十 決意
── 天之家
土曜授業を終え、消えた記憶の状況確認と説明をすべく、光は幼馴染みの三人を自身の部屋に連れ込んだ。
「昨日、一緒に帰ったのは覚えてる?」
「だっけ?」
「そうだったかも」
「……うん」
啓介と彩音はあやふやな記憶を辿るが答えには辿り着かなかった。
将史は思うところがあるようで自信なさげに答えた。
「わかった。じゃあその前、生徒会室のことは覚えてる?」
「えーっと、行事予定の確認だったような」
「俺、行ってたっけ? その後合流したんじゃなね?」
「……」
「嘘ぉ。事件前の記憶まで持ってかれとるやないかい」
彩音と啓介、共にいた記憶はあれど思い出す内容が異なっている。
ぽっかりと抜け落ちた記憶の穴を補修するように脳が仮の記憶を生み出していたのだった。
「えっ、何これ怖」
「気味が悪い……」
一方、将史も生徒会室の景色は思い出すのだが、何を話していたかは思い出せない。
「じゃあ、もう一回自慢しちゃお! 見てみてこれ、神様に貰っちゃっ──」
「光。僕達は昨日、通り魔に襲われたのかい?」
学生鞄をあさる光の手を抑え、将史は真剣な表情を向けた。
光は、おちゃらけた態度をやめて、ふっと息を吐いた。
「そうだよ。僕達は昨日、瘴気の魔物に襲われた。自分達で大きな怪我なく歩いて帰れたから気がつかなかったようだね」
彩音に初めて神々のこと、忘却の水などを説明したのは昨日の下校時だった。忘れてしまっているのでもう一度教えてやった。
「君たちもレーテの水の影響を受けてるみたい。昨日の通り魔に関する記憶を消されてるんだ。いや、その前の記憶もか。確かにあの時、建御名方様近くで水撒いてたからなあ」
近くにいたため、過分に吸い込んで影響が出たのだろうと当たりをつける。
昨夜、国道十号線・城山入口交差点に出没した瘴気の魔物・ユニコーンについて説明するが彩音、啓介はぴんときていない。将史は何か引っかかるものがあるようだったが、はっきりと思い出せてはいないようだ。
しかし、三者ともに共通して心霊体験をしたようなゾッとした恐怖が生まれていた。
「ねえ、何とか思い出せないかね? 思い出から消えるって、ちょいと寂しいかも」
少しばかり、正しい記憶を呼び覚まそうと揺さぶってみるも三人は困った顔をする。
光は、知らない街に一人迷い込んだかのような孤独感を覚えていた。
三人の思い出から消えた光も自己憐憫に陥っているが、記憶の消去という超常現象を神直々に受けた三人は怯え、動揺し、怖じ気づいていた。
ついには、
「ええと、ごめん光。僕、そろそろ家の犬に餌をあげないと」
「え」
「私も、猫にご飯あげなきゃだから」
「そんな」
「俺も鳩に餌あげなきゃ」
「それはやめた方がいいんじゃないか?」
用事があると言い残し三人は帰ってしまった。
───
── 鹿児島市上町
週が明け、将史達と学校で顔を合わせたが、昨日、今日とどことなくぎくしゃくとした態度が続いた。
別に喧嘩をしている訳ではないので話しかければ、三人とも普通に世間話くらいはするのだが、愉快に楽しくお喋りとはいかないようである。
自分の記憶が消されている事に言われるまで気がつかなかったことにショックを受け、そして気づいてしまったからこそSAN値が削られたごとく精神的に参っていた。
学校からの帰り道、光はちょっとした寂しさを振り払うように、近づいてきた鼬の瘴魔を蹴り飛ばした。
すると、八つ当たりのような祓魔を終え、とぼとぼと歩いている光に声をかけてくる者がある。
「お前さんが光か?」
「ぅわっ」
背後に置かれたキュウリに気づいた猫のように肩を跳ね上げ、小さな悲鳴を漏らした。
突如、背後に現れたのは壮年の男。身なりは、ややだらしない感じもするが普通。しかし、短い無精ひげと薄ら笑いがどうも胡散臭く感じた。
「何です?」
「いやあ、お前さんが天之光だろ? 今は伊集院じゃなくそっちを名乗ってるって聞いたぞ」
どう返事をしていいか光は迷った。見覚えがないかと脳内のアルバムをパラパラとめくるが知らない相手だった。
しらばっくれようかとも思ったが、随分昔、幼い頃に名乗っていた元の名字まで把握している相手にそれも難しいかと思い直す。
「ええ、どちら様で?」
「そう警戒しなさんな。いわば、お前さんのおじだよ。天之の方の」
そう聞くと、ドキリとした。天之の親類縁者となれば相手は神様ということになる。
「ああ、それは失礼しました。えっと、おじというのは」
「俺は、お前の親父のお兄ちゃん。お前にとっちゃ伯父さんというこった」
光は日本神話を思い出す。月讀の両親、伊弉諾と伊弉冉にはたくさんの子がいる。
父は三貴神と崇められ、位の高い神ではあるが、天照大御神の時代に移ろいゆく直前に生まれている。となれば兄弟姉妹では末の方であり兄姉は大勢いるだろう。
その内の一柱かと納得する。
「そうでしたか。ええと、お名前は?」
「神の名前は覚えにくいからな、伯父さんでいい。ま、仲良くしようや。しがない神の一柱さ。それよりお前さん。浮かない顔して歩いてたな。悩み事かい?」
どう話したものか。
しかし、内心を吐露するには都合の良い相手であった。
人間相手では、世界から記憶が消えていて僕だけが真実を知っている等と話せば正気を疑われるか、三年遅い"その時期"かと思われるだろう。
それが、神様が相手であれば話は違ってくる。地上に現れる通り魔の正体は承知しているし、なぜ誰も魔物について覚えていないかも把握している。
「実は……」
光は伯父を名乗る神に話し始めた。
「なるほどな。ここの所、魔物に襲われ続けて、ついにはお友達も襲われた。しかし、そのことは覚えておらず、お前さんは一人ぼっち、と。まあ、しょうがねえ。普通の人間と神の縁者じゃさすがに忘却への耐性の差は出ちまうさ」
「まあ、そうなんだろうけどさ」
「オリンポスの連中なんて嫌なことがあったら、ネクタルにレーテの水を垂らして飲んでるぞ。嫌な気分は記憶ごとパッとな」
「それ、使い方あってる?」
伯父は、心の隙間に入り込んでくるような不思議な魅力のある神で、光はあっという間に打ち解けた。神と人の間柄ながら、親戚らしく気安く語る。
「とどのつまり、この調子だと彼らは僕の近くにいる以上これからも危険な目にあって、記憶も消える可能性があるってことでしょ。そんなんもう、友達やめるしかないじゃないの。やだなぁ、友達でいたいよ」
「さもありなん。だがよお、光。友達ともども安全に過ごしたいってえなら。別の方法もあるんじゃねえか?」
「別の方法?」
「根本から解決するのよ。危険の原因を取り除くんだ」
「原因」
「伊弉冉だよ。我が母上を浄化するんだ」
それができれば苦労はないだろうと光は内心ごちる。十年来、神々が封印する女神を自身がなんとかできるとは思えなかった。
「まあまあ、なぜ他の神が伊弉冉に手を出してこなかったか。オリンポスの一件があったからよ。近づいて万が一にも取り憑かれちまったら被害は拡大する。それで高位の神々は接近禁止って訳だ。その点、お前さんなら? 月讀の血が流れていて力はある。しかし世間に知れ渡っちゃいない、故に信仰者がいるわけでもない。まあ何かあって影響あるとすれば、兄と友達くらいだ。被害は少ない」
この言葉から、白兎に聞いた自身を対抗力にとする神の一派かと思い至った。
「なるほどね、いやそれはちょっと難しいかなあ。父さんの思いを無碍にしたくないし」
「またまたぁ。下校中だなんだと理由つけて、夜に魔物退治に出歩いてたろ? ヒーローになりたいんじゃないのか?」
「そんな、ヒーローだなんてぇ。私はですよ? この地域の安全に少しでも寄与できたらと思い、これまで微力を尽くして参りました。そこに、私が目立ちたいといった功名心は一切ございませんので、そこの所よろしくお願いしますよ?」
「そ、そうか……」
何かを取り繕う政治家のような光の口調に天之の伯父も少したじろいだが説得の手は緩まなかった。
雰囲気が悪くならないように、おどけて否定した光の努力も虚しく終わる。
「いやしかし、月讀は肩身が狭そうだぞ。対抗する手段があるのに月讀の個人的なわがままで事が進まねえ、あげくオリンポスに借りを作るなんて、ってな。ああ、俺は言ってないけどな」
光はその可能性に思い至っていたからこそ、少しでも役に立てればと街に繰り出していた。実際にそうであると、神に教えられるのは少し胸が痛かった。
「ああ…… それを言われるとちょっと痛いけどさ」
「だろ? それに、いつまで守ってもらうつもりなのかって話だ。十年、二十年、お前さんが死ぬまでか? 神の力が覚醒して、身体的にも大人と遜色ない。他に何が必要だ?」
伯父の諭すような口調でまた、迷惑をかけて申し訳ないという思いと自分がやらなくてはいけないという気持ちが湧いてくる。
「なあ、月讀も楽にしてやろうぜ。それが一番いいのはお前さんもわかるだろ?」
「でも、どうすれば」
「なに、やることはこれまでと然程変わらねえさ」
神は持論を述べ始めた。
曰く、人間の悪意・怨念から生じた瘴気が魔物として実体化するのには二パターン存在すると。
一つ目は、人々の間に悪意・怨念が一定量溜まった時。
魔物と化し人を傷つければ恐怖を呼び、また新たな悪意や怨念を生み出すきっかけとなる。どんどん悪感情は膨れ上がり、加速度的に増えていく。
二つ目は、神が近くにいる時。そもそも怨念をぶつける対象が神であり、近くにきたら実体化して襲ってくるというもの。
「お前さんも実体化の瞬間を見たことあるんじゃねえかい? その血に反応してるのさ」
「あっ、見たことある」
なるほど、光にも納得のいく話だった。
「お前さんが伊弉冉の元に行きゃあ、怨念が実体化する。それを討ち祓うんだ、いつも通りだろ? まあ、大元を叩く分、普段より多少キツいかもしれねえが。お前さんならやれる、いや、この日本においてお前さんにしかできないことだ」
「そうかな……? そうかも…… 他に方法は?」
「ないね。いや、あるとすりゃあ伊弉冉の怒りの元凶である我が父が頭を下げるってのもありだが。火に油って可能性もある。これが一番だろうよ」
「そっか」
伯父の話を聞く内に、光は自身がなんとかしなければという衝動に駆られていた。
「おう、いい顔してるじゃねえか。さっさと終わらせて、早いとこ月讀をゆっくりさせてやろうぜ」
慰めるような口調で伯父神は光の肩をぽんと叩く。
「ああそうだ、俺の頼みを聞いてもらったんだ。お友達の件はなんとかしてやらあ。元の感じに戻れるように取り計ろう」
「えっ神じゃん」
「神だよ?」
救いの神は、背中を押すようになおも言葉を続ける。
「一日でも早く事態を収めてくれよ。ただしこっそり動け? 月讀は保護者である以上、お前さんの関与には反対せざるを得ないからな」
「わかった。ありがとう伯父さん」
「おう」
光は家に駆け出していく。
そして、気がつくことはなかった。
もともとは光が一連の事件を解決しなければならない等といった責任はなかったはずなのに、色々と背負わされていること。
そして、伊弉冉に近づくだけで怨念が実体化し、またそれを倒すだけならば、既に力ある神々の手で事件は解決しているであろうことに。
その場には薄ら笑いを浮かべた神・
───
── 鹿児島市上町 若宮公園
午後十時頃、光は将史に近所の公園に呼び出された。
ちょっと飲み物を買ってくると兄に伝え、向かってみると将史、彩音、啓介の三人が待っていた。
「君は一人でどこかに行ってしまうのかい?」
「ん?」
「さっき部屋に君の伯父さんが来たんだ。色々と話を聞いたよ」
伯父はさっそく動いてくれたらしく、将史に至ってはユニコーンの瘴魔に襲われた時の記憶まで取り戻したようだった。
「そっかあ、思い出したか。どうやったって?」
「現場の映像を見せられたよ。車が突っ込んで来た場面に真っ白のユニコーン。朧気に見覚えがあるなと思ったら次々とね」
突然部屋に現れた、神を名乗る人物。当然、不審に思い退去を願った。
しかし、その男は居座って話を聞けという。
神だと言うならば証明してくれと息巻いたところ、突如として窓ガラスがかたかたと震えだし、次第に揺れは部屋全体へと広がっていく。
これは
男はスマートフォンの画面をこちらに向け映像を見せる。
そこに映るのは、救助活動にあたる自分達と化け物に対し孤軍奮闘する光の姿。
実際に被災している映像を見て記憶が揺さぶられ、ぼやけていた視界が開けるようにだんだんとはっきりしていった。
『光はな、お前さん達の安全のために一人で伊弉冉のもとに行こうとしてる。この現状が終わらないのなら一緒にいるのは危険だから友達を辞めるとも言っていた。泣かせる話だよな。あいつもひと月前までただの一般人だったってのになあ。伯父として誇らしいわ。で、お前さんはどうすんだい?』
そう言い残して男は姿を消した。
まさに神出鬼没であった。
男が消え去る前に将史は何やら話し込んだようだが、似たような流れを三人ともに体験し、今に至る。
「一緒に行こう。君の荷物を一緒に背負うよ。それに、あの惨状がいつ襲うかわからないというのは心穏やかに過ごせないからね」
将史が伊弉冉浄化の旅に加わりたいと光に告げる。
「将史!」
『元の感じに戻れるように取り計らう』という伯父の言葉。ぎくしゃくした状態が終われば嬉しい程度に思っていた。
しかし、元の精神状態に戻ったならば、確かに光を一人で危険な目にあわせる筈がないことに思い至る。
家族や友達の安全のために事態を収めるための旅。
危険な目に遭わせたくない。その思いはもちろんあったが、それを上回る嬉しさがあった。
「正直、私に何ができるかって感じだけどね。光ちゃんを一人ぼっちにはさせないよ」
「彩ちゃん……」
「いや、俺はまあ学校サボるのお前のせいにできるならそれもいいかなって」
「啓介、お前なにまともに記憶なくしてんだよ。二回目だぞ、耐性つけろよ」
「無理言うな!」
三人が同行を申し出てくれた、それだけで光は心強い思いだった。
「怨念に蝕まれて怒り狂った伊弉冉を浄化するってのはわかった。で、その伊弉冉はどこにいるんだ?」
啓介が尋ねる。
各々決意を固めたならば、次は計画を立てなければならない。
「伊弉冉尊は黄泉の国にいる」
「え、黄泉の国ってあの?」
自分の知識と食い違いがないか彩音も問うた。
「そう、あの世」
「じゃあ行けっこないな」
現実的でない目的地を耳にして啓介が早々と諦めの声を発した。
それを将史がまあまあとなだめて、話し合いの音頭を取った。
「あの世に行く方法、考えてみようか。一番手っ取り早いのは、「死ぬ」ことだけど……この手段は取りたくないよね」
「できればね」
将史の問に啓介も頷く。
「他には、誰か神様にお願いしてみるかい?」
「お願い? 黄泉の国に縁のある神様って?」
彩音は日本神話には精通しておらず思い至らなかった。
「例えば、素戔嗚尊は黄泉の国に神殿を持ってるよ」
「素戔嗚に対して、あの世に行きたいって言うのか? 『よし、今すぐ送ってやる』とか言われるの怖すぎだろ」
益荒男に強制的に黄泉送りにされる未来を想像し、啓介は顔を顰めた。
「冗談だよ、そもそもこっそり行こうって話だ。神様に頼めるわけがない。となると別の方法だよね、光」
「そう、もう一つの方法は入口をみつける。今回目指すのは黄泉の国。入口はもうわかってる」
「どこ?」と彩音が次の言葉を待つ。
「島根、黄泉比良坂だ」
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