炎の華

「大丈夫か。お嬢さん! 振り落とされないようにな」

「だ……いじょう……ぶ」


 これが馬……


 本でその存在は知ってたし、お姫様が王子様の白馬に乗るのは本で読んだ。

 だが、乗るのは当然初めてだったけど、こんなに振り落とされそうなくらい勢いがあって乗り心地が悪いなんて。

 しかも、憧れてた王子じゃ無くて私と一緒のこんな不細工なオスなんて。

 でも、この人に弱みを見せたくないので、平気なフリをした……けどきっとバレてそう。


「さて、馬に乗せたお礼……と言うと意地が悪いかもだけど、良かったら君の事を聞かせてくれないか?」

「分かった。話す……でも、条件があるの」

「何だい? 君も中々タフな交渉人だね」

「からかわないで。話す代わりにもし、パパとママが居るところで助けが必要になったら一回で良いから力を貸して欲しいの」

「ふむ、それくらいならいいよ。まぁ、最悪の事態を想定するのは賢明な事だ」

「有り難う。じゃあ話す」


 それから私は自分の知っているだけの事を話した。

 とはいえ、それはそんなに豊富な内容とは言えず、ある冬の日に、パパとママが鉱山の岩の陰に隠れるように捨てられていた私を拾ったこと。

 それから、二人に育てられたが私はみんなに馴染めず、容姿の醜さによって虐められていた事。

 私の存在によってパパやママまで住んでいた坑道を出なければ行けなくなったこと。

 その程度だった。


 だが、オスは話し終わってからも少し黙っていた。

 ややあって、オスはポツリと言った。


「この地方はゴブリンと人の生活圏が全く重ならない。それが君に幸いしたな。もし坑道のゴブリンが人の存在を知っていたら、君は恐らく生きては居なかっただろう。ゴブリンにとって天敵だからね」

「何の事言ってるの?」

「冗談だろ。君も賢いかと思ったら抜けてるところもあるな。ハッキリ言うと君はゴブリンなんかじゃ無い。俺と同じ『ニンゲン』なんだよ」


 私は彼の言っている事の意味がよく分からなかった。


「何? その……『ニンゲン』って」

「君や俺」


 嘘……私が、ゴブリンじゃ無い?


 彼はニンゲンについて説明を始めた。

 その特徴は聞けば聞くほど私に一致していた。

 そんな……


「君は自分が醜くて虐められていた、と言ってたけどそりゃそうさ。ゴブリンと人間じゃあ外見の特徴が違いすぎる。君がなぜゴブリン語を話してたか理解できたよ。君は物心ついたときからゴブリンの中にいたから、自分もそうだと思い込んでた。でも違う。君は間違いなく……」

「嘘!」


 その言葉の大きさと鋭さは言った私自身が驚くほどだった。

 だが、言葉は勝手に零れてくる。


「嘘! 嘘! 嘘ばっかり! あなたって外見だけじゃ無く中身も醜い! 私がゴブリンじゃ無いって……人間とか言う生き物だなんて」

「なぁ、君……」

「絶対信じない!! あなたの言う事なんて嘘ばっかり!」


 言いながら酷く呼吸が荒くなっているのを感じる。

 ああ、頭が痛い……


「すまなかった。いきなり言うことじゃなかったな。物には順序がある。今はとにかく君のご両親を確認だ。……俺はサイガ。サイガ・クルーガーだ。こう見えても腕の立つ剣士なんだぜ」


 私は少しの間彼……サイガの背中の防具の赤い色を見ていた。

 そうすると不思議とゆっくりとだけど落ち着いてきた。


「私は……リエル」

「リエルか。いい名前だな。ご両親がつけたのかい?」

「ええ。パパとママが今まで聞いた一番いいと思う言葉を選んだ、って」

「……そうか。優しいご両親なんだな。さっきの話を聞いてても」

「パパとママがいたから今日まで生きて来れた。一人だったら無理だった」

「ゴブリンは残虐で粗野だと思ってたが、そうとばかりも言えないのかもな。有り難う。君のお陰で一つ賢くなったよ」

「今更言っても遅いけどね」

「すまないね」


 そんな事を話している内に森の鬱蒼とした暗さに光が差し込むようになった。

 森の出口が近いんだ。

 もうすぐ鉱山だ。

 心臓が激しく音を立てているのが分かる。

 パパやママはいるんだろうか……

 そう考えると同時に森を抜けた。


 鉱山だ。

 馬はすぐに鉱山の道を進み、坑道へ近づいていく。

 その時、私は血の気が引くのが分かった。

 身体から力が急速に抜けていくのを感じる。

 何これ……こんなの。


「パパ……ママ」


 鉱山の道に倒れていたのは見間違うはずも無い。

 私の大好きなパパとママだった。


「なんで……」


 サイガはすぐに馬を止め、軽やかに降りると私に手を貸そうとしたが、それも待ちきれずに降りようとして、危うく転落しそうになった。


 だが、そんな事はどうでもいい。

 私はサイガの手を振りほどくと、よろめきながら二人のところに駆け寄った。


「パパ! ママ!」



 二人を見ると微かにうめき声が聞こえた。

 良かった、生きている。

 でも、二人とも体中が血まみれだ。

 かなり酷い怪我をしている。


「これは酷いな。投石による傷だな。沢山の石を投げられたんだろう。頭にも当たって……ひでえ事しやがる」

「誰が……なんで」

「多分アイツらだろう」


 サイガの声に顔を上げると、道の向こうに7~8はいるだろうか。

 坑道の市場のみんながいた。


「嘘、違うわ。みんなパパやママの友達……」


 そう言い終わる前に私に向かって二つの石が勢いよく向かってきた。

 思わず目を閉じ様としたとき、サイガが私に覆い被さって石を防いでくれた。


「だ、大丈夫? 身体に……当たって」

「鎧を着けてるから大丈夫だよ。それより、アイツらお前さんを明らかに殺しに来てるぞ。さっきの石の勢いはヤバかった」

「そんな……」


 嫌われてるのは知ってた。

 でも……殺すって。

 みんなの声が聞こえる。


「いたぞ、化け物」

「化け物殺す。化け物育てた奴らと一緒に」

「あいつら、食べ物くれだと、生意気。死ねば良い」


 私はその時全て理解した。

 パパとママは私の代わりに食料を買いに来てくれていたのだ。

 いつも私が虐められてるから。

 でも……彼らは。


「どうして!」


 その声は私自身が出した物だったが、そう思えないほど強く、鋭い物だった。


「どうして、私たちばっかり! 私たちは生きてるだけで悪いの?」


 その声に返事は無かった。

 ただ、汚い笑い声とさらなる石が飛んできただけだった。


「馬鹿! 刺激するな」


 サイガがまた手に持っている大きな板で防いでくれたが、一つの石が私の額の左側に当たった。

 鋭い痛みと共に暖かい物が顔に流れてくる。

 多分血だろう。


 痛い……

 パパやママはどれだけ痛かったんだろう。

 そう思うと、私の中に今までに感じたことの無い何かが溢れてきた。

 私が醜い化け物なら……


「あんたたちは何なの! 私が醜い化け物ならあんたたちもそうじゃない! 私は見た目が化け物。でも……あんたたちの心も化け物だ!」


 身体の中が段々と熱くなる。

 そして溢れ出すような熱さが身体の中から少しづつ出てくるようだ。

 いや……違う。


 私は目の前の景色を呆然と見ていた。

 気のせいじゃ無い。

 本当に、燃えている。

 目の前の空気が信じられないほど熱い。

 そしてその熱さで周りが揺らめいている。

 その熱さは徐々に実態を持ち始めている。


 それは……炎だった。

 大小様々な炎が5~6個だろうか。

 揺らめきながら空気を焦がしていく。


 道の向こうの化け物たちは石を投げてくるが、全て途中で溶けて無くなっていた。

 聞いたことの無いような甲高い声が聞こえる。

 アイツらの悲鳴だった。


 私の中になぜか突然ある言葉が浮かんだ。

 あの、毎晩密かな楽しみで読んでいた綺麗な本。

 その中の言葉は分からない物ばかりだったけど、一つだけ分かった言葉があった。

 ファイア……炎。

 私は迷わずあの言葉を口にしていた。


「エル・シャード・レ・ファイア」


 その途端。

 大小の炎の内2つが倍以上の大きさになって私の視界に入っていた二人に飛びかかった。


 そして……焼き尽くした。


 それだけでなく、その炎は周囲の岩壁にぶつかり広がった。

 さながら、暴れ狂う獣のようだった。


「これは……お前、なんで魔法を……」


 視界の端のサイガが呆然としている。


 後……3人。


 私は怯えて座り込んでいる、残りのゴブリンに目を向けた。

 もう自分が自分で無い、別の生き物のようだった。

 私は……喜んでいたのだ。目の前の出来事に興奮していた。

 ずっと私を虐めていた。

 ずっと怖かった。惨めだった。

 そしてパパやママまで奪おうとした。

 こんな奴ら……死ねば良い。

 私は恍惚とした表情でつぶやいた


「エル・シャード……」


 だが、、そこから先は言えなかった。

 口が開かなかったのだ。

 どうして……


 その時、私の耳に鈴の音のような軽やかな声らしき物が聞こえたが、サイガの最初の時と同じく音の塊だった。

 サイガがまたモヤモヤした音の塊をしゃべると、その直後また声が聞こえた。


「間一髪でした。良かった~『沈黙の呪文』が効いてくれて。……二回言うのも照れますね」

「じゃあ言うなよ。ってか遅いぞ。どこまで行ってたんだよ」

「すいません。目当ての触媒が見つからなくて。それはさておき、彼女にはちゃんと言っとかないと何が起こったか不安ですよね?」


 え? 沈黙?


「すいません。いきなりこんな事。でも、あなたは自分の魔力を全くコントロール出来てないでしょ?次打ち込んだら多分あなた含めて全員丸焦げでしたよ~」


 声のする方を見ると、そこにはさっき言ってた「人間」のメスがいた。

 今度は栗毛のたてがみを頭から長く伸ばしている。

 だが、目もまん丸で鼻も小さいのは私と同じだ。

 そんな事を考えていると、金切り声が聞こえてきた。

 ハッと声の方を見ると、残りの連中が何度も転びながら逃げるのが見えた。


 逃げられた……

 私はキッとメスの方をにらみ付けた。


「邪魔しないで! せっかく」

「せっかく『皆殺しにできたのに』ですか~。じゃあ余計に邪魔しちゃいます。魔法は憎悪によって使う物じゃありませんので。そんな事したら周囲も自分も滅ぼします。特にあなたみたいな歪んだ子は」


 メスはニコニコ笑顔を浮かべながら、ノンビリとした口調で話していた。


「リエル、歪んでるかは置いといてレミイの言うとおりだ。お前が何で魔法が使えるのか分からんが、確実なのはその魔力を全くコントロールできていないことだ。実際二発目はお前もお前の両親も含めて全員が炎に囲まれてた。気付いてたか知らんが」

「気付いてませんよ、彼女は。殺すことしか考えてなかったから。リエル……ちゃん? あのゴブリンたちも確かに醜い心の化け物かもです。でも、今のあなたもまさしく化け物ですよ。怒りと破壊の喜びに支配された」


 レミイと言う女の間延びした涼しげな声は、まるで私の存在そのものを笑っているように思えた。


 ……違う。私は醜くなんか無い!


 頭が痛い。

 目の前の景色がドンドンぼやけてくる。

 怒りが湧き上がってくる。

 そしてまた周囲の空気が熱く歪んでくる。

 言葉なんて必要ない。

 この熱を全部あの女に……


 その時。

 レミイが何かつぶやくと右手をヒラヒラと軽やかに動かしていたが、それと共に私の周囲の空気が急激に冷たくなった。

 そう……まるで氷のように。


 理解できない状況に思わず悲鳴が漏れる。

 だが、それは言葉にならなかった。

 顔全体が凍り始めてたのだ。


「ちょ……もう止めろ! 彼女、マジで凍り始めてる!」


 サイガの声にも構わず、彼女の低く一定のリズムでのつぶやきと軽やかな右手の動きは途切れることが無かった。

 そして、体中の皮膚が冷たさを通り越して激しい痛みを感じている。

 あまりの痛みと寒さ。そして恐怖に叫び声を上げようとするが、声が出ない。

 涙が溢れそうになるけど、目も凍り始めている。


「た……た……す」


 何とか声を絞りだすけど、声にもならない。


 パパ、ママ。助けて。怖いよ。


 その時、私の耳に聞き覚えのある声が聞こえた。


「リエル……殺すな……オイラ……を殺して」


 それは暖かくて優しいパパの声だった。

 死ぬのは嫌だ。

 またパパとママにギュッとしてもらいたい。

 また、一緒においしいご飯を食べたい。

 わらの上で一緒に寝たい。


「お願い……お願い……オイラを……代わりに……」


 パパの声が何度も聞こえる。

 もう痛みも感じなくなってきた。

 ゴメンね……パパ、ママ。


 そう思った時。

 急にそれまでの寒さが消えた。

 信じられないくらいに空気が暖かさを取り戻し、身体に熱が戻ってくる。

 これは……


「う~ん、ちょっとおしおきが過ぎましたね~。すいません」

「当たり前だ! もうちょっとで彼女本当に死ぬところだったぞ」

「大丈夫ですよ~。その程度の加減は分かってますので。でも……」


 言葉を切ったレミイは私の前に歩いてくると、立ち止まり冷ややかな表情で言った。


「魔法によって命を奪われようとする怖さはどうですか? あのゴブリンたちもさぞ怖かったでしょうね」


 その表情と声の冷たさに私は呆然とするしかなかった。


「魔法は人知を超える現象のコントロール。それは周囲を支配し、時にはあらゆる命を家の掃除をする程度の手軽さで消してしまえる。今のあなたなんかが軽々しく使うな。さっきのはその報い」


 私はヘナヘナと座り込んだ。

 そして、そのまましゃくり上げると声を上げて泣き出した。 

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