第17話goki哲学17 ~ボーカル論、現代神学、天才性について~
「アナクロニズム」の新ボーカル候補だったメメちゃんが音信不通になってしまった(´・ω・`)。
どれだけ嫌われても言いたいことを言い続ける。もう誰にも遠慮はしない。残りの人生を思い切り生きる。そう決めたんです。たとえそれで死期を早めることになろうとも(´・ω・`)。
12月15日に投函した「年賀封書」が年内に届いてしまったそうです。最近の郵便局員は「年賀封書」、「年賀切手」を知らないんですかね。まあ先方には喜んでもらえたからいいですけど(´・ω・`)
今のサッカー日本代表は本当に強い。パリ五輪世代が黄金世代ですがその前後の世代もタレント軍団。次回のワールドカップは相当期待できます(´・ω・`)
本大会までに大切なのはチームを完成させないことです。伸びしろを残しておいてサプライズも必要。警戒されないくらいが丁度いい訳です(´・ω・`)
刑事事件の時効は最大25年ですが。国外逃亡中は時効が止まります。ですから「よど号ハイジャック事件」の犯人も元日産CEOのカルロス・ゴーンさんもドバイにいたガーシーさんも半永久的に逃げ続けなければならない訳です(´・ω・`)
ポコチャの音楽配信を視聴していて感じることはボーカルもやはり才能だということです。いくら声学を修めてものど飴を常用し咳き込みながら無理して歌うやり方で長続きするとは思えない。
わたしもボーカルはできないので気持ちは分かりますが。ビートルズでもジョン・レノンはボーカルに向いていなかった。なので歌えるポール・マッカートニーとのツインボーカルで凌いでいた。
ただ音楽性そのものは明らかにジョン・レノンが上です。だからこそ真の意味においての最高のボーカルとは何か。分からなくなってくる。単純な唄の上手い下手ではないのか。本当に人間の魂を揺さぶるボーカルとは(´・ω・`)。
うーん、難しいですね。「脱構築」とは白でも黒でもないグレーなもの、という解釈でここまで来ましたが。じゃあ「脱構築」ってそもそも何なの?と問われると本物の哲学者みたいな説明になってゆく。全然「すごく説明の上手い碩学」じゃない(´・ω・`)。
これはつまりわたしがデリダを本質的に全然理解できていないということ。でも哲学を専門にする気はないのでこれ以上の深掘りは避けます。また勉強する機会も訪れるでしょう(´・ω・`)。わたしは広く浅い知識を心がけているので。
実は腑に落ちない出来事があって。以前の事業所で親しかった方に年賀状を送ったのですが、その内容が気に入らないといってその事業所の管理者さんが怒鳴り込んで来たと聞きました。確かにわたしは文学的で哲学的な面白お手紙を書くので人によっては趣味嗜好が合わない可能性もあります。
ただ、年賀の挨拶というのは日本の伝統文化であり、ましてや懇意にしていた方なら出すのが自然。その年賀状には当然わたしの血と汗と涙、それなりの労力とコストがかかっている訳です。
その年賀に対して礼を述べるどころか事業所にまでクレームを入れるというのは。だから障害者は、と言われてしまうのがわたしは本当に残念。たとえ手紙の内容が少々気に入らなかろうが、言いたいことがあるなら当人同士で誤解を解く努力をすればいいと思います。丹精込めた手紙に礼を言うでもなく周囲に軽々しくその内容を明かし茶化すような大人気ない真似はすべきではないと考えます(´・ω・`)
わたしの方も人伝えにしか聞いてないのでかえって気に病んでしまって。ただ人間関係の悩みに障害者も健常者もないというのが前々からのわたしの哲学。この問題をもって障害者間のやり取りをもっと厳しくしてやろう、締め上げてやろうという安直な福祉医療には断固反対します(´・ω・`)
傷つき傷つけ信じて裏切られて。人間関係において、そうやって成長していくのは障害者も健常者も同じではあるまいか。ただ少々不器用な部分があるので、そこは福祉医療の手助けを借りたい(´・ω・`)。福祉医療というのは聖職であり決して誰かを痛めつけるためにある職業ではないと。
弱者女性が常に保護の対象になるのに比較して弱者男性は常に嘲笑の対象である。これは男女の性差が社会学などでは乗り越えられないほど根深い生物学的理由に起因することを意味する。性差とは「こうあるべき」という道徳ではなく「そういう風にできている」という厳然とした科学なのだ(´・ω・`)
9年前に聞いたラストベルトの白人男性たちの悲鳴を想起する。曰く「女性や有色人種を優遇しすぎだ」と。ドナルド・トランプや安倍晋三の出現は彼ら「弱者男性」の時代の要請に沿ったものであった。また弱者男性は弱者ヘテロ、弱者ホモにも分類できる。弱者ホモの解決策は意外と簡単というか。
要するにお金の問題である。一方で弱者ヘテロの場合はお金より大事なものがある。配偶者だ。弱者ヘテロは政治を使って美少女を獲得しなければならない。その顛末が安倍政権であり新自由主義であり統一教会であった(´・ω・`)
彼らは本能的にせよ知っていた。「誰一人取り残さない社会」などというリベラルのおためごかしでは「お金では買えないもの」は弱者ヘテロには永遠に手に入らないことを。つまり結婚、学歴、職業といったこんにちの社会でフェータルなアイデンティティーである(´・ω・`)
「実力も運のうち」「親ガチャ」。つまり戦争や災害といった大きなガラガラポンが期待できない現代社会では生まれ持った才能が人生の幸福度、満足度をほぼ決めてしまうという哲学。遺伝や才能を呪うという思想は、少なくとも民衆の間では最近までなかった発想。
ゲノム解析やクローン技術、遺伝子治療といった生命科学の進歩、大衆化が皮肉にも民衆のアイデンティティーを根本から変えてしまった。「不平等ではなく不公平に」怒るようになったのである(´・ω・`)。
人類は過渡期に来ている。大繁栄期を迎え知の大衆化が進み皆が賢くなりすぎた。人類はそろそろ後退期に入るべきだというのがわたしの持論でもある。このまま人類の繁栄期が過熱すると地球の存続自体が危ぶまれるからである。ではオーバーヒートした繁栄期を後退させる妙手はあるのか?
哲学者の中嶋哲史先生らは「宗教」にその解を求めている。怪しげな新興カルトではなく仏教、カトリックやイスラームといった歴史の本質に根ざした王道の信心である。
一方でわたしは碩学のファインマンとして時代を面白おかしくする一手も持ち合わせている。どちらを優先すべきか逡巡しているのである。人類の繁栄期をあと100年延長した場合どのようなリスクが見込まれるか。世界中の賢人たちと話を煮詰めなければいけない(´・ω・`)。
就職活動にリクルートダイレクトスカウトを愛用していましたが職務経歴書のひな型の改悪とともに使わなくなりました。リクルートの職務経歴書は自由に作文できる所が最大の魅力でしたから。改悪後はマークシートのような無味乾燥な一問一答式。恐らくエクリチュールの読み書きもロクにできない凡百の残念な採用担当に対応する為でしょう。
わたしは常に無能な採用担当に落とされ続けてきた人生でしたから。自由にエクリチュールを書かせればわたしより面白い文章を書ける人間などほとんど存在しないはず。ですがその面白さも48年生きてきて理解されたのはわたしの父親や山本弁護士、伊東乾先生といった東大トップクラスで尚且つ創造性溢れる限られた天才たちのみ。天才は天才を知る。
本当に就職活動が上手くいかない。採用担当の話を総合するといつも「要するに貴方は何の専門家なのですか」という質問に行き着く。毎度毎度のことですが世の中の凡人たちは碩学、総合知、文理横断というものを想定していない。さらに上の創造性、大きな物語も。
わたしとはタイプは違うが経済学者の池戸万作さんが皆に鼻白まれている現象と近いものがある。彼は頭はそれほど良くないかもしれないが天才です。創造性、大きな物語、文脈を越えてゆく存在という意味において(´・ω・`)
まあ「そんなに天才なら東大くらい出て弁護士資格くらい取っとけや」と言われると。精神病によって海城高校卒業以降の人生のキャリアが狂ってしまった自分の不幸を呪うしかないのですが(´・ω・`)
オシムさんはサラエヴォ大学を卒業して医師でも数学者でも何にでもなれたのにリスクを取ってサッカー選手になった。わたしの人生はそんなにかっこいいものではありませんが、地べたを這いつくばり48歳にして漸く作家、研究者、ミュージシャンとして身を立てられるかもしれない所までは来た(´・ω・`)
今のわたしは障害者就労所属のワナビ作家です。こういうタイプの人間は本来大学院で博士号を取って教員や研究者として大学や研究機関にでも守られていないとやっていけない存在(´・ω・`)。
逆に言えばリベラルな立場から自由に研究や言論活動を行っている人たちはたいてい大学や研究機関所属。今保守政権が大学の研究費を搾り成果主義の導入で研究者たちを締め上げてるのは、リベラル言論人の自由な活動を封じる狙いが強いとも言える(´・ω・`)
いずれにせよ、わたしが齢48にして大学受験を目指しているのは概ねこういった理由です。周囲の方々にはご理解いだだきたい(´・ω・`)
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