第47話 決意
「お兄ちゃん。ちょっとお出かけしてくるね〜」
「ふぉーい」
四月一日の土曜日。
俺はいつものように自室で、サラリーマン時代に積んでいた漫画を消化しながら休日を過ごしていた。
「ちゃんと朝ごはんたべるんだよー?」
「もちろんいただくぜ」
「残したら私刑ね! あと洗い物よろしく! いってきまーす!」
元気よく家を出て行ったウララ。
静かになった家の中で、俺は自室の扉に目を向けた。
「……さて」
ベッドから起き上がり、着替えた俺は玄関に向かった。
しばらく履いていないにも関わらず、きれいに手入れされたスニーカーを足にはめて、俺はウララの後を追った。
目的地は、わかる。
途中でタクシーを捕まえ、
「深江病院にお願いします」
「
病院に先回りする。
病院までおよそ十五分。
その間に、俺はイヤホンをつけてスマホのロックを解除した。
「………」
届いているいくつかのメッセージを無視して『ビー・チューブ』を開く。
開いて、俺は登録チャンネル欄から三日前に配信されたアーカイブを押した。
『【活動休止します】LALAチャンネルからの大切なお知らせ』
回線が悪く、数秒歯車マークがまわったのちに動画は再生された。
どこかの家のリビング。ソファの下に座ってカメラを見つめるウララの姿がそこにあった。
『——タイトルにもある通りなんですけど』
いつもの挨拶もなしに、今にも泣き崩れてしまいそうなウララの掠れた声が、マイクに走る。
『しばらくの間、活動を休止します。いつまでとか、決まってなくて。もしかしたらもう二度と、動画を撮ったりしないかもしれません』
コメント欄が激しく騒ぎ出す。
動揺。不安。心配の声。
示し合わせたかのように、なぜ? という言葉はなかった。
何故なら、
『チャンネル登録者数二十万に到達したばかりだというのに、本当に申し訳ないです。でも、このチャンネルは……わたしと柚佳、そして……』
唇を噛み締め、ボロボロと涙をこぼしながらウララは言った。
『そし、て、
『ら、ララ? 大丈夫? ちょ、あ、ど、どどどどどうしよう救急車!?』
胸を押さえて突然苦しみ出すウララ。
すぐさま配信が打ち切られ……コメントだけがそれでも尚、生きていた。
『大丈夫か!? おい早く救急車よべ!!』
『ウララちゃん大丈夫か!?』
『なにが起きた!?』
『アリサちゃん……お悔やみ申し上げます。今までありがとう』
『仇は俺がとる』
『ララちゃんの気持ちが痛いほどわかる。大丈夫かな、早く病院行って!』
『ララちゃん、胸押さえてたよな? アレにやられた傷が痛むのか……?』
『HPポーションは万能じゃなかったのか?』
『破損は治せるけど病は治せない的な……病?』
『まさか』
『おいおいおい、冗談よしてくれ。魔石病とか洒落にならねえぞ』
『アリサちゃんに次いでララちゃんまで失ったらおれはもう死ぬ』
『魔石病ってなに?』
『体内で地球のものではない石のような物質が生成されて、それが悪影響を及ぼすっていう』
『発症して早ければ三ヶ月、遅くて一年で死ぬって書いてるわ』
『治らないの?』
『治るには治るらしい。三億あれば』
『アスクレピオスの杖か』
『深江市から出ることができれば研究が進むらしいぞ』
『みんな深江市入り口の結界前集合な』
『ワイ、深江市在住。中からこじ開ける』
『やめとけ。ミサイルですらびくともしなかったんだぞ』
『ウララちゃんの無事を願って……微力ながらも受け取ってくれ』
スマホを閉じる。
タクシーのドアが開き、会計を済ませて俺は病院の前に立った。
「……ウララ」
フードとマスクを装着した俺は、猫背を作り、ポケットに手を突っ込んで体調悪そうに院内に入る。
受付はせず、ウララの近くに腰を下ろした。
ウララは、一瞬だけ鼻をビクつかせて周囲を見渡したが、幸いなことに、俺に気づくことはなかった。
「
「はぁーい」
三十分ほど経って、ようやく呼ばれたウララの後をついていく。
看護師に誘導され、診察室に入っていくウララ。
怪しまれるのを覚悟の上で、俺は扉にピッタリと背をつけて目を閉じた。
意識を集中させる。
診察室の中で、先生とウララの会話が聞こえてきた。
『前回の検査結果なんですけどね、
『……はい』
『ちなみに……ご家族の方は』
『大丈夫です。わたしの口から伝えますので』
『……。そうですか。わかりました』
先生の声質は、落ち着いていたがとても重苦しい色をまとっていた。
できればこんなこと言いたくない——そんな感じの、声色。
『検査結果は、魔石病と呼ばれるものでした』
『………』
『百女鬼さんの胸の中央に、一センチほどの物質が生成されています。進行速度は緩やかですが、その……』
『いつまで、持ちますか?』
『早くて半年。一年は、持つかどうか』
「———」
気付くと俺は、両膝をついていた。
看護師さんが俺に気付いて近寄ってくる。
なにか話しかけられた気がしていたが、俺の意識は診察室の中から離れなかった。
『一、年……か』
『進行をこれ以上進めないために、なるべく運動は避けてください。魔物との戦闘は禁止です。あと何が原因かわからない以上、ダンジョンには近寄らないように。推測というよりほぼ間違いないと言われているのは、魔石病の原因となる細菌だったり要因は全てダンジョンから発せられているということです』
『せんせ……わたし、好きな人の子ども産みたいです』
『——は、え……』
『一年、がんばるから……がんばって生きるから、お兄ちゃんの子どもがほしい……っ』
俺は、気がつくと外を歩いていた。
逃げるようにその場を後にしたのは、覚えてる。
それ以降のことはまったく覚えていなかった。
「あれ? お兄さん、さっきタクシー乗ってくれましたよねえ?」
「………」
「ひどいなあ。帰りも乗せてってあげたのに。今からでも乗ってきます?」
「………」
「ほらほら。体調悪そうですよ。いいから乗ってのって、初乗り料金で送ってってあげるから!」
ほぼ無理やりタクシーに乗せられた俺は、ぼーっと窓の向こうを見ていた。
ウララが、死ぬ。
ウララが死ぬ。
死ぬのか、ウララ。
魔石病?
ふざけんなよ。
なんだ、それ。
「なん、なんだよ……」
「お客さん、なにか悩みでもあるんですか?」
「………」
「まあ生きてりゃ悩みは尽きないっすよねえ。お客さんがどんな悩みを持ってるのか知らないっすけど」
「………」
「慰めってわけじゃないっすけどね。オレ、この前まで彼女いたんすよ。大学でナンパした後輩で、ちょータイプでサークルの勧誘的なアレで飲みに行ってそのままお持ち帰りした流れで付き合ったんすけど」
「………」
「しばらくしてガキができて、最初は堕ろすってなったんすけどね。オレ、養護施設出身でガキンチョが大好きだったんすよ。そこ出身なら気安く子ども作るなよとか殴られそーなんすけど、でもオレのガキができたって思うと、スッゲーうれしくて」
「……なんの、話を」
赤信号でタクシーが止まる。
運転手のチャラ男は、気がつくと、とても悔しそうに顔を歪めていた。
「でも……あんなことが起きて……魔物だとかゾンビだとか……マジふざけんなって話っすよね」
「………」
「オレ、ずっと家族に憧れてて……クソみたいな親父とお袋を見返すために、オレ頑張ろうって、大学続けながらバイトして、卒業したらいい企業に就職して彼女もガキも一生養って幸せにしてやろうって……なのに、情けねえ」
「………」
青信号と共にタクシーが動き始める。
俺は、運転手の顔が見れなくなって、再び窓の外に視線を移した。
「オレ、ビビっちまったんすよ。魔物に。目の前で彼女が襲われてんのに、ビビっちまって動けなかった。これから親父になるっていう男が、テメエの女すら守ることができずに、ただ立ち尽くしただけで。
今でも後悔してるんすよ。あの時、オレが戦えてたらって。もしかしたら今頃、二歳のガキと嫁と幸せに暮らしてたんじゃねえかって。
悔やんでも、悔やみきれねえ。クソ情けねえクズ男だ。——だから次こそはって、オレ決めたんすよ。
次こそは、目の前の人間を助けるって。でも魔物はやっぱちょー怖えから、魔物は探索士の皆さんに任せて……オレは、この街の人間を助けることにしたんすよ。このタクシーで」
最初にタクシーを拾ったコンビニ前で停止し、ドアが開かれる。
代金は、初乗り料金のままだった。
「どうしたって後悔するもんは後悔しちまうんで、そこは覚悟決めるしかないっす。ただ、やれることが残っているなら、是が非でも喰らいついた方がいいっていう——経験者からのアドバイスっした」
「……やれること」
「今じゃ三億あればどんな病気だって治せるアイテム的なのがあるらしいっすよ。ものすっげえ大金だけど、もしそれが死者でも蘇らせることができれば、オレはどんな手を使ってでも二つ、取りに行くっす」
「……。ありがとうございました」
会計を済ませ、礼を言う。
「俺も、どんな手を使ってでも取りに行きます」
「いい顔っすね。応援してますよ、お客さん。——んじゃ、またのご利用お願いしまっす!」
タクシーを見送り、俺は居ても立ってもいられなくなって走った。
息切れを起こしながら家に着くと、テーブルの上にラップして置かれていたウララの朝食を貪る。
また涙が溢れてきた。
俺は咽び泣きながら皿を洗い、自室に向かってパソコンを開く。
『三億 稼ぎ方 アスクレピオスの杖』、検索。
十分ほど調べて、結果いま、最も効率よく短期で稼げるのは探索士だということがわかった。
ならばといますぐダンジョンに向かおうとしたが、その前に色々な記事を読み込んで、スキル・オークションというサイトを見つけた。
そこでは、希少スキルや高ランクのスキルが高値で売買されていた。ざっとみて、安いものでも百万以上する。
「深江市の人間は
……いや、待てよ。
もしかしてこのサイトは、こういう使い方をするんじゃないのか?
「——もしもし、親父。頼む、なにも言わず俺に投資してくれ。ウララが大変なんだ」
『わあっとるわボケ。LALAチャンネルを一番最初に登録したのこの俺だぞ! ちくしょう、元嫁に慰謝料払ってなかったら三億なんていくらでも出してやれたのにッ!! ちくしょう!! 死に物狂いで働いてやる!!』
「は、話が早くて助かるぜ。とりあえず、俺にスキル・オークションでスキルを買って転送してくれ」
『……ふむ……。わかった。ウララを助けられるのはおまえしかいないからな。投資してやるよ、このバカ息子が』
「恩に着る」
『スキルはこっちで適当に見繕ってやる。おまえは、死に物狂いでウララを助けろ! いいな、絶対だぞ。間に合わなかったら深江ごとおまえをころ——』
通話を切る。そのタイミングでウララが帰ってきた。
ウララは、何事もなかったかのように俺に一声かけて、自室に入って行った。
「……俺が絶対に助けてやるからな」
その日の夜、速達でダンボールが届いた。
ウララより先に取りに行き、中身を確認すると……金色に光る球体が四つ入っていた。
それに触れると、目の前に文字が浮かんだ。
『スキル:
効果:LUCに+1000の補正。望んだ結果を引き寄せるのと同時に、災いをも引き寄せる。
運命の女神は舵を切る。重心の定まらない気球に足を乗せ、不安定な羽をまとい、決して満ち足りることのない底の抜けた壺を手に。果たしてその幸運は、絶望か。あるいは』
俺は迷わずにイエスをタッチした。
適正基準クリア、と表示され、スキルオーブが瞬いて俺の中に溶けて消えた。
俺は次のオーブに触れる。
『スキル:隠蔽《S》を習得しますか?
効果:任意のステータスを隠す、または操作することができます。しかし、操作した数値分の強さは得られず、またその逆に失うことはありません』
『スキル:餓狼の魔眼《S》を習得しますか?
効果:敵を観察し、弱点を看破する魔眼。クルティカルヒットの確率に補正がかかる。
飢えた狐狼は獲物の隙を狙っている。ただ、その一瞬に身命を賭して』
それらスキルを習得する。四つ目のスキルだけ適正外と弾かれてしまったが、いつか使う日が来るかもしれないので押し入れに隠す。
「サンキューな、親父」
スマホに礼を言って、俺は電源を落として机の引き出しにしまう。
朝になったら、迷宮に行こう。
ウララを救うために。
これまで俺が救われていたように。
「俺が、ウララを守るから」
そして次の日の朝、ウララは俺の自室を叩いてこう言った。
「——お兄ちゃん! わたしと一緒に配信者にならないか?!」
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