七 ルチア・フォンターナ
── イタリア・ナポリ
ヴェスヴィオ火山とティレニア海を望む美しい観光都市・ナポリ。
その街中を、長いブラウンの髪を結い上げた少女が一人歩く。
晴れ晴れとした空の下、夏らしい涼しげな格好で、地元の子の休日といった様子。
ファニーパックを身につけているのは珍しいが、背中側、服の下に隠したナイフ以外に不審な点は見当たらない。
観光客であろうカップルの男の方が、すれ違い様に見惚れて女に小突かれる。
少女はティーンエイジャーながら、人目を惹く美しい顔立ちをしていた。
だが、彼女に声をかける者は現れない。
親譲りの美貌の持ち主ではあるのだが、今はどうにもご機嫌斜めのように見受けられた。
少女、ルチア・フォンターナは苛立っていた。
ルチアは、オリンポスの天界に住むことを許された半神のひとりであった。
同じように天界に暮らす半神達の中では最年少、妹分としてかわいがられている。
神を父に持ち、人間の母のもと生まれてきた。
この父が高位の神であったばかりに、周囲からは殊更大事に扱われてきたのだった。
しかし、それはルチアにとって一概に嬉しい状況とは言えなかった。
半神達は、オリンポスにて様々な知識や技能、経験が得られる。神々の子として恥ずかしくないように、そして時に
芸術であったり、勉学であったり、各々が得意なもの、秀でたもの、あるいは単に好きなものを生業にして暮らしていく。
幼い頃、ルチアも父の離宮において一通りのことをかじっていた。
絵を描いてみたり、歌ってみたり、踊ったり。楽しくない訳ではないがしっくりこない。
世界中の言葉を学んだり、料理に挑戦したり。これはつまらなかった。
十歳になり、どうにも物足りないものを感じながら天界を散歩していると練兵場に差し掛かった。
弓であったり、剣であったり、男も女も関係なく身体を鍛え、己の技術を磨いている。
練兵場の片隅では、多対一での戦闘訓練だろうか、ひとりの半神が囲まれており、切り込んでくる相手を難なく返り討ちにしていた。
これら武芸に興味をもったルチアは剣を手に取ることにした。
始めは、見よう見まねであったが、見かねた半神達が剣なり弓なり教えてくれてめきめきと成長していった。
これまでにない高揚感を覚え、武芸で身を立てようと決めたのだった。
今では先達にも引けをとらない熟達っぷりである。
そんな時、日本で魔物が地上に現れたとの報せを聞く。
自分の技能にも自信があり、力を発揮できるチャンスだと思った。
現地に向かいたいと武芸の師匠に相談してみるが、「神々にはそれぞれ領域があり、それを我々が犯すわけにはいかない。要請もないのに出しゃばっては駄目だ」と嗜められてしまう。
残念に思っていた所、兄弟子でもある従兄が日本の神に呼ばれて現地に向かったというではないか。
比較的歳も近く、親から受け継いだ神力も互いに強力。自分も活躍できると息巻くが、あまり怪我はさせたくないのだと過保護と感じるような扱いを周囲から受ける。
ルチアは、ひとり憚ることなく日本へ向かった。
しかし、後一歩間に合わなかった。
羽田に降りたった日の夜、日本の西の方で怪物・八岐大蛇が現れたとの報道を目にする。
これ幸いと現地に向かおうとするが、それなりに距離があることを知る。
飛行機を調べるも、羽田に戻る頃には最終便の搭乗手続きは終わっている。
鉄道はどうか。新幹線がまだ出ているが島根とやらには繋がっておらず、乗り換えようにも朝まで特急は出ないとのこと。
まだ倒れてくれるなと願いつつ出雲行きの夜行バスに飛び乗ったが、日が昇り、到着した頃には後の祭り。
大物は倒れたらしいが、有象無象出現していたという魔物共はいないかと探してみたが姿を見せない。
どうやら何もかも間に合わなかったらしいと知った。
お土産を手にオリンポスに戻ると、日本で起きた事件の詳細を聞かされた。
何でも大蛇を退治したのは日本の神々らしいが、怪物を地上に放った元凶の女神、これを浄化するのに日本の半神が一枚噛んでいるらしいと。そして、その半神は最近になってようやく神力を使えるようになった自分よりも年下の少年であるとも。
他にも、人間の神使や巫女達が被害軽減の一助となったと褒める言葉を聞きながらルチアは拳を握り締めた。
その栄誉にあずかるのは自分であったかもしれない。鍛錬した結果を発揮できる場所は未だなく、歯痒い思いをしているのに年下の少年が活躍した? 巡り合わせというものは意地が悪い。ギリリと奥歯も噛みしめる。
しかし最近になって、自分にもようやくお鉢が回ってきそうな気配があった。
日本で見られた瘴気の魔物とやらが、ヨーロッパの一部地域で確認されたのである。
形を模した動物の種類は異なるようだが、神々の血を引く者に邪悪めいた気配を感じさせるとのこと。
瘴気の魔物は人の多い地域で発生するらしく、神々も目を光らせるが、神兵として訓練してきた半神達も警邏にあたることとなった。
ルチアは、ここナポリに遣わされた。自信にとって馴染みの街ではあるが、未だ目撃例が一件もあがっていない地域である。
またも、危険の少ない場所にと都合良く配属されたかと思えば機嫌が良いはずもない。
周りの女達からぶつけられる、やっかみのような不躾な視線も煩わしい。
不機嫌を隠そうともせず街を散策していると、ふとどこからか陰気な気配を強く感じた。
そして、建物の影から女性の悲鳴が響き渡る。
(これね!)
ルチアは口角をニッと上げて、悲鳴の元へと走り出した。
───
……。
(はあ…… 最悪。タイミング悪いんだから)
発生したばかりの蛇の瘴魔があっさりと祓われ、女はため息をつく。
「また集め直し」そう呟いて禍々しい気配を漂わせる箱に蓋をした。
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