第4話

 月曜は店長と二人のシフトだったので、周太は無駄口を叩くなと叱られるかもしれないと思いながらも、おそるおそる神社について尋ねてみた。

 店内に客がいなかったためか、店長は振り向いてこう応えた。「ああ。あの神社がどうかしたの?」

「いや、何かご存じなら教えてもらえないかと思って。実は、うちの犬が死んだので、今度行く予定なんです」

「行くって、火葬に?」

「はい」

 店長は眉を上げて、こう言った。「まあ、それは行けばわかるよ」

「はあ、そうですか」

 それで終わりかと思ったら、店長はのっそりと体を動かして商品整理をしながら、続けた。

「そこの坂、みくり坂、っていうでしょ。みくり、ってのは、御厨から来てるの。御中のオンに厨房のチュウね。御厨というのは、神様の食事を作る場所のこと。つまり、あの辺りには昔、御厨と呼ばれる建物があったってこと」

 周太が小さく相槌を打つと、店長はさらに説明した。

「この辺ってさ、昔は家畜がたくさんいたわけ。牛とか羊とか、豚、鶏なんかが。あの神社はそういう家畜を供養する役目を担ってたの。で、人々の間では、家畜は死後、神饌になる。そうすることで自分たちは加護を得られる、と信じられてきたんだ」

「神饌? 神様への捧げ物、ってことですか?」

「ま、そうだね」

 そう言うと、店長は手を振って、ほら、仕事仕事、と周太を追い払った。

 周太は言われたとおりにしたが、頭の中では様々な雑念がひしめいていた。死んだ家畜は神への捧げ物。すると、死んだペットも――?

 合同火葬は儀式、祭儀だという安国の言葉が蘇った。祭儀。それはもしかして、死んだペットを神饌にする儀式なのだろうか。

 考えながらのろのろと体を動かしていると、しばらくして白装束の客が数人、訪れた。そういえば、今日は合同火葬が行われる日だ。

 後で、こっそり見に行ってみようか―― そんなことを思いあぐねていた時、店のドアがまた開いた。入ってきたのは、四十過ぎと思われる年齢の女だった。見た瞬間、どこか見覚えのある顔立ちだという気がした。

 女は思い詰めた表情でまっすぐレジに向かっていくと、そこにいた店長に話しかけた。それも、普通の話し方ではなく、まるで食ってかかるような調子だった。居合わせた数人の客も、驚いた様子でそちらを振り向いた。

 周太は仕事を続けたが、聞く気がなくても話が耳に入り、すぐにその女が稲葉さんの母親だとわかった。

 稲葉さんの母親は、痛々しいほどやつれた様子だった。見るからに憔悴していて、何日も満足に食事や睡眠が取れていないのだろうと思わせる。店長を睨みつける目は、焦点が定まっていなかった。

「知らない、って何なの! そんなはずないでしょう!」

「いや、しかし――」

「娘が理由もなくいなくなるわけがないんだから。何か原因があったはずなの!」ほとんど、叫ぶような調子だ。

「お母さん、お気持ちはわかりますが――」

「わかるですって。一体何がわかるっていうの。何もしていないくせに。あの子に何があったか、調べてもいないじゃないの!――」

 それから、ビデオがどうとか、本部がどうとかといったやり取りが続き、店長がこちらに向かって声を放った。「園部君、ちょっと!」

 モップを手に、はい? と顔を上げると、店長は手招きをした。ひどいしかめ面だ。

「ちょっと奥に行くから、レジを見てて」

 そうして、稲葉さんの母親を案内して、バックヤードへ姿を消した。扉を潜る時、店長の「防犯カメラの映像は全部ここに――」という声が聞こえてきた。

 母親に防犯カメラの映像を見せるつもりなのかな、と周太は推測した。もちろん、稲葉さんが最後に出勤した日の映像だろう。その日は確か、彼女は夕方からのシフトだったはずだ。

 三十分ほどして、目を赤く腫らした母親と店長がバックヤードから戻ってきた。二人とも俯いて、肩を落としている。どうやら、映像からは何も発見がなかったらしい。

 店長はものも言わず、母親に付き従って店の外へ出ると、そこで長いこと話し込んでいた。やがて、店に顔を出して、送ってくる、とだけ告げ、車のエンジン音を響かせ去っていった。

 それから一時間もしないうちに、交替のバイトがやって来たので、周太は仕事を終えることにした。店長はあのまま帰宅したのだろう。奥へ引っ込むと、店長と母親がいた部屋のドアが薄く開いているのに気づいた。パソコンのあるその部屋は、いつも店長が帰宅する際に施錠することになっている。きっと慌てて、鍵をかけ忘れたんだろう―― 周太はそう考えながら、好奇心から部屋を覗き見た。パソコンの画面は暗かったが、電源ランプは点いていた。スリープになっているだけかもしれないと思い、そっと部屋に入って、マウスを動かしてみた。プツッ、という音とともに、ディスプレイが灯り画面がゆっくりと立ち上がった。

 防犯カメラの映像と思われるものが、そこには映されていた。バックヤードの通路を見下ろした映像だ。雑然と物の積まれた通路に、人の気配はない。見ると、右下に小さく日付と時刻の表示があった。――十一月×日、午後九時四十六分。稲葉さんが最後に出勤した日だった。

 もう少し戻してみたらどうなるのか、と矢印をクリックしてみた。十五分ほど戻すと、手前から人が現れた。通路は節電のために薄暗いが、目を凝らすと稲葉さんだとわかった。疲れた様子で制服のエプロンを外している。仕事を終えて帰るところだろう。

 稲葉さんの姿はロッカールームに消え、数分後にまた現れた。私服の花柄のシャツの肩にショルダーバッグをかけ、そのまま通路の奥に向かって歩いていく。カメラは店の外に面したドアとは反対側の端に取りつけられているので、稲葉さんはドアに向かって歩いていることになる。それからすぐに彼女の姿は見えなくなった。

 周太はぼんやりと、無人の通路を映す画面を見つめながら頬杖をついた。稲葉さんは何事もなく仕事を終え、帰宅したようだ。これを見て、母親はがっかりして帰っていったのだろう。

 自分も帰ろうかと思ったが、もう少し先も見てみよう、となんとなく思い、今度は逆向きの矢印をクリックした。遅番のバイトがたまに出入りするほかは、何の変化もない映像が続く。時刻表示が十一時を過ぎた頃、薄暗い通路の奥で何かが動いたのがわかった。周太は早送りを止め、通常の再生速度に戻した。

 するとそこには、奇妙なものが映っていた。

 誰かが、何かを引きずっている。大きくて重そうなそれを、その人物は時折弾みをつけながら苦労して引っ張っていた。後ろ姿だし暗いので誰かはわからないが、たぶん男だろう。その人物は背を丸めながら、引きずってきたものをロッカールームの隣の部屋に運び入れた。備品などが置かれている、狭い部屋だ。

 ちらと見えたその荷物は、人の形をしていた。

 周太は息を飲んで、じっとそれに見入った。備品置き場に引きずり込まれたその人物はぐったりと首を曲げていて、顔ははっきり見えなかった。かろうじて、髪が長いということと花柄の服を着ていることだけがわかった。揺れる髪とぐんにゃりした腕が、だらりと廊下に垂れていた。まるでゴム人形のようだ、と周太は思った。

 男はしばらくして部屋から出てくると、恐ろしい素早さで通路の奥へ逃げ去った。その時になってやっと、周太はそいつが制服を着ていないことに気づいた。

 がたん、と音を立てて、周太は椅子から立ち上がった。この映像によると、稲葉さんは―― まさか、今もあの部屋にいるのだろうか。

 あらぬ想像が頭を駆け巡り、心臓がどくどくと激しい音を立て始めた。嫌な汗がこめかみを伝い、つうっと顎まで流れていく。怖い。でも、確かめないわけにはいかない。

 周太はそろそろと、部屋を出て備品置き場へ向かった。問題のドアの前に立ち、ノブに手をかける。そして、心の中で掛け声をかけながらドアを開けた。

 暗い室内が、ぽっかりと口を開ける。周太はこわごわと中を覗いた。口の中が乾いて、舌が上顎にくっついている。

 そこには、誰もいなかった。

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みくり坂下のコンビニ 戸成よう子 @tonari0303

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