第22話
ある男の話をしよう。
彼の所業を一つ一つ調べていけば、彼が掛け値なしの天才であると容易に知れる。同時に、彼の余りの不遇に、時代と運命に愛されず、弄ばれながらも歩みを止めぬ人生に言葉を失う。
そんな男の話だ。
彼は『賢王』と称されるに足り得た。
まず彼は天才だった。王家に生まれ相応の教育を受ける身にあって「神童」という評価を当たり前のように受ける。
更にその天賦の才に驕らず、己を高める事を苦と思わない性格を有した。
帝王学を含む数多の学問を早々に納め、武においても平均以上。成人を目前とする頃には政務に長く携わる者を唸らせる見識を持ち、対等な意見交換をどの分野でもやってみせる。自身に誤りがあれば素直に認め、即座に正す柔軟さまで有していた。
数百年を数える王国にあって五指に数えられる、あるいは随一かもしれぬ有能な王。それが本来彼に与えられるべき評価のはずだった。
しかし、彼は『愚王』の謗りを受ける。
百の功績を嘲り貪る一の失敗。
その咎は今も彼を蝕み続けている。
あえて彼の欠点を挙げるならば、万象を読み解く千里眼のような才覚を持っていたこと。
本来ならば万人が欲する埒外の才能があったが故に時代の異物、史上稀に見ない『非常識』を見誤ってしまった。
────彼は希代の天才ラーヤをいち早く見出し、高く評価した人物である。
おおよそ三十年前。
王国に限らず世界には魔術師を貴きとする社会が形成されていた。
人類を滅びから守る唯一無二の技術。しかし天賦の才に左右されるそれ持つ者を貴賤問わず優遇するのは必然であった。
そんな世界で王家や貴族が存在しているのは国家運営が教育と技術の上に成り立つものだからだ。彼らは魔術師を取り込みつつ社会基盤を支える者としての地位を守っていた。
魔術師はそんな王侯貴族を労働奴隷にも等しいと憚らずに嘲る。そんな歪な関係が数百年という時代を経て腐敗臭を漂わせながら継続していた。
この状態の打開を、打開と言わずせめて健全化を願った者は一人や二人ではない。この大きくなり過ぎた寄生虫は国家の体力を好き勝手に食い荒らし、その発展を妨げていた。そこからの脱却を目指し魔術に頼らない新たな対魔物技術の開発を試みるも、それが不都合でしかない彼らによって尽く潰された。それでも秘密裏の研究は進められていたとされるが、長くその足掛かりすら掴めずに居た。
魔術は人類の滅びを防いだ。
しかしその実は延命に過ぎない。
いずれ王国を継ぐ『彼』は、得すぎた知識と広すぎた見識、そして良識故にその現状と未来から目を逸らすことができなかった。
そして不幸にも彼は脱却の足掛かりと邂逅する。
─────ラーヤという稀代の天才と。
余人に理解できぬ妄言吐き。
当初のその評価に勘を疼かせた彼はラーヤが書き散らした物に夢想を現実にする道を見出す。
妄言と称されたそれを言語化した彼は、まず学園教師を呑んだ。
腐敗臭漂う魔術師社会の中でも未来を想い、享楽より研究を好む上澄み達は次々と天啓に奮え、彼の描く絵図に嬉々として飛び込んだ。
その内の一人は『基礎魔術論』から新たな修練方法を提唱。当時の教育では中級魔術の発現に苦慮していた訓練生に試し、幾人もを魔術師に仕立て上げることに成功した。
結果、ファスト魔術学園内に一大派閥を形成し、これを背景に彼女が書き、彼らの監修のもとに完成した『基礎魔術論』をラーヤの著作として発表させることに成功する。
もしこの試みが成功しなければ魔術が使えるだけの詐欺師どもは人類の転換点を歴史の幻影として腐らせていただろう。同時にこの時点で彼女は国を見限っていたに違いない。
ここで彼は王位を得た。
基礎魔術論に基づいた新たな教育。それを推し進めた宮廷魔術師第三席ながら、その実力は当代最強と裏で囁かれていた男により派閥非主流派や従師に甘んじていた有象無象の取り込みに成功。
また非魔術師ながら国政の根幹を担う者たちを新王はすでに掌握していた。
とどめとばかりに護衛兵団総長が新たな王に強い支持を表明すると、状況を見守っていた者たちが一気に動き始め、守旧派魔術師に頼らずに国家を守れるようになった時点で勢力図は王の側に傾き始める。
そんな激動の中、渦の中心であるはずの女は自由気ままに研究を続行していた。彼女にとって国も余人も興味の外。ただ魔術の研究ができればそれで良かったのである。
周りが見えぬのは確かだが、この時に進めた研究が魔石と魔銀水、そして魔道具と騎士剣の誕生に繋がる。今現在の王国の繁栄はここに約束されたのだった。
彼の指し手はここに留まらない。
王位に就いた男がその先に見るのは人類の反撃。その為には守旧派は完全に排除しなければならなかった。何故ならばここまで晒した手札は結局魔術の発展でしかなく、魔術優先主義を変える一石ではない。守旧派を排しても利権を握る者が変わるだけでは社会は変わらないのだ。
加えて新たな魔術理論、習得術は旧派の魔術師未満も一定数魔術師に変えている。時間を掛けては根が枯れ切れていない彼らの復権は必然であり、目先の欲に釣られた者達の離反も予測された。
ここで必要としたのが発表を留めた魔石に関する理論だ。
魔石精製技術に続く魔道具の開発。その先にある非魔術師の戦力化。これを以て決定的なパラダイムシフトを狙ったのである。
これが完成すれば旧派の、しいては魔術師主体社会の崩壊に繋がる事は明白だが、王族派を支持する魔術師への裏切りとも言える。
故に信を置ける身内だけで秘密裏に進めなければならなかった。
────ここで彼は手を誤る。
彼は最適解を選び続けている。しかし、最適解が最高の未来に続いているなどという単純な世界ではなかった。
彼らが神経質に秘密を守ろうとしても、信奉者を多く抱えたラーヤの口を塞ぐ真似はできない。
繰り返し言おう。
彼女は政治に興味がない。それどころか己の研究結果が巻き起こした社会変動も人類の興亡も興味が無い。彼女の興味の全ては魔術にしかない。
故に彼らの事情に価値が無く、説明も説得も意味がない。
故に彼らはラーヤの時間を奪う手に出た。ファスト魔術学園学長の地位を与え─────押し付け、行動を制限したのである。
強引な手段に踏み切った理由は他にもある。
王族派の多くを占める非魔術師が神格化すらされつつある彼女を政治的に恐れ始めたのである。
貴族がそういう場合に採る手段と言えば婚姻だ。彼女を娶ることができれば王家すら下に置くことができると動き出す者が現れ、また王家に早急に取り込むべきだとして王との婚姻を求めた。しかしどちらも彼女が受け入れないことは明白。この干渉を極力減らすためにも関係者以外立ち入り禁止の学園に軟禁する手を選んだ。
彼らがラーヤを蔑ろにしたわけではないと理解してもらえるだろうか。彼女が彼女らしく研究を続けてもらう為に可能な限り迅速に事をなそうとしていただけ。そのわずかな猶予を生む為の一時的な措置だった。
しかしこの選択が賢王と称されるべき男に愚王の烙印を刻む。
ラーヤは学園にで『英雄』と邂逅し、人知れず王都から姿を晦ます。そして辺境にて王殺しという快挙と共に没した。
如何に理解の及ばない天才だとしても教育も受けて教育者の肩書を持つ大人が、よもや思い付きと不快感を理由に、有り余る才能を駆使して蒸発するなど誰が予測できようか。
この時点でラーヤの名は国民にも、そして他国にも知れ渡っていた。
故にこの死の一報を瀕死の旧派が起死回生の一手として騒ぎ立てる。
─────曰く「王家は中興の祖、大魔術師ラーヤを恐れ謀殺した」と。
恩知らず、先見無き無能、計算もできぬ臆病者。
ラーヤの信奉者達も含めた批難の大合唱。その理不尽に過ぎる仕打ちに心を折り、呼ばれるままに愚王の道を歩んだとしても真実を知る者たちは口を噤んで彼を支え続けただろう。
だが彼は折れない。狂気すら滲む揺るぎなさを以て、ラーヤ無き道を歩き続ける。
皮肉にも彼らが血眼になって探した最後のピースは彼女の訃報と共に齎されていた。
これによって魔石、魔銀水、魔道具。そして騎士術と騎士剣が完成を見た。
人類の逆転の一手は成立し、王国の数代に渡る繁栄は約束された。
────けれども歩みは止めない。
魔銀水で経路を刻むには金属が適切として試作された板金鎧は騎乗運用すべきとして騎士団を設立。同時に旧派排斥によって確保した財源で王国主要道に石畳を敷き整備すると、できた道から順に騎士を派遣しその力を示した。
多くの域外を鎮静化し、有効に使える土地を獲得するや余剰人員をかき集めて新たな農地開拓を断行。治水工事との並行により王国の食糧生産量は僅か五年でなんと三倍以上に増えた。
その一方で魔石、魔銀水の製法は神経質に秘匿。魔道具の試作品や出来損ないの騎士剣を他国に高く売りつけ、穴の開いた桶のような財源に継ぎ足したとされる。
彼が成した様々な施策により王国は隆盛期を迎え、なお発展を続けている。
そんな確かな足跡を以てしても人々の評価は覆らない。
この功績の全てはラーヤの物だ。
誤りではない。彼女が居なければ始まりすらしなかった。事実を改ざんし、その功績を奪い、王家の成果とすべしと進言する貴族も一人や二人ではなかったが、全て切り捨てた。神格化すらされつつあるラーヤからの更なる簒奪などできるはずもなかった。
────秘されてはいるが。
出奔した彼女を必死に追っていた王は死の知らせを聞いた瞬間倒れた。疲労───特に心労は凄まじく、命に関わる熱を出し、半年ほどの間まともに部屋から出られなくなった。
だがベッドから起き上がれず、食事をまともにとれないなど彼が止まる理由にならない。
資料は読める。報告は聞ける。指示は出せる。ならば止まる必要は無い。
目に余る無理を制止すべき立場だった者もその鬼気に呑まれ、唯々諾々と従うしかなかった。
扉の向こうでは王の全ての功績を「彼女の功績を簒奪するための悪しき策略」と触れ回られ、王家の権威は地の底に落ちた。
構わないと彼は嘯き益を取る。
そして、半年を経て彼が人前に姿を現した時、踊り狂っていた無能どもは二つの意味で言葉を失った。
太陽を失った暗黒期。
復帰した彼は愚王の謗りに然りと嗤い、愚か者に許された蛮刀にて最後の断頭を敢行する。
守旧派残党の全て。そして二割の貴族や有力者が斬首され、その十倍の人が連座したとされる。
代わりとしてすでに選出を終えていた才あるものを身分に問わず取り立て穴を塞ぐと、次いで魔術師、騎士の教練施設を拡充。貴族法を改め貴族の「斯く在るべし」を改めた。
「益を享受し、恵まれた生を謳歌する者よ。非才は許されど怠惰は罪と知れ」
立場にて得られる利益があるのならば、対価の勤めを果たすべし。
浪費しかできぬ無能者の血が処刑場を乾かす暇を与えず、追い詰められた者の無様な反抗は騎士剣の名を高める贄となった。
とある乱では騎士三百名が四千の兵を一日にして撃破。降り注ぐ魔術の一切を騎士盾は弾き散らし、反逆者の心胆を凍り付かせたとされる。
その後随伴の宮廷魔術師二名が城門を瞬く間に割り砕き、開戦から二日で首謀者全ての首級を上げた。
この一件にて敵対勢力は次々と降伏、恭順を示しここに王国の体制はまずの完成を迎えることになる。
吟遊詩人に曰く『落日の涙』事変は二年で収束。以降は狂王の仮面を捨てた彼は静かに、そして確かな政治を淡々と続けている。
「陛下」
どこか薄暗く、人の気配が薄い執務室に一人の影が舞い降りると膝を突き臣下の礼を取る。
国王の執務室に出入りを許された男は彼が直接指揮する諜報部隊に属する者だった。
「術師長閣下が独断で護衛兵団より人員を抽出。辺境に派遣したとのことです。
目的については不明。全て口頭でなされ、一切の記録に残していません」
辺境という言葉に書き物をしていた手が一瞬だけ停まる。
護衛兵団の統括は宮廷魔術師。そこから人を出すことは別におかしい話ではない。辺境もそろそろ間引きを検討しなければならない頃間だ。その調査は辺境軍の仕事だがここ数年、地方に滞在する軍隊の緩みも耳にする。大事になる前に手を入れる腹積りか。
だが───それだけの報告なら軍務大臣の仕事だ。彼に直接報告するような内容ではない。
「それで?」
「ファスト魔術学園にて、『真円の印』を見たとの噂が広まり、箝口令が出されました」
今度こそ、彼の動きは止まった。違う。そんな小さな変化ではない。筆を持つ手が細かく震え、目は虚実を彷徨うように揺れ動いている。
「その手紙は見つかった部屋の生徒を担当する導師に預けられました。その際に偶然尋ねてきた術師長もご存じとのことです」
「今すぐ術師長を連れてこい! 王命だ!」
王命など安易に出すものではない。
逆らえばあらゆる権限の喪失と共に国家反逆罪として一族郎党連座で処刑となる。それだけ重要な命令であり、口頭で出すものでもない。
だが、この件に限っては彼を非難する者いまい。受けた男も驚くことなく「はっ」と言葉を返し、部屋を後にした。
既にそうなると予想して彼は部下を術師長の所へ向かわせている。
王の忠臣として、その心労が僅かでも和らぐことを願いつつ影は次の行動へと移る。
そうして残された男────彼は筆を置き、震える右手を左手で押さえた。ややあってその手で顔を覆うように添えて、嗤う。
その笑みが何を意味するのか。誰にも────もしかすれば彼自身にも分かりかねる事だった。
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