第53話 盤上をひっくり返す


「もう十二時を過ぎたけど……間に合うのかしらね? あんたのお気に入り」

「うん。心配してない」

「そう……なら別にいいんだけどね」



 キズナ・カンパニー事務所の社長室にて。


 代表取締役である骸録紲がいろくきずな専務ざつようを任されている桐島世奈きりしませなは、向かい合ってチェスをしていた。


 戦況は世奈がやや優勢。あと三手で紲のクイーンを葬り、チェックをかける流れまで視えていた。



「でも、ちょっと気に食わないわ」


「どうして?」


「だって年棒、あたしより高いじゃん」


「一千万しか変わらないよ」


「だいぶおっきく変わるけどね!」


「じゃあ、来季は上がってるといいね」


「……むぅ」


「仕方ない。わたしが決めてるわけじゃないし。株主が決めてるから」



 紲の動かしたナイトを世奈のクイーンが掻っ攫った。

 「あ」と声を漏らした紲。すぐさまカバーしようとポーンを動かすも、



「あらあら」

「な……に」

「クイーンがガラ空きよ、年棒一億」



 ポーンがズレたことでクイーンへの進路があらわとなり、世奈のクイーンが紲のクイーンを食い破る。


 一手早いチェック。紲はキングの前にビショップを移動させることしかできず、しかし次のターンには世奈のクイーンが逃げ道を、昇格したポーンがビショップを喰らってチェックメイトと、そんな結果が視えていた。


 紲は、ふぅと息を吐いて椅子に深く腰掛けた。



「………」


「わたしもうやりたくありません、みたいな顔してスマホ出さないで。最後まで諦めずに戦いなさいよ」


「撤退も作戦のうち。これ以上、被害を出すわけにはいかない」


「実戦だったらそうかもだけど、ただ単に飽きただけでしょ?」


「チェスは初めてだから。オセロならいいよ」


「嫌よ。オセロって子どもっぽいし、ひっくり返されたらムカつくし。でもチェスってカッコいいじゃない? みてよ、ビジュもちょーイイ。このチェスボード高かったんだから! セットで十万もしたのよ!」


「チェスも駒取られたら腹立つよ」


「でも取り返せばいいじゃない?」


「オセロもそういうゲームじゃない?」



 数秒ほど沈黙が流れ、先に口を開いたのは世奈だった。



「……チェスできる女の子って、カッコよくない?」


「さあ」


「カッコいい女の子ってモテるのよ?」


「ふぅーん」



 どうでもよさそうに、スマホを眺める紲。


 再生された動画は、ついせんじつ全世界を大いに賑わせた仕合——『逢木鬼あきぎVS百女鬼どうめき』戦の動画だ。

 

 百女鬼チャンネルでアップされた動画はすでに一億再生を突破し、紲も時間があれば眺めていた。


 一部噂では、勝敗の有無で国家予算規模の金が動いたとか動いてないとか。



「また観てる。飽きないの? そんな毎日観ててさ。しかもだいぶ貢いでるっぽいし」


「ん。カッコいい。応援したい。推し」


「……ちょっと前から訊きたかったんだけどさ」



 世奈が呆れ顔で紲に問いかける。



「その兄貴のこと、好きなの?」

「……好きだよ」



 一拍置いて、紲はちいさな声でうなずいた。



「へえ〜。それはそれは、へええええッ」



 呆れ顔にニヤニヤを追加させて、手のひらにあごを乗っける。

 でも、と世奈は言った。



「でも、相手は彼女持ちでしょ? ウララちゃん……だっけ? 報われないと思うけどなー」


「………」


「動画ちらっと観たけど、あれは相思相愛だわ。付け入る隙なんてあるかねー?」


「………」


「まああたしは応援してあげるけどさ……でも叶わぬ恋もあるってことは、知っておいた方がいいと思うのよね? それに人の男に手ぇ出すのは倫理的にアウトだし」


「……世奈は」



 紲は、スマホから顔を上げてボソッと呟いた。



「世奈は、処女?」



 瞬間、ボンっと世奈の顔が赤く破裂した。



「っ、は、ハァァッ!? ん、んなわけないし! 今年で二十五だよ!? この歳で処女とか、な、ないし……ありえない!」


「そう。かわいいね」


「ちょ、ちょっとなんか勘違いしてない!? ていうかあんたも処女でしょッ」


「でも、考え方が違う」


「はあ?」



 不敵に笑い、チェス盤をなぞる。

 白い指先が艶かしく踊る。

 


「わたしは一番が好きだし、欲しいものは絶対に手にいれる」


「そうは言っても……寝盗るってこと?」


「ウララちゃんには借りがある」


「じゃあ尚さら無理じゃないの」


「だから世奈は処女」


「は、はあぁぁッ!?」



 顔を真っ赤にして立ち上がる世奈に対し、紲はいたって真剣に、一切のよどみのない声音で胸を張った。



「わたしは、どんな勝負事にも負けたことがない」


「いやいや、チェスであたしに負けたところでしょう今し方」


「まだ決着はついてない」


「そうだけど、もうほぼ詰みでしょ?」


「それはどうかな」


「———」



 瞬間——紲はチェス盤をひっくり返した。


 

「舐めるなよ、このわたしを」



 盛大に、流れ舞い落ちながら床に叩きつけられる駒と盤上。


 世奈は、なにが起きたのか理解できず、白目を剥いて固まった。



「わたしを、この盤上で捉えられる程度の駒だと思わないで」


「あ、あ、あへえ」


「本当に欲しいものはわたし自身の手で取りに行くから駒は必要ないし、生き死にだけが決着じゃない」



 つまりと、紲は椅子に座り直して締め括る。ドヤ顔で。



「共存——そういう決着の仕方だってある」


「む……無茶苦茶言ってるの、気付いてる?」



 目の端に涙を溜めながら、怒り心頭で散らばったチェスを片付ける世奈。片付け終わったら一髪殴ろうと心に決めながら、世奈は紲を否定する。



「確かに共存ハーレムルートもあるかもしれないけど、みんなが一番ってありえないし、仮にそうであったとしても、あんたの望む一番の価値は貶められたものじゃないの?」


「む……」


「まだ若いから、そういうドーパミン状態の恋愛を楽しむってのもあるけどさ。あたしみたいに大人になると、考え方だって変わってくるもんだし」



 全ての駒を回収し、チェス盤と一緒にアイテムボックスにしまった世奈は、紲に殴りかかった。しかし、華麗に椅子を回転させた紲はその攻撃をかわす。



「避けんなッ」


「馴れ合いをするつもりなんてないよ」


「チッ……。それは他のヒロインたちと、ってこと?」


「うん」



 頷いて、紲はチラッと扉に視線を向けたかと思うと、姿見の前に移動した。


 そこに映る自分の姿を隅から隅まで眺めて、身だしなみを整える。



「わたしは一番だって牽制しながら、互いに互いを喰らって愛し合える関係がいい。必要なら殴り合ってもいい。わたしの男だ気安く触れんなって言いながら一緒に寝るの。それが無理なら家を出ればいい」


「………」


「世奈。お出迎え、よろしく」


「……誰の?」


「ダーリン」



 わずかに照れながら髪をく紲。それとほぼ同時に、下からざわめきが聞こえてきた。


 時間を確認する。

 12:30。

 どうやら、件の想い人は間に合ったようだった。



「……二年後が楽しみだわ」



 おおよそ燃え上がった恋の熱が冷めるまでに要する期間は、二年と言われている。

 


「その時、あんたはどんな顔をしているのかしらね」



 泣いているのか。笑っているのか。

 

 少し楽しみではあるけれど、同じくらいには複雑で。



「まあ……あたしの恋愛じゃないし? 好きにすればいいのよ。——ったく……あたしはいつになったら結婚できるのかしら……」



 悪態を吐きながら社長室を後にし、世奈は階段を降りる。


 

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