第8話

 さて、『行ってきます』と言ったものの私達の活動範囲はこの街とウィロの親が支配する域外の森になる。

 親の縄張りを荒らすのかと言われればその通りだけど、王は頓着しないだろう。

 『王』とは域外の中心と接続している存在だ。しかしそうして生じた『域外』に発生した魔物や土地そのものを管理している訳ではない。実際生じた魔物はお互いに殺し合い、力を蓄えていく。そうして王を超えた時、域外の王の代替わりが生じると言われている。つまり保有する域外の魔物は決して王の部下でなく、総じて敵なのだ。


「しっかし、嬢ちゃんが操魔獣士とはなぁ」


 衛兵ドゥさんが感慨深げにウィロを見る。


「この真っ白な毛並みは英雄様が討伐した王と同じじゃなぁ」

「そうなんですね。あ、もう行きますから」

「おう、くれぐれも気をつけてな。

 犬っころもちゃんと嬢ちゃんを守るんだぞ?」


 ウィロがきょとんとしながらも、とりあえずと言った感じで『グル』と短く唸った。


『犬っころって何?』

「ウィロに似た動物がいるのよ」

『へー』


 念話は望む相手にしか届かない。彼の疑問に小声で応じつつ森への道を進む。


『操魔獣士ってのは?』

「魔物を支配して操る魔術師ね。他の人から見たら私はウィロを支配しているように見えるのよ」


 魔物は魔力でできている。だから魔術と同じく支配操作できるはずだ。


 この理論から生まれたのが操魔獣術だとされる。

 ただこの術はずいぶん昔に使い物にならない欠陥技術とされて廃れている。支配し続けるということは魔術を使い続けるのと同義。必然として魔術師は他の魔術を行使する余裕を失ってしまう。

 また、支配できる魔物も当人が扱える魔術技量の範囲なので、一匹支配するくらいなら同等級の魔術で倒した方があらゆる面で効率が良い。

 今となっては鳥や鼠などの弱いけど偵察に向いた小型の魔物を支配して陽動や諜報に使い捨てる方法、そして一瞬支配して行動を邪魔するという技として残っているらしい。


『友達なのにな!』

「勘違いしてもらった方が都合は良いけどね」


 大抵はただの狼と思っているだろう。飼い犬ならぬ飼い狼の証として首に巻いたスカーフの端が踊るのを眺めながら苦笑を漏らす。これは犬や猛禽、狼などを使う猟師の慣例だ。魔物を相手にする探索者が動物を使う事は少ない。


『あれ? どこに行くんだ?』


 真っ直ぐ森に向かうと思っていたウィロが疑問符の念話を送る。私の進行方向は森の外周をなぞるものだ。


「今日は先生に挨拶に行くの。ウィロも知ってるでしょ?」

『あー』


 微妙な反応はあの人をやや苦手としているからだろう。眉尻を下げながら温かい日差しと森からの魔力を感じつつ暫く歩くと、不意にウィロが足を止めて森を凝視する。


「ウィロの方が探知範囲広いのね……」

『あいつの魔力、変だからわかりやすい』


 変とは。

 とにかく〈魔力探知〉に集中すると私は盛大に顔を顰めた。


「先生、私に気づいて魔力を偽装してる……?」


 反応の一つに妙な感覚がある。関係ない魔物と思って注視しなかったそれが不意に揺れた。悪戯が成功して喜んでいるに違いない。


「もう……! 先生は変わらないね」

『変わらないだろ』


 ウィロの同意が私の意図と違っているのは明白だけど、指摘するほどでもない。

 それよりも先生が別の遊びを思いついて隠れられると面倒だ。

 他の魔物の反応に気を付けながら森に踏み入った私は薄暗い道なき森を歩く。

 その先に不意に現れる開けた場所。そこに佇む女性は微笑みを持って私を出迎えた。


 ローブと杖という装いの彼女は楽しげな声音を私に向ける。


「おかえり。学園はどうだったかな?」


 見た目は二十歳を少し過ぎたくらいの金髪碧眼の美人だ。まとう衣服は魔術師らしいローブではあるが、細かい刺繡が散りばめられており、身を飾る装飾もささやかでありながら彼女を引き立てている。

 でも私はそれらを差し置いて、偽装をやめて動き始めた『恒常魔術』という常識外の現象に意識を奪われていた。


「よく勉強してきたようね」


 視線で彼女のまとう魔術を見定めていたと気付かれた。〈魔力探知〉に視覚情報は不用なのだけど、人間の性質がそうさせてしまう。命のやり取りをする探索者としては早めに修正しないといけない悪癖だ。


「先生に振り回された気がします」

「得るものは大きかったでしょう?

 設備や資料は充実しているし、何よりファスト以外なら中級魔術を使えないからって放り出されたりはしない。

 それとも『従師』として現場で酷使されたかったかしら? 一応国軍だから生活は保証されるけど」

「それを望んでいたら今頃別の教練学校に通っています」

「でしょうね」


 魔術師というだけでそれなりの希少性がある。それなのに放逐されたのはファスト魔術学園と騎士の最高教練所であるアイン騎士修練院は卒業生に準爵の地位を与える決まりがあるからだ。平民以上貴族未満、一代限りという半端な立場とはいえ、爵位給も出るし士官待遇や国立の研究所への所属が許可される。だからこそ落ちこぼれをお情けで置いておけないのだ。

 退学者は原則格下の学校に移籍し、それでも魔術師足りえないままなら従師として軍属になる道に進むのだけど、私は予定通りに速やかに王都から離脱した。

 下級兵でも軍属になれば生きるには困らなくなる。魔術師でなくても魔術を使える国軍従師は先生が言う程扱いは悪くない。探索者とは天地の差だし、他の一般職と比べても良い生活ができる。勿論軍人なので危険は付き物だけど前衛職よりは安全なのも大きい。


「では成果を聞きましょう」


 先生が楽しげに笑い、私の背後に土を固めて造られた椅子が生まれる。同じように彼女の後ろに椅子が現れ、確認することなく腰掛けた。

 学んできた今なら分かるけど、こんな魔術は世界の最先端ともされる王都のどこにも無かった。


「まずは宿題ね」

「はい」


 私も腰掛け、ウィロはその場に伏せる。

 宿題という名の彼女への対価は三十年以内で発表された魔術研究論文の中で有用性の高いものを選別し報告する、というものだ。

 ただ学園資料室に収蔵された論文を読んで報告すれば良いと考えていた私は、その作業を進めるにつれ、その難易度に頭を抱えることになる。

 なにしろ『発表』される論文はファストだけに限らないため年に数百件。全てに目を通すのは当然不可能。そこから『有用なもの』を抽出する為の知識をまず求められ、読み比べていくうちに誤りや虚偽を見抜けるようになり、誤った知識の修正や読み違えた部分のやり直しが必要になった。そんな事をしていたら寮と図書館を間違えていると指摘された。


「えっと、まず魔術属性に関する分類の見直しについてですけど……」


 ただ、その甲斐あって私の知識は間違いなく増えた。少なくとも座学で困った覚えがない。


 欠片の興味もないウィロが伏せたまま寝入ってからかなりの時が経ち、日が傾いてようやく私の口は語るべきを終えた。


「それで」


 一拍の間をおいて彼女は綺麗な顔でニヤリと笑いながら問う。


「一番を選ぶならどれかな?」


 私は、大きく息を吸い、その全てを溜め息として吐き出した。

 それだけで彼女は笑みを濃くする。嗚呼、本当に全部この人の手のひらの上だ。


「基礎魔術論。三十五年前に貴方が書いた論文です。

 教科書になっていましたよ?」


 宿題の指定範囲外。しかしそれ以外の答えを私が得た知識は許さない。

 呵呵大笑する魔女を私は半眼で眺めつつ、その内容を反芻する。


 それは名前の通り魔術の基礎を論じたものだ。しかしファスト魔術学園は創立百年をゆうに超えている。魔術そのもの紐解けば、それより遥か昔から使用されてきた。

 即ち、彼女は魔術というものが曲がりなりにも学問としての態を形作ってから数百年の時を経て『基礎』を再定義────あるいは初めて正しく定義した。


 魔力とは何か、魔術とは何か、魔物とは何か、魔境とも言われる域外とは何か。

 長く語られてきた元素論を鼻で笑い、権威主義の魔術師を嘲笑し、刹那の幻想であった魔術を物質に刻む魔道具を実現したその理論は、名前の通り魔術師の新たな基礎に納まった。

 学校分けの初期試験で満点が取れるわけだ。試験も授業もその全ての基礎は彼女が作ったのだから。


 そして、それがわかったから彼女の笑いに諦観が宿っている事にも気づいてしまう。


「変わらないわねぇ」


 懐かしむ言葉ではない。

 侮蔑と落胆。三十年以上前に学園を離れたと言うのに、彼女に学んだ私が満点を取れてしまうという事は、未だ自分が『基礎』と銘打ったその地点から進めていないという証左とも言える。


「まぁ、『彼ら』の不甲斐なさのせいだから、条件違いには目を瞑って特別に満点を上げましょう。

 そして次の課題よ」

「え?」

「私と契約すること。それが次の課題」


 得た知識の通りであれば、齢五十に近いはずの先代ファスト魔術学園校長兼宮廷魔術師長、重ねて三十年前の『王殺し』の介添人ラーヤ先生は薄く笑ってそう言い渡したのだった。

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