第5話
教育機関であり研究機関でもある学園では植物紙が使われている。手作業での生産品とあって庶民が気軽に使うことはできないが、獣皮紙に比べれば遥かに安価であるそれを生徒も枚数制限付きで支給を受けることができた。
そんな紙が一枚。風に飛ばされ、学園内を歩く老人の顔面を覆うように激突した。
「うわっぶ! なんじゃ?!」
裏道を使って研究棟に向かっていた老魔術師は、顔から引き剥がしたそれを不快感任せに丸めようとして、手を止める。
「……ぬ?! 騎士剣の図案か?
一体どこから?」
周囲を見渡すと学生寮のゴミ捨て場を捉える。そこには鳥がイタズラしたのか、解けた紐と複数枚の紙が散乱していた。
重要機密でなく学生の落書きかと彼はとりあえず安堵。
「誰じゃまったく……
しかし捨てるにしても気を遣うように指導せねばのぅ」
学生が書いたもの程度ならと甘く見ていると将来酷い流出事故にも繋がりかねない。ここの卒業生徒は要職に就く可能性が高いのだからなおさらだ。
老魔術師は眉をひそめながら不届き者は誰かと見定めようとする。それからすぐにシワだらけな顔にシワを増量し、図面を凝視した。
ややあって地面に散乱している紙にも手を伸ばし、一つ一つを確認していく。
「なんじゃこの……欠陥品は……?」
そう口にしながらも数枚の図案を見比べる。違和感が強い。不気味さすら覚えるそれの本質を見極めようとする。
「恐らく基礎知識はある。むしろ学生の落書きにしては図面がしっかりし過ぎているまである。
しかし……棍……杖か? いや、形はまだ良い。
何ゆえに木製じゃ? これではすぐに折れるじゃろうに」
騎士剣は『剣』という言葉が入っているが特殊な処理をされた武器の総称だ。槌や斧槍など形態は様々にあるが、共通事項として必ず白兵用武器だ。
つまり振り回してぶん殴る事が前提なので、その素材は原則金属が採用される。
「んん? いや、これは、もしやこの経路、外に刻まず、内部に刻むつもりか?
その為に張り合わせをしたいから木製?
いや、なぜそんなことを?」
通常の騎士剣は掌から表層に魔力を伝える為に表面に経路を描く。内部を通しては意味がないとは言わないが、空洞化は武器の耐久性を著しく損なうのが明白なため、思いついても捨てる思想だ。
「経路も複雑……いや、もしや、術式回路?
ならば、騎士剣ではなく魔道具のつもりか?
しかしそれでも杖型にして中に通す意味が分からん。回路なら金属板の方が良いじゃろうに。
そもそも回路のつもりなら長すぎて損耗が勝る。発動する前に霧散するぞ」
苦言に苦言を重ねながらも老人はその紙を投げ捨てない。
一枚だけなら偶然と妄想の産物と終わらせただろうが、十数枚同じ方針で設計がされているなら話は変わる。製作者には確実に知識と明確な理論、そして設計思想がある。妄想に囚われただけなら、その枚数を重ねるごとに支離滅裂が顕著になるはずだが、不気味な一貫性が彼を放さなかった。
「そも魔道具なら肝心要の〈変質〉部分が回路にない。その上途中で回路が途切れているではないか。
ここまでしっかりと書き込んでいてこんなミスをするものか?」
熟練魔術師は古代の謎を解くような真剣さで視線と思考を走らせる。
「……あえて書いていない?
ふむ試しに作ってみるか?
いや……『捨てた』ということはやはり根本的な失敗には気付いておるのじゃろうな。
……やめておくか」
一息ついて、果たしてこの図面の作者は学生なのだろうと思考を切り替える。
そもそも学園生徒には騎士剣や魔道具の製法は教えない。では生徒でありえないかと言えばこの図面程であれば独学でも何とでもなる。教えるとすれば三年次に魔術師でなく魔術技師の道を選び、研究棟に見習いとして所属した者くらいだ。
何よりも、回路を描く材料についての記載が無い点が学生である可能性を高めている。
「独学にしては……思わず流出を疑った位には良く出来ておる。
一方で真っ先に改善すべき回路の長さに全く手を付けるつもりが無いのが不可解に過ぎるわい。もしやこれを何とかする技術を隠している……? 」
立ったままぽっくり天に召されてしまったのかと心配になる時間を経て、老魔術師は譫言のように呟く。
「アレを回路に使っていないのは……アレでは回路が焼き切れることは明白だから?
……むむ?! そもそもこの図面には魔石を取り付ける箇所が無い!
よもや直接魔力を流し込む前提か!?」
驚きつつも『ありえない』と彼の経験が唱えるが、しかしこの仮定が誤っているとはどうしても思えなかった。
「いや、仮にこの回路が成立しておるとしてじゃ、わしが使える最高位級魔術を使うつもりで流しても、回路を走り切る魔力は初級魔術の出力程度が残るかどうか」
魔力は空気中では塩が水に溶けるように急速に霧散する。故に〈保有魔力〉で捕らえ、体内で魔力を加工して放つ。この技術を指して『魔術』と称する。
無機物は人体に比べれば底の抜けた桶のようなものだ。だから『ある技術』が発表されるまで騎士剣や魔道具は夢物語に過ぎなかった。
「いや待て……確かこっちの紙に……『核』の記載が、やはりあるな……!
もしや材料として核を使う前提か? 故に回路にアレを詰めていない?
確かに核の性質なら漏洩を抑えて魔力が回路を滑るかもしれん。
じゃが……これほどの大きさの核となると相当な、ほぼ中心部の魔物から出るかどうかでないか?」
この国でも最高峰の知識を保管した頭脳が老齢を厭わずに謎の追及を推し進める。
「そも、確かにその性質は明らかであれど、上手くいくものかのぅ……
実験しようにもこれの半分の大きさの物も滅多に見ん貴重品じゃ。
作者も試したわけではあるまい」
ほう、と吐息を漏らし、彼は空を見上げた。
ややあってぽつりぽつりと言葉を漏らす。
「これは恐らく騎士剣でなく、魔道具。しかも恐らくは中級魔術以上を発動させることを目的とした物じゃ。それ故に魔道具に用いる魔石では出力が足りないため、使用者が直接魔力を流す前提としておる。
この時点で使用者は自らの保有魔力を扱える必要がある。中級魔術ならば魔術師がこれを使う意味が無い。故に従師用と考えることができるが……いくら核の性質を利用したとて漏洩が全くないわけでない。魔術師になれん従師にそれほどの出力を求めている点で矛盾しておる」
チリと何かが老人の脳裏を掠めたが、疲れを感じて「集中し過ぎたか」と無視してしまう。
「はぁ……結局、これを書いたのは何者じゃ?
署名もない。
ぬ? この指紋は……女のものかの?」
墨が指にでも付いたか、紙面に残ったそれで若い女性だと推測する。そうなると学生の中でもとりわけ優秀で、しかし貴族ではない研究肌の誰か……
「おったか? そんなの」
ここは魔術兵科学生寮のゴミ捨て場だ。普通に考えれば寮に住む生徒だろう。基本貴族はそれぞれの邸宅から通うため除外される。つまり一般人出の魔術師見習い。この時点で候補は誰一人思い浮かばなかった。
「ここまで図面をひけるなら技師が弟子に欲しがりそうなもんじゃが」
原点に戻って、学生寮のゴミ捨て場に、しかもこのレベルの図案が無造作に捨てられているのは明らかな異常だ。捨て置けないほどの。
図面の謎は解明しきれていないが、筆者を見つけ出せば一石二鳥となる。
「ふむ。ちと調べてみるか」
場合によっては技術開発部などから盗まれたものの可能性もある。
老魔術師は図面に描かれた普通では手に入らない品々に目を細めつつ散らばった他の図面もかき集めるのだった。
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