第17話 三億

「マジで死ぬかと思った。いやホント、冗談抜きで」

「にゃははは……♡」



 苦笑するウララ。ミシミシと抱きつかれている右腕が悲鳴を上げていた。

 全快したはずのHPがミリ単位で減っていく。



『スキル:痛覚耐性《F》を獲得しました』



 微妙に嬉しくないスキルの獲得方法だった。

 


「……ていうか、何か大事な話をしていたような気が……」

「木原さんならお兄ちゃんが死にかけている間にトイレに行ったよ」

「ダンジョンなのにトイレ完備かよ」

「低階層は業者さんも入りやすいから」

「ほーん」



 俺は適当に流した。



「んで、どう思うよ。あの話」


「娘さんの? まあ、こう言っちゃ悪いけどよくある話だよ。まだ生きている方が幸運。わたしと同世代で死んじゃった子なんでたくさんいるし、それこそゾンビになった母親に殺される子どもなんて二年前じゃ……」



 あまり聞きたくないような話が次から次へと出てくる。

 俺は黙って聞く。

 逃げるわけにはいかないような気がしたから。



「アスクレピオスの杖がほしくて戦っているひともたくさんいるんだよ。一応、伝えとくね」



 ウララは俺の肩におでこをくっつけて言った。



「まさかとは思うけど、手伝ったりしないよね?」

「………」


「この先も、たぶんそういうひと、いっぱい居るよ。トップランカーでもそう易々買えるものじゃないし。この先の階層を進んでいけばきっと、そういう人たちとたくさん出会うよ」


「わかってるよ」

「お兄ちゃんはその人たち全員を助けてあげるの?」

「………」



 俺はなにも言えない。

 言えなかった。


 他人を助けてあげられるほど俺は強くないし、レベル至上主義のダンジョン内でさえも立場は低い。


 身の丈に合わない服は己を見窄みすぼらしくするというが、俺の抱えているこの感情は、まさにそれだった。



「助けてあげたいなって思った」



 いい歳して、汗だくになって必死に魔物と戦って、娘のために働いてんだ。

 本当なら定年退職して、年金もらいながら家族と幸せに暮らしていいはずなんだ。

 なのに、おっちゃんは……。



「お兄ちゃんは、優しすぎるよ」

「どこがだよ」

「そういうとこ、すこしだけきらい」



 むっとかわいらしく俺を睨みつけてくるウララの頭を撫でた。

 


「人数が多い方が稼ぎやすいだろ。俺だってアスクレピオスの杖がほしい。いつか使う日が来るかもしれないし」


「………」


「当面はそれを目標に戦う。おっちゃんの娘さんがどれくらいの時間が残されてるのかはわからないけど、一年以内に二つだ」


「一年で六億? 笑える話だね」



 確かに、笑える話だった。

 無茶で、無謀で、それこそ起業したってそう稼げる額じゃないのはわかる。

 宝くじを買った方がまだ現実味をもてる夢だった。



「いいよ。手伝ったげる」

「当たり前だろ。おまえが俺を誘ったんだから」

「じゃあ、一つだけ約束」

「ん?」



 ウララは、きょう一番の笑顔で言った。



「寝る時はまいにち一緒だよ?」



 それ、は。

 ちょっと。



「お兄ちゃんの覚悟はそんなものなのねえ」

「……っ」

「妹と寝る勇気もない人が、六億稼げるのかねえ」

「っ」



 気がつくと、俺は壁際に追い詰められていた。

 ウララがの顔が下から迫ってくる。体重が乗っかってくる。体が、壁を削り始めた。


 このままだと、さっきの二の舞になってしまう。


 徐々に壁に潰されていく方がタチが悪いと感じた俺は、身に降りかかる恐怖を払うようにブンブンと頭を上下に振った。



「わ、わかった。わかったからっ! もう壁に埋まるのはヤダッ」

「ちゅーもしてくれる?」

「するするッ」

「え——、え、えっちな……こと、は?」

「す——」



 言いかけて、



「いやあすみません、今戻りました! トイレの方が並んでて……あれ、お取り込み中でしたかな? ははは……」

 


 乾いた笑みを浮かべながら頭を掻く木原のおっちゃん。

 俺は、ウララの体を引き剥がして言った。



「おっちゃん。手伝うぜ」

「え、あ、何をでしょう?」

「三億稼ぐのだよ」

「——へ?」


 

 俺の言葉に理解が追いつかないようで、木原のおっちゃんは素っ頓狂に固まった。



「つっても俺だって金ねえから貸したりするわけじゃないぜ。まあアレだ。パーティ組んで魔物倒して、ドロップ品は山分けして売って、依頼達成してマウリちゃんからお小遣いもらって。コツコツ貯めていこうぜ。できれば一年以内に」


「……っ」



 おっちゃんは俯きながら、プルプルと体を震わせていた。

 俺は両腕をまわしながら、おっちゃんに背を向けた。



「忙しくなるぞ、おっちゃん。朝から夜までダンジョンだ。死に物狂いで着いてこいよ」


「……っ、よ、よろしく……っ」



 おっちゃんは、涙とか嗚咽とかを入り混ぜた声で叫んだ。



「よろしく、お願いします……っ!」


「ははっ——」

「もう、本当にお兄ちゃんは……」



 ウララがおっちゃんのリアクションに笑いながら、スマホを構える。



「配信、はじめるよ? って言っても、ずっとカメラはまわしてたけど」

「っしゃ、やろうか。きょうでオークのいるとこまで進むぞ」

「は、ハイッ」


『やっとはじまったか、百女鬼どうめき兄妹』

『なんか他の配信者と違ってクセになってしまう』

『少ないけど、これで杖の足しにしてくれ』

『応援するぞ、兄妹!』

『兄貴、よく言った』



 消音マナーモードを解いたスマホから次々と電子音が流れてくる。

 


『不倫妻:10000¥

 がんばってください。応援してます』


『洒落にならない女剣士:10000¥

 協力する。がんばれ』


『出家したタコ:15000¥

 おまえに課金したるわ。おもしろいものを見せてくれ』



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