第29話 ブラックローズ
「——まて、よ畜生がぁぁぁッ!!??」
地面を転がっていた木原のおっちゃんが、怒声と共に立ち上がる。
「僕の——俺の獲物だろうがよぉぉぉぉッ!!?」
「——あァ?」
疾走を止め、
それに臆せずおっちゃんは、剣の切先を向けた。
「返せよ……!」
「なに寝言いってんだ、ヤク中」
「返せよ俺の三億ぅぅぅッ!」
地を踏み締め、
二人の距離が十メートルほどに縮んだその時、
「——ぁぁ……れ」
かくん、とおっちゃんの足が折れ曲がった。
突然の失速。
おっちゃんは、何が起きたのか理解できないと言った様子で、完全に停止した。
まるで、これまで寄せ付けていなかった重力が、この瞬間に襲いかかってきたかのような。
この、最悪なタイミングで——
「MPが……尽きたのか……!?」
「う、うご……体が、うごか——」
「逃げろ、おっちゃん……!」
「——おい、ジジイ。オレはな、この世で最も許せねえことが一つだけある」
限界を迎え、とうとう体のいうことが効かなくなったおっちゃんの元へ、逢木鬼が双剣を引きずりながら近づいていく。
おい、待て。
やめろ。
明確な殺意をもっておっちゃんに近づく逢木鬼。
その刺々しい凶悪な存在感に、俺は、ウララも柚佳ちゃんも、動くことができなかった。
「雑魚が、クズが、猿以下のゴミがこのオレに」
「ぁ、ぁ」
「身の程をわきまえず挑んでくるっていうその気概ってヤツが」
「ぁ——」
「オレにとっちゃ、ぶち殺したくなるほどに屈辱なんだよ」
目にも止まらぬ剣閃がおっちゃんの体を撫でた。
さらに二撃目が、おっちゃんの体が後方に倒れるより早く三撃目が、さらに追撃がおっちゃんを襲う。
赤の剣閃が、まるで流星群のように降り注ぐ。
「やめ——」
「凡夫にはもったいねえ装備だな。どれくらい耐えられるのか見物だぜ」
「やめろ……やめろ……ッ」
「聞いてんのか、おいヤク中」
俺の声は届かない。
嵐のように荒ぶ暴力だけがこの静寂を支配していた。
おっちゃんは叫び声一つあげることができず、なされるがままに切り刻まれていた。
「やめろ——つってんだろッ!!」
「お、お兄ちゃ……!?」
鉛のように重たい体を無理やり動かす。
しがみついてきたウララを剥がして、俺は逢木鬼の元へ走った。
しかし、
「今いいとこなんだよ。邪魔すんじゃねえ、雑魚が」
「——!?」
突如として現れた黒い影が、俺と逢木鬼を分断する。
その影は円形に広がっていき、逢木鬼とおっちゃんを囲った。
まるで逃さぬように。
ちいさな闘技場のように、あるいは処刑場か。
「ちくしょう、なんだこれ!?」
「そこで黙ってみてろ」
黒い影に拳を打ち付けるも、まるで
そのくせ、足を踏み出したら波のように引き戻される。
どうなってんだこれ。
なんのスキルだよ!?
「くそ、くそ、くそ……!!」
体制を崩して、四つん這いとなった俺は……ただただ、唇を噛み締めながら見ていることしかできなかった。
おっちゃんが、ボロボロに切り刻まれていくさまを。
抵抗もできず。
雑巾のように、変わっていく姿を。
やがて、おっちゃんの体から粒子が溢れはじめた。
おっちゃんの装備が、音を立てて崩れていった。
「チッ。時間を無駄にしちまったぜ」
ドサッと地面に落ちるおっちゃん。
死んでいるのか、生きているのかすらわからない。
「もう二度とオレの進行方向に現れるんじゃねえぞ、雑魚どもが」
——次はねえ。皆殺しだ。
最後にそれだけを告げて、逢木鬼は十一階層へ消えていった。
それからのことは、よく覚えていない。
すぐさまテレポーターを使いダンジョンを脱出。
俺とおっちゃんは、救急車に乗せられた。
そのタイミングで意識を失い……次に目覚めたのは、一週間後のことだった。
「——木原さんはまだ、目ぇ覚ましてないよ」
「……そうか」
ウララに支えてもらいながら、病院の廊下を歩く。
すれ違う人は滅多にいない。俺とウララは、亀のような速度で廊下の真ん中を歩いていた。
HPポーションが普及してから病院に通う人の数は減っていた。
ここにいるのは、HPポーションでも治せない病気や欠損を抱えた人のみ。
看護師や医者もほとんど残業なしで、週二で休めるようになったからかみんな優しい。
「木原さん……『ブラックローズ』を使ってたみたい」
「なんだ、それ」
「違法薬物」
「……っ」
「効果は、人格を変えるほどの興奮作用、全能感、陶酔感、感覚低減等々。元は魔物と戦うために作り出されたサプリの一種だったんだけど、どこかのタイミングで覚せい剤紛いの
「わかったから、もう……いい」
俺は淡々と情報を喋り続けるウララを遮る。
もう聞きたくなかった。
脳裏でよみがえる、別人レベルのおっちゃん。
たしかに、ああ確かに、あれは薬をやっているようなヤツの目だった。
実際に見たことはないが、多分、あれがヤク中に堕ちた人間の目なのだろう。
「くそ」
どうして、気付けなかった。
どうして、止めることができなかった。
どうして……そこまで追い込まれていることに、気付けなかった。
「お兄ちゃん……ここだよ。病室」
悔やんでも、悔やみきれない。
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