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茶筒に押し込めた(閉じ込めた)からこそ、母は闊達に生きていけたのでしょうか。
娘も、同じ思いを封じ込めながら、目の前の光を抱きしめていることでしょう。
女性が自分を失っていく過程を見ているような手紙でした。
結婚すると嫁「◯◯家の嫁」になり、出産すると母「◯◯ちゃんのお母さん」になり……
女性がかつての苗字を失い、名前(所謂、下の名前)で呼ばれなくなるのって、自我を奪われていくように感じてしまうのです。←だから、(女性のことは、特に)下の名前で呼びたい人なのです、わたし。
作者からの返信
結音さん
遺書とも思える文章を書いて、茶筒に入れて
それを自分が一番いる台所に置いておいたからこそ
生きていけたのだと思います。
女性のことは、下の名前で呼びたいですよね。
分かります。
子育てって、とても大切なことのはずなのに、ほんとうにないがしろにされていて変だなって思います。
どうして子育て期間が履歴書では空白になるんだろう?
そうして、社会から抹殺されていくのって、絶対に変だと思うのです。
まだまだ、女性は生きづらい世の中だなあと思います。
学校のことも、なんでも「お母さん」に責任があるかのような感じで。
ところで、わたし、ママ世界では「〇〇くんのママ」でよかったです。
何しろ、埋没していても気にならなかったので(笑)。
そこにはわたしはいなくてもいいかなって思っていました(います)。
これが遺書とするなら、どうしてそれを書き、しかも書いておきながらなぜ手元においていたのかという不思議が最高でした!
しかも、それにとどまらず、母がこれを書いた意味、自身がそれを読む意味というものまで浮かび上がってきて、とても奥深さを感じます。
さらに、結局その意味は明らかにされず読者に託されるというのが一番良かったです。
このおかげで、いろいろと想像が膨らむ読後感を得られました。
作者からの返信
月井忠さん
とてもとても嬉しいコメントをありがとうございます!
そしてレビューも。
人間って、生きているといいことばかりじゃなくて、ずんと落ち込むこともあると思うのです。
そういうことから目を逸らさずにいると、とてもつらい気持ちになる。
それを文章にして、でも、前を向いて生きていく。
そういうイメージでした。
ああいう文章を書くことで、逆に生きていけるというか。
落ち込んでもいい。
後ろ向きな考えになってもいい。
生きているのなら、それでいいのです。そういうこともあると思うのです。
こうやって遺書を書いてリセットして、もう一度歩き出すことができる……。ほんと、大切なこと。
過去に出会った人たちのことを思い出してしまいました。彼らもこうやって何度も遺書を書きつつ、必死に生きていました。
作者からの返信
月森乙さん
生きているとね、いろんなことがあるから、死にたいと思ってもいいと思うのです。
そのたびに遺書を書いて、それで生きて行けばいいと思うのです。
わたしは「死にたい」と思う気持ち自体は、どうしようもなくて、そこはそのまま抱きしめてあげればいいと思うのです。
企画ご参加ありがとうございます。
親の気持ちも、子供の気持ちも分る年になり、それなりに経験も積みました。
それでも、ふと自分の中の暗く澱む気持ちを見つめて堕ちてしまいそうな時もあります。
抱き締めた光は愛だったのかもしれません。
茶筒の中に閉じ込めたのは、光を知る前の彼女だったのかもしれません。
想像ですが。
胸に染み入る手記です。
作者からの返信
鳥尾巻さん
素敵な企画、ありがとうございます!!
生きていると苦しいこともあって。
それでも進んでいかなくてはいけないこともあって。
暗く重くつめたいところ。
そこにいる気持ち。
それらを閉じ込めた文。
抱きしめた光は愛だと思って書きました。
茶筒に閉じ込めたのも、愛を知る前の想いです。
読み取っていただけて、嬉しいです!
ありがとうございます!!
心に秘めた想いを、どうにもならない現実をそっと綴っておいたのでしょうね。
遺書のような文章。それがあったからこそ生きてこられたのかもしれません。
グッとくるような作品でした…!
作者からの返信
篠崎 時博さん
そうなのです。
どうにもならないことってありますよね?
そういうのを書いて、茶筒にしまっていたからこそ、生きてこられたのです。
誰でもそういうことがあると思うのです。
笑っているからと言って、全く何もかも順調なわけなくて
いろんな思いがありつつも、笑っているのだと思います。