異世界でリンゴは下に落ちるか?

 リンゴが樹から落ちているのを見て、物体と物体の間には互いを引っ張り合う力が働くということを考え着いたニュートンの逸話は有名だ。「なぜ物は下に落ちるのか?」といった小さな疑問から出発し、それらを解決する公式を導き出すまでの過程は天才と言わざるを得ない。

 そんな昔の偉人達の発見が積み重なり、現代を生きる我々の生活を支える知識が形作られていく。重力という概念が、人々の共通認識として受け入れられ、当たり前の現象として考えられていることが、その凄さを物語っている。常識は人類の歴史における成果の一つと言えよう。

 さて、その常識は異世界でも通用するのだろうか? 答えは否である。

 そもそも異世界という存在を改めて定義すると、我々が住む世界とは違う法則で構築された世界と言うことができる。長い長い歴史を費やして築き上げた物理学の公式達が、異世界では通用しないのだ。

 地球と月で重力が違うという次元の話ではない。物体が持っているエネルギーは熱に置き換えられるが(この表現もあまり正確ではないが)、異世界では【魔力】という全く違う概念が登場してしまうのだ。

 多くの異世界では、【魔力】(※1)は空中に漂っており、それらを使役し操ることで不思議な現象を意図的に引き起こすことのできる【魔法】という技術体系を築き上げた。

 その【魔法】によって引き起こされる現象を、我々にとって馴染み深い物理学に当てはめようとすると、「狙った場所に漂っている空気中の原子を、意図した通りに高速で移動させ高温にする」「狙った場所に漂っている空気中の原子の動きを止め、絶対零度と同じ状況を再現する」といったような形になる。

 少なくとも現代の技術では起こすことのできない事象である。ましてや何の道具も使わず、詠唱といった単純な手段では。それを可能にしてしまう法則に支配された異世界と、科学により発展を遂げた我々のいる世界において、根本的に法則が異なることを示す面白い話がある。


 1840年。9月11日。ヨーロッパの西海岸。

 突如としてポータルが出現した。ポータルというのは、世界と世界の間を繋げるために空けられた穴のことを指し、当時、異世界についての理解が浅かった現地の人々は、何事かとポータルの周囲に集まっていた。

 しばらくするとポータルの奥から、真っ白な全身タイツのようなものを着込んだ集団が乗り込んできた。片手には白い杖のようなものを持ち、目元は黒いサングラスのようなものをかけていた。彼らは甲高い声で何かを口々に叫んだかと思えば、杖を天高く掲げ、ジッと立ちすくんでいた。

 そのまま何も起こらない。白ずくめの集団は、何度も何かを叫んでは杖を掲げ、何かを叫んでは杖を掲げを繰り返し、最後には杖を投げ出してポータルへと逃げていき、ポータルも消えていった。海岸に残された杖を解析したところ、地球上には存在しないプラスチックに近しい元素の物体であることが判明した。

 その異世界人達は【魔法】と呼ばれる技術体系が発展した異世界が多く点在するアクイン世界系の一つとされている。その根拠として、初の世界間協定を結んだ世界ル・バルヴェロの大使アヴィーユに、残された杖を見せたところ「よく出来た杖だ。これはラサラサの角を使ったのかな?」というコメントを残している。

 さて、ポータルから来た白ずくめ集団の異世界人は、何をしようとしていたのか。あくまで一説であるが――彼らは魔法による世界間戦争を引き起こそうとしていたのではないかと推測される。

 実は実時間にして一週間ほど前、世界各地の電波がジャックされ謎の音声信号が流されるという事件が発生していた。それらの信号は一見すると意味のない羅列のように思われ、当時はただの悪戯として処理された案件だった。しかし、その音声データを、大使アヴィーユに聞かせたところ、「近隣の世界間で使用している宣戦布告のメッセージに酷似している」とのことであった。

 つまり彼らは一週間前に地球に対して宣戦布告を行い、侵略するためにヨーロッパ西海岸に降り立ったのではないだろうか。しかし彼らは地球に【魔力】が存在しないことを知らなかった。それにより【魔法】は不発。すごすごと逃げ帰るしかなかったのだ。

 我々が異世界に行ってしまった時、地球上での常識で物事を捉えて考えてしまいがちになる。そんな時は、地球に戦争を仕掛けるも【魔力】がないことを知らずに逃げ帰った彼らのことを思い出して欲しい。自分たちがいる世界で出来ることが、異世界でも出来ると考えることが間違いなのだ。

 物体が下に落ちる原因は、重力などではなく星の中央で巣くっている竜が常に発動させていた【魔法】によるものだった……これが物体が下に落ちる理由として語られる常識であり、長い歴史によって暴かれた事実だと聞かされて、あなたはそれを受け入れられるだろうか。

 地球は球体であるが、平面説が語られた時代もあった。もしも――いや、仮定ではなく、平面な異世界も存在する。その物理学的計測を行い、世界の果てを観測したとき、それが確かに事実だと確定する異世界を、あなたは許容することができるだろうか。

 人は常識に囚われてしまう社会的存在だ。これは異世界に行ってしまった時、そこで生きていく上での大きな障害となり得る。異世界と接する時、あなたはあなたの常識を捨て去れなければいけない。これが本書を読み進める上でのスタートラインである。


※1 魔力力学をまとめた名著として、『魔法を知るための冴えたやり方』をおすすめする。これは魔法という技術を理解するためには、魔力についての理解から始めるべきという教育理論に則り、魔法教科書では数ページしか割かれない魔力についての講義に一冊を費やしている。また複数の異世界に対応できるよう、基礎的な部分に注力し応用力が身につくように工夫されていることが特徴的だ。

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