第2話 はじめてのダンジョン

「はいはーい、こっちに視線ちょうだーい」


「うぅ……はずかしい……っ」


「いい歳したおっさんがうつむき気味にはずかしいとかやめてよ。萌えるじゃん」


「だ、誰がおっさんだ、まだ二十六だもん……!」


「うへえぇッ!」



 場所は移動し、家からタクシーで一〇キロほど離れたところにある深江駅の地下。


 かつては地下鉄が走っていたその場所は見る影もなく、どこか洞窟のような風貌に様変わりしていた。


 この二年でいったい何が起きたんだ、という詳細を問うよりも先に、これで通勤しなくて済むっていう喜びがまさったので俺は何も言わない。



「お兄ちゃん、そんな俯いてたら死ぬよ。ここは浅瀬でもダンジョンなんだから。魔物だっているんだよ?」


「だ、だってカメラ向けられるのはちょっと……目のやり場も困るし」


「ほらほら、視聴者数ゼロのうちに喋る練習しとかなきゃ。はい、まずは自己紹介」


「あの、こういうのって普通、家で練習しません?」



 間違ってもこんな危険地帯でやるようなことじゃないと思う。



「成長を爆発させるにはアウトプット一択だよ。行動しながらインプットすればいいし、その方が効率的でしょ? ねえ、これ常識じゃない?」


「く……悔しい……っ!」



 社会人の俺が学生に知ったようなくちを聞かれるなんて……!



「たくさんけて馬鹿にされて笑われて成長していくんだよ。アインシュタインだってそうだったじゃん。え、常識だよね?」


「わかった。わかったからその意識高い系の慰めやめてくれ」


「挑戦しないこと。ただそれだけが人生における失敗って……。え、お兄ちゃん。わたし何か間違ったこと言ってる?」


「わかったから! 俺、がんばるから!!」



 そうこうしているうちに、三〇メートルほど離れた草むらからちいさな人影があらわれた。


 薄汚れた布をまとう、小学生くらいの痩せこけた人型。


 ツルツルの頭皮から足のつま先まで、絵の具をひっくり返したかのような緑色。


 明らかに人間じゃないナニカが、こちらをジッと見つめてきた。



「お、ちょうどいいね。レベル2のゴブリンだ」

「ゴブリン?」

「え、知らない? ゴブリンだよ、本物見たことなくてもわかるでしょ?」

「……いや、そりゃそうだけど」



 ゲームでお馴染みとはいえ、こうして現実に出てこられるとちょっと……。



「し、しかも近づいてくる……!」

「迎え撃って、お兄ちゃん!」

「ええぇぇっ!?」



 カメラを構えたウララに背を押され、俺は転びそうになりながら体勢を整える。

 ふと、顔を上にあげた。

 一〇メートルにも満たないその距離に、ゴブリンはいた。



「わ、わお……お、お速いですね……?」

「キィエエエッ」

「うぅ!?」



 親の仇をまえにしたかのような甲高い奇声。勢いよく距離を詰めてきたゴブリンが、拳を振り上げた。


 あまりにも唐突で、受けの用意ができていなかった俺はモロにゴブリンの拳を喰らった。



「ごほ……あ、そんな痛くない」

「ギ?」



 痛い。たしかに痛いが、想像していたより全然痛くなかった。


 たとえるなら、久々に会った親戚の子どもが繰り出す不細工な右ストレート。


 怪人役の俺は避けることを許されない――幾度となく頬やみぞおちに喰らったその拳に、眼前の気色悪い怪物の拳は似ていた。



「ぎ、ぎぎッ!」

「ぐふ……がは」



 とはいえ。



「お兄ちゃん!? どうしてやり返さないの!?」

「ぼえぇッ」



 おいバカ、妹よ。

 やり返さないんじゃねえ。



『――やり返せないんだ』



「ごぼッ」

「お兄ちゃん!?」



『ゴブリンにボコられてやるヤツ久々にみたわw』



 ウララの悲鳴に混じって女の子のかわいらしい電子音が俺を罵った。



「ちょ、ちょっとどういうこと!? どうしてお兄ちゃんがやり返せないの!?」


『一番最初のゴブリンの一撃がみぞおちに刺さって、その痛みから動けないんだw』


「な、なんだってぇっ!?」


『いわゆるクリティカルヒットで草』

『ビギナーが死ぬ姿が見たくて来ました』

『妹こえかわいい』


「お兄ちゃん、急に視聴者ふえたよ! わーいっ! えとえと、兄をよろしくおねがいします!」



 ウララさん。視聴者に媚びてないで兄を助けてください。



「ギギッ!」

「……あー、くそ! いい加減にしやがれッ」



 鳩尾の痛みがやわらいだ隙に俺は拳を繰り出した。



「ぶげッ」

「ぶごッ」

「お兄ちゃん!?」


『相打ちwww』



 ゴブリンの顔面に拳が突き刺さるのと同時に、背の低いゴブリンの拳が、防御を解いた俺の鳩尾に再度突き刺さる。


 互いに一歩仰け反り、苦痛に喘ぐ。


 二度目の鳩尾は、かなりキツかった。息がうまくできない。



『ゴブリンに苦戦はヤバすぎ、オレでも勝てるわw』

『この底辺のせめぎ合いがたまらなく尊い』

『妹顔まだ?』


「ギギギィッ!」



 俺よりも先に体勢を整えたゴブリンが飛びかかってきた。

 俺は、



「お兄ちゃん、負けないで……っ」


「っ!」



 視界の端で、目尻に涙を溜めたウララを捉えた。

 唇を噛む。拳を握りしめた。

 ちくしょう。どうして俺がこんな目にあわなきゃならんのだ。

 ていうか泣くなよ、おまえがはじめたことだろ。



「ぎぶぁッ!?」

「ぁぁらぁぁッ!」



 飛びかかってきたゴブリンが弾かれるようにして地面に落ちた。

 額から血が流れる。人生初めての頭突きは、想像の倍痛かった。


 一瞬だけ意識が飛びそうだった。けれど、妹の前でダサい姿は晒せないという兄の矜持が勝った。



「どぉぉぉぉあらああああああッ!」



 息が吸えないなら吸わなければいい。なんなら肺の中のもの全部ぶちまける勢いで、俺は絶叫と共に足蹴を放った。



「ぎ……」



 ゴブリンの細い首から鈍い音が伝わってきた。断末魔の叫びもなく、ゴブリンは力尽きて……瞬間、淡い光となって消えた。



「か……勝った……! お兄ちゃんが、勝った……っ!」


『勝った!』

『予想外!』

『おめでとうww』



 勝った。

 勝ったのか、俺は。


 粒子となって消えたゴブリン。

 その残り滓に包まれながら、俺は湧き上がってくる衝動と共に拳を突き上げた。



「決着ゥゥ―――ッ!!」


『オイw』

『ジョリーンかおまえはw』

『パクるなww』


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