第58話 約束




「——以上でミーティングは終わり。時間は……そろそろ十四時ね。すこし休憩はさんで、五〇層ボスで連携の確認を行いましょう。湊くんも来れるわよね?」


「……ハイ」


「よろしい。初日だからって甘やかさないから、覚悟しなさい」



 世奈さんの不吉な微笑みを前に、俺は頷くことしかできなかった。


 別に文句はないんです、五〇層のボスと戦うのは。

 初日からボス戦とか、別になんとも思わないです。


 ただ、特攻部隊って。



「師匠と二人だけで特攻……」


「お兄さんと二人で特攻……」


「本当に大丈夫か……?」


「とっても……楽しみ」



 解散し散り散りにみんなが部屋を出ていくなか。

 師匠はわずかに顔色を赤くしながら俺の小指に指を絡ませてきた。


 誰か一人でも振り返ってしまえば見られてしまう——。

 俺はいくばくかの緊張感を抱きながらも、握り返した。


 最悪、世奈さんにさえ見られなければいいやと思うことにすれば案外、気は楽だった。



「社長室、いく?」

「………」



 頷いて、俺は師匠と社長室に戻った。

 誰にもみられないよう気をつけながら、指を繋いで。



「緊張したね」

「そうだな」



 二人で並んでソファに座る。

 師匠は俺の右肩に全体重を乗っけて、甘えるようにくっついてきた。

 

 

「特攻、不安?」


「いや……まあ。ちょっとだけ」


「お兄さんって、テンション差がすごいよね」


「そ、そうか?」


「うん。普段はどこにでもいそうな感じの男性だけど、ダンジョンに入ると別人みたいな眼になる。テンションもすごい高い。たとえるなら、ジムに行く前はイヤイヤだけど、ジムに行っちゃうと子どもみたいにはしゃいじゃう感じ」



 ウララもそうだけど、何かと筋トレでたとえるのは流行りなのか?



「みんなを守るために……一人でも死傷者を出さないようにするためには、私が一番前で命を張らないといけない。死んじゃう可能性もあるけど。でも、そこにお兄さんも着いて来てくれるなら……私は、もっともっとがんばれる」


 

 師匠が俺の肩を押して向かい合わせの形を作ると、俺の首に腕をまわした。

 紫色のながい髪が俺の肌を撫でる。

 女の子らしい甘い匂いが鼻腔びこうを満たす。

 師匠の美しい瞳が、すぐ目の前で瞬いた。



「ねえ。レベル上げ、しよっか」


「……っ」


「ううん。したい」



 言って、重ねようと近づいてきた唇をすんでのところで避ける。



「……いや?」


「師匠、順序ってものがある」


「順序?」



 ムッとした表情の師匠が、俺の下半身をチラッと盗み見みて言った。



「まずはこっちにキスしろって?」


「なんの話っすか!?」


「順序の話。辛そうだし」


「お、俺が言いたいのは、もっとこう場数とか信頼関係とかを築いてからの方がいいんじゃないかなとか思うんです、こういうことする前に!」


「二人で死線を潜ったことあるし、お兄さんの癖とか殴る時の指の握り方まで知ってる。お兄さんも私の間合を肌感覚で認知してる。十分信頼関係も築けてると思うけど」


「確かに!!」


「じゃあ……」



 再度、唇を近づけてくる師匠。


 俺は師匠の体を抱きしめて唇を避けた。



「ぁ……ぅ」


「正直、俺は今すぐにでも師匠をめちゃくちゃにしてやりたい」


「っ」


「けどこの短い休憩時間だけじゃ師匠を満足させられないし、味わい尽くせないから」



 師匠の華奢きゃしゃな体から伝わってくる熱と匂いに、俺の理性は吹っ飛ぶギリギリ。


 すんでのところで耐えられるのは、いつ世奈さんが部屋に突撃してくるかわからないという不安があるからこそ。

 

 とはいえ、キスしてしまえばどうなるかわからないから。



「だから今はこれで許してほしい。満足できなくても」


「……うん。ねえ——私のこと、好き?」


「好き」



 即答する俺に、師匠は体を震わせた。



「彼女持ちが言っていい言葉じゃないね」



 わずかに狼狽えた俺をおかしそうに笑いながら、師匠は俺の首筋にキスをした。



「……どうしよう。お兄さんのこと、どうしようもなく好き」


「……っ」


「めちゃくちゃにしてやりたい」



 俺の腰に乗っかって、隙間なくくっつきながら俺を見下ろす形となった師匠。

 紅潮した頬。荒い鼻息。わった眼。

 垂れ流された髪が、師匠以外の景色をさえぎった。



「耐えて、耐えて、たくさん耐えたら……一日中、お兄さんを好きにしてもいい?」

「……ああ」



 もし、理性にHPゲージのようなものがあるとしたら。

 俺の数値は、きっと1だ。



「約束だよ」

「ああ、約束だ」


 

 師匠の顔が遠ざかって、俺を飲み込もうとしていた熱も消えていく。

 立ち上がった師匠は、深呼吸を何度も繰り返したあと、



「死ねないね。何がなんでも。何があっても」



 そう静かに、しかし確かに力強く、己に言い聞かせた。



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