第四章『怒髪天』

第39話 配信開始

「もしかしたら、アンタは未来の俺の姿なのかもしれないな」



 電子音だけが支配する、真っ白な病室に花束を置く。

 死んだように眠るおっちゃんのそばで、柚月ちゃんも寄り添うようにして眠っていた。


 

「けど、俺はおっちゃんとは違う道に行くよ」



 そばにあったカーディガンを柚月ちゃんの肩にかける。



「俺は負けない」



 なにがあっても。

 大切なものは、この手で守る。

 そのためなら、手段は選ばない。



「俺は、負けないよ」



 まるで絵画のように美しく眠る親子にそう決意して、俺は病室を後にした。



「——ポテト、いる?」

「おう」

「必勝祈願」



 そう言って、すれ違いざまに師匠からポテトを一つもらった。

 


「……隠蔽とったの?」

「さすがにな」

「残念。でも……ふふ」



 師匠は不敵に笑って。

 そのまま一度も振り返らず、廊下の奥へと消えていった。


 神出鬼没な師匠だった。

 俺はポテトを咀嚼しながら、病院の外に出る。



「お、お、おはようございます……!」

「おはよう、柚佳ちゃん。……顔が赤いぞ、大丈夫か?」

「だ、だ、だいじょ、だいじょぶです……!」



 顔を赤く染め、俺に一向に視線を合わせてくれない柚佳ちゃん。

 いつものことだが、きょうは少し様子がおかしかった。



「いやぁん……」

「………」



 柚佳ちゃんの隣で、マスクを装着したウララがイヤンと体をくねらせた。

 なるほど。

 おまえ、口軽いのな。



「ウララ、もう大人の女だから……ごめんね。ゆかちー」

「……っ、ず、ずるい……!」

「ふふん、きょうの祝勝会でお兄ちゃん貸してあげよっか?」

「えっ!?」

「うそ。絶対やだもん」

「の、のろけはよ、よ、よくない……!」



 ウララと柚佳ちゃんが桃色トークに花を咲かせ始めたので、その間を割って通る。



「いくぞ、二人とも」

「うん」

「は、ハイ……!」



 二人を引き連れ、目指すのは深江駅。


 朝八時過ぎだというのに、外を歩く人の姿はまばら。


 ダンジョンと化した深江駅に向かう人間は、



「………」



 胸を焦がす熱が、強くなる。


 一歩、また一歩と目的地に近づく度に、俺の鼓動は速さを増した。


 これは、緊張か?

 ああ、多分。


 気を抜けば、無様に破れ去るイメージが脳裏をよぎる。


 ヤツに勝利するイメージが、現時点ではまだ想像もできない。



 俺の拳は届くのか。通用するのか。

 この三日間でやってきたことは、無駄じゃなかったのか。

 勝てるのか、負けるのか。


 どういう結果が待っているのか——依然として不明。

 

 けど、俺がやるべきことは明確だ。


 本気のあいつと拳を重ねて、その中から俺の勝利を探り、ただただ打ち込む。

 

 死んでもいいからあいつを病院送りにする。


 そうしなければ、俺はこの先へは進めない。

 


「お兄ちゃん。負けないでね」



 ウララの声に、一切のよどみも感じられなかった。

 俺の勝利を願う、絶対的な信頼感。

 俺はうなずいて、立ち止まった。


 深江駅、地下ダンジョン。

 人気のないその入り口が、きょうはやけに不気味に感じられた。

 


「あなたのことは、うちが守ります」



 力強い柚佳ちゃんの言葉が俺の背を押した。



「だから、殴って」


「ああ——」

 


 さあ——



「配信をはじめようか」



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