯言』と切り捨てたが、ラーヤだけは違った。
そしてやはりラーヤが正しかった」
老人の視界は今でない場所に染まっていた。
「第五測定器まで稼働させうる保有魔力持ち、ファストに入学しながらも一切魔術を使えぬ落ちこぼれは、騎士術を成立させて王殺しとなった。
奇しくもおぬしと同じく中退し、王都を去って……のぅ」
「じゃあ、先生が私に教えてくれた魔術は……」
「最初、あやつは王殺し……ハクロに使える魔術を開発しようとしておった。それを成す前に騎士術という可能性を開花させてそちらの道を進んだが、その魔術も完成させておったか」
そこで宮廷魔術師長は回想から離れて私を見据えた。
「おぬしがハクロと同じというならますます見過ごせんなぁ。
なにしろこうなってはハクロにもできなかった騎士術と魔術、両方を使える異才ということに他ならん」
ゾワリと研究動物を見るような視線に怖気が走る。
「私は騎士術なんて……」
「試したのか?
まぁ、学園の授業では魔術と騎士術は根源的な使い方が異なるせいか、併用は不可能と説明しておるが、この説明が間違っていたわけでもない。なにしろおぬしはこの説明にある『魔術』は使っていないのだからのぅ」
術師長が振り返り、剣を出すように命じる。彼らにとって騎士剣は自らを示す大きすぎる象徴で命よりも大事と称する人も珍しくない。それ故の躊躇いを一瞬見せながらも、護衛の彼は私の傍に立ち、そこでまたわずかな躊躇いを重ねて鞘ごと差し出した。
騎士が使う大剣と違って私の膝から先ほどしかない小剣だ。盾を主体とし攻撃を重視しない護衛兵団だから騎士剣を持っている方が珍しいのだろう。
最早躊躇うことも許されない。私がそれを引き抜くと一度も使われた事がないように磨かれた刀身と走る魔銀水線が日の光を返す。
「お主が設計した杖。あれを使う気持ちで魔力を流してみよ」
「……」
あれは内部に通す……と言っても筒状なのだから表面に変わりない。先生の時みたいな意地悪のつもりの大出力をして臨界反応を起こした日にはいろんな意味で大惨事なので、最小出力で通せば、魔銀水に魔力が走り輝く。
「マジか……」
団長さんが堪えきれずに声を漏らす。剣の持ち主も驚愕を隠せないままその輝きを見ている。
発動させちゃった。
「なあ、それなら俺たちがセラの魔術を習得出来ることにもなるのか?」
「わしは、難しいと思っておる。おぬしはどう思う?」
問われて迷う。
私は出来ている。
私より優秀な人が出来てもおかしくない。
そんな考えと同時に魔物化した先生と魔物の魔力を持つ私だから外殻魔力に適性を得て体外での魔術構築を可能にしているのではないかとも思う。
「〈見えざる手〉が扱えるかどうかじゃないでしょうか」
「あれは原初魔術。術式を扱わないじゃろ?」
「だからこそです。あれをある程度以上に操れないと術式回路の構築ができませんから」
「なるほどのぅ……加えて魔力発散を考慮すれば最低でも第四。中級魔術を考えれば第五測定器を稼働させる魔力は必須か」
私は第三までしか触ったことが無いから第五とやらを起動させられるかどうかは分からない。ファストでも第四を稼働させるに至る人は居なかった。
「第五って、歴代でも一人二人しか稼働させてないんじゃなかったか?」
「明確な記録は一人……ハクロのみじゃ。ラーヤは測っておらんしな。
歴代と言っても測定器の開発はラーヤの没後。三十年しか記録はないからのぅ。
歴史を紐解いてもそれほどの魔力量を持っておったと目されるのは二、三人じゃな。もっとおったかもしれんが、『魔術を使えない無能』を記録する意味がない」
私も先生に会わなければ魔力量は膨大だけど初級魔術すら使えない役立たずか、騎士になっていたということか。
「さて、ここまで話せばおぬしが役立たずの落ちこぼれとは誰も言うまい。無碍に扱うつもりもない。わしの麾下に加わらぬか?」
「おい待て! アンタのところで飼い殺しにする気かよ!?」
「そんなバカなことはせん。
嬢ちゃんは察しがついておるのでないか?」
「………………」
騎士術も魔術も使えるなら域外遠征担当の第四騎士団は最適な職場の一つだ。それよりもと称し、飼い殺しでないと言うなら思い当たるものが一つある。
安易に知らないフリに逃げるのは、この老人の前では危険だと感じていた。今までの誤魔化しもどこまで通じているか。
「アレの製造は、関与者が限定されているのでは?」
「おぬし、魔晶も知っておるな?」
一応国家機密の一つなので気を利かせた風にぼかしたのに火球を無造作に放り込んできた。
「…………作れるのは先生だけです」
「ふむ。まぁ、おぬしを必要とする理由は理解したであろう?
騎士術や魔術よりも重要だとも」
今の世界では騎士剣の数はそのまま国力だ。既に魔物への反撃に転じているこの国に更なる騎士団を創設できれば、一つ二つの小国は飲み込んで拡張もできるだろう。
「今のところ、手にある魔晶は一つのみ。安易に使い潰せん。
じゃがこれが量産できれば騎士剣の生産量は倍以上も目指せる」
その発言に全員が目を剥く。私と術師長以外は。
「繰り返しになりますけど、先生にしか使えません。先生を説得する方が現実的です」
「ふむ? 何故その気がない?
ラーヤから離れるのを忌避しておるのかね?」
「いや、国家機密専属とか、どう考えても怖いのですけど」
数秒の間。
そして誰もが少なからず納得を隠しきれないのは、上層部に席を持つ彼らはより具体的に王都で日々巻き起こる暗闘を知っているからだろう。
「ま、まぁ、一理あるが、今のままでもおぬしは片足突っ込んでおる。不用意に流布するつもりは毛頭ないが、安全を望むのなら今のままを続けるより、余程得るものは大きいと思うぞ?」
三十年間凌ぎを削って多くの秘密を守り切った経験と実績があるのは事実だ。
ただ「完璧に」でないのも事実で、完璧な防御なんて不可能な事も事実。
それらを総合しても確かに彼の麾下にある事は安全で安泰なのだろうけど……
「おい、話が違うぞ」
と、団長さんがドスの効いた低い声音で術師長を制する。
「話が違うはお互い様じゃ。
事態を正して見たならば国としても彼女としても最善であろう?」
「あ、あのー、私、今、領主様に雇われているんですけど」
「「黙らせる」」
声を揃えて権力振りかざされた。
「ほぅ、随分と好き勝手を言われますな」
扉はその声に弾かれたように開かれる。
騎士もかくやという体躯の男は「ご歓談中失礼致します」と仰々しく礼を取り、しかし答えを待たずにテーブルの側まで歩を進めた。
「我が家臣の人事に中央がなんと?」
……なんか面倒なことになってきました?
私は頭痛を堪えつつ、事の成り行きを見守るしかない立場を再自覚し、黙って見守るのだった。
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