第3話


「セラが退学になった?!」


 ここは王都の第四騎士団詰所。

 詰めていた団員は、二階の団長室で事務仕事に従事しているはずの長の声に何事かと見上げた。一方その声の発生源である男は報告してきた団員を強く睨んでいた。


「は、はい。人伝ではありますが、進級条件を満たさなかった為とか」

「すぐに連れて来い!」

「それが、二日前のことで既に寮も出ており、行方が分からないそうで」

「はぁ? 他の教練所に移ったんじゃないのか?」

「魔術教練所に対して踏み込んで調査はできないので明言できませんが……王都から出たという目撃情報もありまして」

「探せ! 下のやつも使って構わん!」

「探せって……あ、いや、はい!!」


 慌てて駆け出す団員の背を忌々しく睨み、頭を掻いてどかりと座る。それから実務机に広げていた書類を見て眉根を寄せた。寄せすぎて頭痛すら覚える。


「クソッ! こんな事ならさっさと勧誘しておくんだった!」


 来月に予定されている『域外』遠征の計画書の草案を睨みつつ愚痴る。もしそれを別の団長が見たなら「何年団長をやっているんだ」と苦言を呈するだろう。

 その計画書には一目で分かる重大な問題があった。


「あの地域は川も村も遠いんだぞ。セラの協力が無いと費用がどれだけ違うと思っている……!」


 その問題とは『水樽』の量が明らかに少ないこと。途中通過する村での補充を加味しても予定活動期間の二割も持たない。

 もちろん彼が書類仕事のできない男と言うわけではない。分かったうえで故意にそうしている。事実本部に提出する資料が別にあり、それを見れば他の団と大差ない数になっていた。

 目の前の欠陥予算書はセラキスという魔術師見習いの存在があって成立する物だった。


「見つからんとなると……」


 ただ水を必要分足せばいいだけとはいかない。水樽を運ぶための荷馬車が増え、荷馬車が増えれば馬が増え、食事の飼葉が増え、さらに荷馬車が増える。御者分の随行員が増え、雪だるまのように必要物資は膨れていく。つまり経費は跳ね上がる。

 その差額を思えば、頭が痛くて仕方ない。


「学園も何を考えている?

 いくら初級魔術しか使えないからって、あんな無尽蔵に魔術を使えるやつを退学させるなんて」


 中級魔術を習得できていない彼女がファスト魔術学園の進級に問題がある事は彼も理解していた。退学判定も規則に基づけば不当ではない。

 しかし、それを曲げても学園は彼女を止め置き、卒業まではさせると予想していた。そうでなくても他の教練場への移籍が妥当だ。そうなれば三年次の合同軍事教練でうまく理由をつけ、引き取る形で騎士団付きに引っ張り込もうと画策していた。


「頭でっかちどもが……」


 初級魔術と中級魔術の差は魔術師でない彼でも知っている。


 『魔物に通用するかどうか』


 魔物とは魔力が核を起点に身体を構築した存在だ。

 弱い魔術はより大きな魔力の塊である魔物には通じない。この魔物に通じるかどうかが『初級魔術』と『中級魔術』の境目となる。

 域外の魔物と戦う軍人育成を主目的とする教育機関が中級魔術の習得を必須とするのは当然だ。公式に魔術師を名乗れるのは中級魔術を習得した者に限られる。


 だが、軍は直接戦力だけで成り立たない。

 輜重隊、工兵隊、事務方などなど国営教育機関で学んだ者には仕事はいくらでもある。だから素行不良等は別として戦力として落第になっても普通は退学とはならない。

 困ったことに、彼女が居たのは例外的な学園だったのだが……


 男は窓の外に目を向け、彼方を睨む。

 その視線の先に彼女が居たなら窓から飛び出してでも捕まえただろう。


 セラキスは普通ではない。魔術師兵として中級魔術が使えないなんて些細と言えるほどに。

 一般的な魔術師ならバケツ十杯も水を出せば魔力切れになるのに、馬を含む騎士団一隊の飲料水を余裕で賄える。それがどれだけ凄い事か。攻撃力が無いため初級魔術に分類されている〈発火〉や〈水作成〉、〈加熱〉等々を無尽蔵に使える彼女はたった一人で中隊規模の水や燃料を余裕で賄ってしまえるのだ。


 思い返せば思い返すほど、自分の甘さに腹が立つ。

 腹の内で自分への苦言を限りなく吐き捨て、どかりと椅子に座り、天井を見上げる。


 学園生徒の特権を使い、騎士団に見学という名目で域外調査の資料を漁りに来た平民出の貧乏学生セラキス。貴族だらけの学園に通う彼女の様々な事情を不憫に思い、軽い気持ちで遠征の従兵に雇った彼は、彼女の有する尋常でない魔力量に唖然としたものだ。以降の遠征では報酬で釣って必ず同行させることで結構な経費削減を成功させていた。


 なお、そうして浮いた金は決して着服などせず、セラキスへの報酬と団員への慰問や財務官が渋る設備修繕や装備の補充修理に充てていた。貴族の出でありながら融通は利くが悪徳に染まらない、団員に慕われる良い騎士団長である。


「火も好き勝手に起こせる、探査魔術を呼吸する態で連発する、野外で風呂に入れる水を出せる。ファスト所属じゃなければ即座に見習いに引っ張ってきたってのに!」


 騎士と宮廷魔術師は同じ王を仰ぐ同僚であるはずだが、どこぞの陸軍海軍のような派閥争いが常態化していた。そしてファスト魔術学園は宮廷魔術師のお膝元である。落ちこぼれとはいえイチ騎士団長が勝手に引き抜きなんてすれば、彼女がどんな立場であろうと政治闘争に発展させられていただろう。監視の目が無い状況で勧誘しても、軍属なら秘密にするなんて不可能だ。安易な勧誘などできなかった。


「他国に持って行かれたら目もあてられんぞ!」


 彼に弁明する者は居ないが─────学園教師も無能が雁首揃えているわけではない。むしろ優秀な人材の宝庫だ。それなのにこの事態になった理由は単純で、彼らはセラキスが無尽蔵な魔力を持つことを知らなかっただけだったりする。そしてそうなった原因は大いに驚き、その魔力量が普通ではないとセラキスに理解させた彼にあったりするのだが、今の彼にはあずかり知らぬことだ。

 学園もそれを知っていれば彼女を放逐などしなかった。重ねて言えばランクが下の教練所に移籍すると考えており、まさか退学を当然と受け入れ王都から去るなど考えても居なかった。


 苦虫を噛み砕いて胃もたれした団長は、その苦さを盛大すぎるため息に込めて吐き出すと、まずは目前に迫った遠征計画の修正に渋々取り掛かるのだった。

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