第56話 特別な日
「どう? 社長っぽい?」
「どちらかというと秘書っぽい」
「さすが、性欲の使徒」
「そんな不名誉なあだ名やめてもらえます?」
「かっこいいじゃん。——とりま、お昼ご飯にしよう」
「いやかっこよくねえし」
ふたりっきりになった社長室で、俺は社長と並んでソファに座った。
「どうして向かいのソファに座らないんだ……?」
「顔を合わせてたべるの恥ずかしいから」
「じゃあ、仕方ないか」
「うん」
テーブルの上には黒光りした重箱が二つ分置いてある。社長がそれを開くと、中からうな丼が出てきた。
「……マジか」
うな丼とか、何年ぶりだよ。
「食べないの?」
「あの、いただいてもいいんですか……こんな高級なもの」
食べた瞬間に法外な値段とか請求されないですよね?
あるいは、強制残業とか。
「きょうは、特別な日だから」
「そ、そうっすか?」
「うん」
俺の入社日だから、こんな高いものを……。
なんてホワイト企業に就職してしまったんだろうか。
涙が出そうだった。
「じゃ、じゃあいただき——」
「ピルって食後? それとも食前?」
「——ます、って、は? え、なんの話!?」
俺は慌てて箸を置いた。
この子は今、なんて言ったのだろうか。
聞き間違いじゃなければ、ピルって……。
「ピル。まだ妊娠はしたくないし」
「なんの話をしてるんでしょうか、社長」
「キズナって、下の名前で呼んでほしいな」
「いや、せめて師匠で」
「ほわい」
なぜ? と目で訴えかけてくる社長もとい師匠。
「そんなことはどうでもいいんですけど、どうしてピルを飲もうとしてるのか訊きたいんだけど」
あれですか、生理不順を改善するとかそういうあれで飲もうとしてるんでしょうかね?
「きょうは、特別な日だから」
「おい、おまえはNPCか」
「うん。ピルって食後? それとも食前?」
「だからループするなよ」
俺はシステムの時計を師匠に見せつけた。
「十三時までのミーティングまで、あと二十分しかないぞ? 急いで食べないと」
「うん。食べないと。……あ、いつでも内服していいんだ」
「………」
「あとで、する前に……忘れずにね」
俺はなにも聞かなかったことにして、うなぎを食べた。
色々と桃色な妄想が駆け巡る。
いや、早すぎだろ展開。
順序ってものがあるでしょ、順序が。
まだ手だって繋いでないし……。
「……ん」
「………」
黙々とうな丼を食べている師匠。
逢木鬼戦後から、妙に意識してしまう。
箸と唇。
触れそうで触れない肩。
繊細でながいまつ毛。
精緻に作られた人形のように、美しく神聖さをたおらせた風姿。
宗教画でも眺めているかのような荘厳さとエロスを感じる。
「——下、すごいでしょ?」
食事風景を眺めていた俺に気がついたのか、師匠は前髪を耳にかけながら動かしていた箸の手を止めた。
「自慢の冒険者ギルド。気に入った?」
「あ……ああ。異世界に転移したのかと思った」
「だいぶお金かかったけど、満足してる」
「ちなみにさ、どういう原理なんだ? ここは本来ならボス部屋だろ?」
「原理とかは知らないけど、マウリショップで『大人の秘密基地セット:上級編』まで買えば好きなところに秘密基地が作れるの」
「へええええ」
何それめっちゃおもしろそう。
「あとは業者を呼んで、内装を作ってもらうだけ。魔物に襲われないように警護が必要だけど、三ヶ月くらいで完成する」
「ほーん」
「これならウララに隠れて愛人を囲えるぜ、とか思ってる?」
「お、思ってないし……!」
「ふぅん」
視界の端で俺を盗み見ながら、うなぎをパクッとくわえる師匠。
揺れる前髪。また耳にかけ直して、ちらりと俺をみた。
「どうして朝練、来てくれないの?」
「え、ん?」
髪の毛を耳にかける仕草にキュンとしてた俺は、反応が遅れる。
「きのうときょう。ずっと待ってた」
「あー……ウララが熱出してな。なるべくそばにいるようにしてたんだ」
「そう。……熱は大丈夫なの?」
「わかんね。医者にあんま体動かすなって言われてたけど、最近はダンジョンに行ってたしな」
直接戦うことはないが、それでもそれなりの距離は歩くことになる。
気にしてはいた、が……頭のどこかでは、まだ大丈夫じゃないかって甘く見積もっていたのは否めない。
「進行してないといいね。魔石病」
「やっぱ知ってたのか?」
「うん。LALAチャンネルの配信観てたから」
「それなら話が早くて助かるよ」
「急いで稼がないとね。時間、そんな無いかもだよ」
頷く。
とりあえずは、七〇階層ボスを討伐して六千万だ。
「ごめんね。三億をポンってすぐに渡せればいいんだけど、これでも社員の人生も預かってるから」
「いやいや、これは俺の力でどうにかしなきゃいけないことだから。むしろ気にかけてくれてるだけでありがたいし、助かってる」
本当に、助かってる。
空になった重箱に蓋を乗っけて、俺は手を合わせた。
「ウララは絶対に死なせない。必ず助ける。だから俺にできることはなんでもやる。ボスだって何体だって倒してやんよ」
「……うん」
師匠は頷いて、
「じゃあ、稼ぐための打ち合わせをしに行こっか。お兄さん」
ぺろりと、下唇を舐めて師匠は立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます