第19話

「だ! 団長!!」

「なんだ騒がしい」


 色々な理由で最近は機嫌がすこぶる悪い第四騎士団長はノックもなく駆け込んできた部下を睨む。


「術師長がお見えです!」

「はァ?」


 予想から全速力で駆け離れた報告に予算書を睨みつけていた目をより険しくする。


「近衛と建物を間違えたんじゃないのか?

 ウチは第四だと教えてやれ。

 ……丁寧にな」


 第一、第二騎士団は近衛としての役割も帯びており、上位の護衛兵団と共に王宮や王都の国家重要施設の警備を担当している。宮廷魔術師長が顔を出すならそっちだろ眉をひそめた。

 ちなみに第三は王都警備隊の統括を兼ねており、第四以降が派遣部隊。即ち域外の有事を担当する部隊となっている。


「まだボケを心配されるほどではないのじゃがな」

「客なら大人しく待ってろよ……」


 指示を受けて振り返った団員が凍りつく向こうから老人の声が飛ぶ。

 頭をガリガリと苛立たしげに掻いた男は立ち上がると、部屋の隅に設えたテーブルを視線で示す。


「術師長殿。このようなむさ苦しいところへ態々足を運ばれるような理由に心当たりがありませんが、御用向きは?」

「セラキスがどこに行ったか知らんか?」


 嫌味混じりの問いかけをガン無視し、団員の脇を抜けた老人が無造作に投げた問いに不覚にも動きを止めてしまい、舌打つ。


「知りませんね」

「掴んでおる情報を寄越せ」

「……彼女は学園生徒でそちらの管理下だった筈ですが?

 勿論、今はそうでないと理解していますが」

「相当に入れ込んでおると聞いたが、そこまでか?」


 誰だよそんなこと言った奴は。そう口に出さずに毒吐く。


「頭が良く気が利く。遠征にも文句なく同行して良く働いてくれたのだから、勧誘したいと思って当然でしょう。

 要らないと放り出したそちらにとやかく言われることではありませんね」

「セラキス本人の資質については置いておこう。わしの目的は彼女ではない」


 予想が尽く外れる。老人の返答に団長は眉を顰めた。


「それでは何故?」

「ラーヤ前術師長。あやつの影があった」


 その返しに動揺するなと言う方が無理だ。王を差し置いて『中興の祖』とまで言われる彼女の名は騎士云々など関係なく、この国の者として決して蔑ろにしてはいけない。


「あの方が域外に消えてもう三十年以上ですよ。俺の産まれる前の話です。

 あの方は『王殺し』の戦いで死んだ」

「わしとしては国に嫌気が差して死んだふりをしたとしても不思議でないと思っておるがのぅ」


 言いながら、老人は過去を透かし見るように目を細める。


「確かに遺体は確かな人物を含む複数の目で確認されておる。

 国葬にすべきとの声もあったが、遺言に倣って辺境に葬られた」

「だったら……」

「だがのぅ。あれが殺して死ぬようなヤツか?」


 老人が常識を蹴飛ばした。


 ラーヤ───その名は過去を嘲笑い未来を作り上げた大天才の物だ。馬鹿らしいと思いつつも数々の常識を変えたという事実が「あり得ない」の一言を心理的に拒ませせる。


「あやつの目はわしらの見えない物をずっと見ていた。もはや天才と呼ぶのも烏滸がましい。阿頼耶識の奥、原形の深奥────『真説』に触れたと幾人が唱えたか。

 黄泉から歩き返るすべを見つけておっても驚きやせんよ」


 伝え聞いた話でなく、直にその存在を見た者にとっては三十年という時間は長くないのかもしれない。昨日の事のように語る言葉は質量すら伴っていた。

 「ありえない」の一言を呑まれてしまった彼は言葉を探す。


「……セラは平民で孤児だと言っていました。年齢からしてもラーヤ殿と関係があるとは考えづらいのでは?」

「関係があることは確定しておる」


 即座に断言され、息を呑む。

 妄言の持つ揺らぎは僅かなりも認められない。


「それで、どこの出身じゃ?」


 沈黙を許さない。安易な秘匿も許されない。

 勧めた席に着くことも無く巨躯の騎士に相対する老人は宮廷魔術師長で国政においては王に次ぐ次席という高みの存在だ。


「……辺境です。『王殺し』の街の出と」

「やはりあそこか!」


 こうしてはおれんと身を翻そうとする老人の肩を大きな手が慌てて掴む。


「ラーヤ殿については口出しする気はありませんが、セラについてはうちで引き取ります!」


 このままではセラキスが何も知らなくても責め殺しかねないと思わず騎士術まで使って老人を止める。伝説となった大魔術師の価値に代替えうる物などないだろうが、それで金の卵を産む鶏を縊り殺されてはたまらない。

 首を回した老人が動揺に揺らぐ騎士団長を窺うように見上げた。


「ふむ。そこまで固執するか?

 ラーヤの足跡はどんな些細な物でも手にすべきと分からんわけであるまい?」

「だとしても、俺が生まれる前に死んで音沙汰が無かった存在ですよ。曖昧な情報に踊って優秀な人材を失うのは余りにも馬鹿げている」

「魔術師未満に何を以って優秀とする?」


 騎士術に漏れた魔力が狂気を潜ませたか。貴族として、魔術師として、重ねて研究者として長い時間を生きた目が若造の内を覗き込んでいた。

 渦巻く情念に引きずられて感情を出し過ぎたと今更に後悔するも、しかしこれ程強く言わなければ手段を問わない怖さがある。こうなっては出し抜いて動くわけにもいかない。伯爵家の出であり、個人は名誉侯爵に封じられた傑物に剣を振るのが多少得意な男爵家の四男坊の立場など安宿の壁よりも薄く脆かった。


 追い込まれた状況に眩暈と胃の痛みを歯噛みで潰し、目に力を籠めた。


「まだ知っていることがあるようじゃな?」

「……」


 理性と自制を思い出した老人だが、焦燥と飢餓の相は薄れていない。

 狂気が失せれば現実に立ち戻ることもできようが、乾ききった体は如何な理性があろうとも、水音に抗うなどできようもない。

 言葉が浮かばず、焦る。興味が失せれば制止の手など薄布よりも軽く払われてしまう。しかし彼がセラキスの持つ特異な力を知らないのは明白だった。これを口にしては─────


「愛です!」


 突然の第三者の発言に目を丸くしたのは術師長だけではなかった。

 そこに立つのは状況に置き去りにされたまま空気に呑まれて立ち尽くしていた団員だ。その彼は覚悟を決めた顔で名誉侯爵に告げる。


「団長はセラキス嬢を好いているのです!

 されど御立場故、平民を相手に迂闊な事を言えないだけなのです!」


 己が部下の口と顎を掴んで黙らせる姿を幻視する。

 しかしそれを現実にすることを第四騎士団団長は限界を超越した自制で留めた。

 突飛すぎて無理筋にも感じるが、確かにその説明なら己の熱心さにも説明が付く。

 

 ……付くのか? いや、やはり突飛すぎるだろ。それに一個人の好悪の感情でどうこうなる場面かこれは。相手方の皿に乗っているのは国宝とも言える大天才だ。恋愛は政治取引の一つでしかない貴族の天秤を揺らせるとは思えない。

 ツッコミで胸中を埋め、自分が良しとした判断を迷いに汚しながらも喉は凍り付いたまま。窺えば術師長も目を丸くしつつも返す言葉に迷っている。


 え? 通用してるの? と目を瞬かせれば、老獪な老人は嘘と断じることなく、「そ、そうか」と気まずそうに視線を泳がせた。


「その、なんだ。確かにおぬしの言うことにも一理ある。

 彼女に無意味な危害を与えぬように配慮しよう。うむ」

「……」


 幸いにして事態は望む方向へ転がった。だから更に下手なことが言えず、棒立ちになる騎士団長、二十五歳独身。

 四男の為に家の爵位を継承する権利は持たず、何も為さなければ平民になる立場だったため政略的な婚約者は居ない。騎士団長になり名誉子爵を授与されてからは縁談も増えたのだが「団長って詰所に住んでいたりしますか?」と団員に疑われるほどの仕事人間故に、その一切が進展せずに破談になっていた。結果、今に至るまで彼に恋人や婚約者が居たためしが無い。


「ああ、続報あれば貴殿にも伝えるとも。

 先に語った通り、わしが動いておるのはラーヤが目的であってセラキスなる娘ではないからな!」


 いや、爺さん。完全に声の調子がアレだ。人の縁談と噂話だけが趣味のクソ婆……祖母とそっくり……そう言えばこの老人と同期じゃなかったか?

 いや、そこじゃない。さっきの周囲の空気すら歪ませそうな想念をどこに隠した。


「では失礼するよ!

 朗報を待つと良い!」


 すっかり気抜けして緩んだ手から抜け、そそくさと言うには軽い足取りで去っていく通称「王国最高の魔術師」。

 その姿が消えてたっぷり二十は数えた所で騎士団長は老人の背を呆然と見送る団員の肩を掴んだ。


「で?」

「へ?」


 何? という顔が即座に苦痛に歪み、しかも騎士術混じりの膂力は我慢の許容をあっさり超えて悲鳴すら許さない。


「今のはなんだ? おい。なぁ?」

「─────!?」


 声鳴き悲鳴を上げる団員に穏やかに、彼は務めて冷静に問いかける。

 生存本能で騎士術を発動させ身を守ろうとする団員だが力量差は歴然だった。ミシミシと骨が鳴るような痛みに意識が遠のきつつある。それでも彼は王国を守る騎士の強さを見せて最後の力を振り絞った。


「ふ……」

「ん?」

「副団長が……セラちゃんを探す……理由……って」


 解放された団員は力尽き意識を手放した。その場に崩れ落ちる。

 しかし、そんな些細な事はどうでも良いとした男は肺、腹膜、喉に騎士術を漲らせて大きく息を吸った。


『全員! 即座に整列せよ!!!』


 小規模の地震が発生したかのように窓枠が、壁がビリビリと震え、その爆音を間近に受けた哀れな団員は気絶しているのに反射でびくんと跳ねた。


 ────なお、その後第四騎士団は突然の強化訓練合宿により三日ほど機能停止したという。

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