十一 北へ東へ
── 鹿児島中央駅
翌日、光は普段登校する時刻より早く家を出た。
制服と学生鞄をクローゼットの見えにくい場所に隠し、部屋を覗いても一見、早めに登校しただけに思えるように偽装してある。
保護監督者達にとっては迷惑な話ではあるが、後は高校に体調不良とでも伝えて休みの連絡をすれば家族も学校もサボタージュにしばらく気がつかないだろう。
鹿児島駅で四人待ち合わせ、揃ったところで在来線・鹿児島本線の車両に乗り込んだ。
到着したのは新幹線の始発駅である鹿児島中央駅。ここから新幹線で北上する。
「新幹線は久しぶりだなあ」
「中学校の修学旅行以来かな?」
少し浮かれたように光と彩音は話していた。
親に黙って学校をサボり旅にでる緊張感もありながら、四人だけの冒険という未知の体験への期待もあった。
「そろそろ、出勤してる先生もいる頃だろ。言いだしっぺからどうぞ?」
「そだね。お手本見たいなー」
トップバッターは御免とばかりに啓介が光に欠席の連絡を入れるように促した。
彩音もそれに続くように囃したてる。
「僕から? まあ、いいけどさ。さすがに緊張するなあ」
「大丈夫、大丈夫。虚偽の病欠なんて下宿の奴らならしょっちゅうやってるよ。なあ会長?」
「まあ、そういう話は聞くね」
「まじかよ。親元離れてやりたい放題か」
下宿生の情報も気安め程度にはなったようで、少しだけ緊張を和らげて光は学校に電話をかけた。
「あ、おはようございます。お世話になっております、二年四組天之光の父でございます。はい…… ああ、どうも光の方が体調が優れないようでして、本日は学校を休ませようと思いまして、はい。ありがとうございます、担任の永江先生にもよろしくお伝えください。それでは、失礼します……」
「お前、やってた?」
欠席等の連絡は、特別な事情を除き保護者が行うようになっている。
声を低くして中年男性のような声で連絡をした光。
先ほどまで緊張していたにも関わらず、光のあまりにも堂に入ったやり取りに、思わず啓介も本当に初犯か疑った。
「やってないよ」
「まあ、良い感じのお手本だったんじゃないかな?」
「やるじゃん。 ……私これできるかなあ」
既に覚悟を決めたとはいえ、悪いことをしているという自覚もある将史は内心苦笑いで褒め、先程まで啓介のノリに追従していた彩音は自分の番を考えて少し怖じ気づいていた。
とはいえ心配ごとは早めに取りかかる
「おはようございます。二年五組の迫田彩音です。ちょっと今日朝から体調が悪くて、欠席させていただきたくて…… はい、ありがとうございます。失礼します…… 良かった! 大丈夫だったよ」
彩音は声のトーンを落とし、心持ち疲れた声で連絡を入れた。
特に保護者に確認されることもなく、無事に二人目もクリアとなった。
「実家暮らしは保護者に確認とられるんじゃなかったけ?」
「そんなに厳しくないのかね」
先程の演技は意味なかったかなと光が損をした気分になっている横で、ならば簡単と嬉々として啓介が学校に電話をかける。
「おはようございます。二年四組山元です。ちょっと今日風邪っぽくて、休ませてほしいんですけど。えっ熱? 三十七度二分です。いや、本当ですって! 親? いい……ですよ?」
今度はうまくいかなかったようで、啓介は光に目配せしてスマホを押しつけてきた。
「はい、お電話変わりました。いつも、お世話になっております。ええ、啓介はちょっと体調悪いみた──「お、宮路に迫田。こんなとこでどうした?」──いで……」
後ろで、彩音と将史が誰かに声をかけられている。
その声は光にも聞き覚えのあるものだったので思わず振り返る。
そこには、彩音達の担任・赤坂が立っていた。
「ん? そこにいるのは天之と山元か? お前ら私服で何してる」
「ええと、その……」
彩音が言い淀む。ひとまず赤坂教諭の対応は彼女たちに任せて、光は電話の方を終わらせにかかる。
「──失礼しました。今日のところは欠席させていただきます。これから病院に向かいますので失礼します」
普段の光の声を知る赤坂が近くにいるため、老け声を出してよいものか不安が過る。その結果、素の声と啓介の父を真似て作った声、その中間のような声色で捲したてるように通話を切った。
「ほう、病院に行くのか?」
「ええ、そうなんです」
赤坂にも会話は聞こえていたようで、追求されるが彩音は気丈に振る舞った。
「じゃ、なんで駅にいる」
「福岡の大きな病院に用があって」
「迫田のとこの病院じゃ駄目なのか?」
「もちろんうちでも診たんですけど、もう少し詳しい検査が必要で」
「そうか」
疑いの気持ちが強いが、すらすらと言葉が出てくる彩音に赤坂は少し感心した。
「で、誰のどこが悪いんだ? 素人目にはわからん。四人で行く必要があるのか?」
プライバシーの保護が叫ばれる時代において、あまり込み入ったことを聞くのも憚られるが、監督者として知っておくべきことではあるので症状を尋ねる。
「ちょっと記憶障害が起きてまして」
「記憶障害? 全員がか」
赤坂は怪訝な顔で四人を見回した後、説明しろとでも言うように将史と目を合わせた。
「はい、例の通り魔事件に巻き込まれていたようで。先週の金曜です。一緒に学校を出たのは確かなんですけど、その後の記憶が曖昧で。聞いたら三人もそうだと。覚えのない怪我が所々にあって、啓介は通学用の自転車も壊れたんだよね? 報道を見るにタイミング的にこれだなと、はい」
彩音の嘘を補強するように、将史も嘘を重ねた。こちらは真実の上に築かれたものなので嘘や不正を苦手とする正義漢でも詰まることなく言ってのけた。
「そういうのはもっと早く報告せんか。学校としても生徒の被害は把握しておく必要があるんだからさ」
「すいません。あれ?と思ったのが最近で」
「はあ…… で、本当はどこに行くんだ?」
不承不承といった様子で赤坂が嘘と指摘した。
「本当……とは?」
「まあ結構それっぽかったけどな。たぶん…… いや、通り魔事件の被害にあったのは本当だろう。単なるズル休みって訳でもなさそうだが。ただ脳に関わる大きな検査を保護者なしに受けに行くってのは、まあ無理があろうよ」
正直に言えば、自分達でも苦しいことを言っている自覚があったため光達はごねることなく白旗をあげた。
「僕の電話の内容を聞かれたのが敗因ですかね?」
「そうだなあ。あそこから結構頑張ってたけどな。お前ら普段真面目に学校来てるし初めてだったんだろ? 厳しかったな」
赤坂は多少呆れている様子だが怒ってはいないようだった。
赤坂としても多少のことは大目に見たい気持ちもある。家で大人しくしているならば目くじらを立てることもない。
しかし今回は、どうやら県外に出ようとしている。それも保護者には秘密にしているように見受けられる。
それを見てしまった以上、教師として見逃す訳にはいかなかった。
「で、どこに行こうとしてた?」
本当はどこに行くのか、この質問には光達も困ってしまう。本当のことを言っても信じてもらえないだろうし、嘘をついたり多少濁して伝えても追求されるだろう。
何と答えるのが正解かわからないが、誰かが貧乏くじを引かねばならない。なんとなく、光・彩音の視線が啓介に向かい、将史もそれに続いた。
「俺ぇ?」と小さくぼやいた後、啓介は赤坂に口を開いた。
「えっと…… 黄泉の国に行こうとしてました」
「たわけか? え、は?
どう考えても人聞きの悪い解答がなされ、赤坂も動揺しているように見える。
「どっかでアーティストのライブでもあるのかと思えば、あの世に行く? 意味がわからん」
「違う違う違う間違えた間違えた。島根です島根。黄泉の国の入口があるって聞いて、旅行です!」
「黄泉比良坂か? 旅行なら休みの日に行かんか、たわけが」
もはや軌道修正は無理そうだと判断し将史は強行突破を決定した。
「ああっと、出発の時間だ。もう行かないと間に合わないよ。先生すみません。今日は体調不良でお休みさせていただきます!」
「おい、待たんか!」
律儀に赤坂に休みの連絡を入れたあと、三人の手を引いて新幹線の改札を抜け、乗り場へと駆ける。
赤坂も追いかけようとしたが当然、改札に阻まれることとなった。
……。
─── 山陽・九州新幹線 みずほ
「すごかったなあ。息を吐くように嘘つくじゃん」
「やめてよ、頭の回転が速いって褒めてよ!」
「やるやんけ! さすが学年一桁! かわいいよ!」
「……うるさいなあ」
光から注文していない賛辞まで飛び出し、照れを隠すように彩音は悪態をついた。
光達一行は、新幹線で北上している最中。
始発駅の恩恵に預かり、自由席に余裕を持って座ることができた。
乗り込んだのは最後部にあたる1号車。
客車内にはちらほらと乗客が見えるが、混み合ってると言うほどではない。
一部座席を回転させボックス席を作り、四人向かいあって座っていた。
「新幹線は間違いだったかな」
話題は先程までの出来事。
非行を教師に見つかり出鼻をくじかれた旅立ちについて。
「いや、こればっかりはしょうがないんじゃないかな。当日の飛行機で乗り継ぎ便となると高いし、鈍行だと今日中にはたどり着かない。現地で時間がかかるのはまだしも移動に時間かけてもね」
「とはいえ、それで教師に見つかってるからな。ていうか赤坂って通勤、車じゃなかったか? なんで駅にいんだよ」
「なんか修理中らしいよ。信号待ちの時突っ込まれたんだって」
「諸々タイミングが悪いな」
啓介は肩をすくめてそう言った後、続けて疑問を投げかけた。
「赤坂、親に連絡いれると思うか?」
「赤坂先生でしょ? そりゃあ、連絡行くだろうね」
光から見た赤坂教諭は「生徒の目線に立って物事を考えることもできるが、それはそれとしてちゃんとした大人」であった。
学校で生徒たちの安全を預かる身として保護者に連絡しないわけがない。
その考えは、赤坂の担任クラスの二人も同様であった。
「そのうちスマホが騒ぎ出すな。この
啓介が、鞄からコーヒーを取りだして一服する。
三人もそれに続く。
ただ、光がお茶を取ろうとリュックサックを開いてみれば入れた覚えのないものが入っていた。
「こはく……! なんでえ!?」
天之家の愛すべき小兎が丸くなり眠っている。
「おい、なに連れてきてんだよ!」
「いや、僕としても連れてる気なんてなかったんだけど、いつの間にか入りこんでて」
「閉じよう、閉じよう。動物はまずいよ光」
「そ、そうだね」
将史に促され光はファスナーを閉じる。
光のリュックサックは開けてはいけないキャリーバッグと化したのだった。
「光ちゃん。一応聞くけど、戻る?」
「いやあ、今さら無理でしょう」
「だよねえ。じゃあ一緒に?」
「うん…… ほんと、いつの間に忍び込んだのかな……」
四人と一羽の旅が始まった。
……。
駅で停車する度に乗客は増えていく。
降りる客もいるにはいるが、乗ってくる客の方が多く見受けられる。
博多を発って席ももう埋まろうという頃、車内にはお呼びでないものも現れたようだった。
光が御手洗から出ると、前の車両の方に怖気を感じた。
もはや幾度も経験した瘴気の魔物が生じた時の感覚である。
「おいおい、まじかよ」
誰にも聞こえないくらいの声で愚痴る。
「ん?」「うおっ!?」と乗客の中に化け物の存在に気づいた者もいたようで、そこからちょっとしたどよめきが起こった。
現れたのは膝丈に満たないほどの狼。
不幸中の幸いと言うべきか、車内の人間という限られた人数から集められた悪意や怨念は少なかったようだ。
だが、危険なものに代わりはない。牙を剥き、周囲を威嚇し、恐怖を撒き散らしている。
近くにいた乗客は椅子から跳ね降りて、距離を取ろうと3号車へのドアへと駆け寄る。
その様子に何事かと他の乗客達も様子を伺い始めた。
すぐさま光は二号車に移る。
注目された中ではやりづらいと、後ろから瘴魔の狼に駆け寄り首根っこを掴んで急いでデッキへと引っ張りこんだ。
日緋色の短刀は座席に残したリュックの中。
仕方がないので力任せに床に叩きつけてなんとか排除した。
霧散するように姿が消えた直後、乗客が様子を見に来たのかデッキのドアが開いた。
「おい、さっきの犬はどこにいった。あんたのか?」
「いえ違います! 危ないと思ってここに引っ張りこんだんですけど、急に煙みたいに消えて…… もう何がなんだか」
光は、いかにも驚いていますといった様子を見せた。
飼い主に文句を言ってやろうと意気込んでいた乗客は、光を同じく被害者と認識したのか「そうか、ありがとな」とトーンダウンして席に戻っていった。
御手洗に再び入り、なんとなく不快感が残る手を洗った後、光も彩音達のもとに戻った。
「なんか、ちょっと騒がしいようだったけど何があったんだい?」
「瘴気の魔物が出てた。治安終わってるよ」
「えっ、どうなったの?」
「小さいのだったからなんとか倒したけどさ」
「おお、やるやんけ。日曜の朝にお前のドキュメンタリーを放送してほしいよ」
将史と彩音が光を気遣う中、啓介は能天気に褒めそやかすのだった。
……。
新幹線が小倉を過ぎると、すぐに本州に上陸となった。
山口を通り、将史はこんな時分でなければ松下村塾や花岡八幡宮の日本一大きな刀なども見てみたかった等と話す。
今度は休みの時にちゃんと旅行しようと約束し、東へと通り過ぎていく。
広島、岡山と来て特急に乗り換え北上する。
鳥取・米子に到着すれば残りはあとわずか。
目的地のある島根県松江市揖屋まで、そう時間はかからなかった。
「ここが黄泉比良坂?」
ファミリーレストランで昼食をとり、少し身体を休め、ようやく四人は目的地にたどり着いた。
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