七 歓迎されない新人

 ゼウスを筆頭にギリシャ神話の神々の住まうオリンポス山。

 荘厳な神殿の建ち並ぶ天界の端、神々に献上され使用人として働く人々の宿舎に光はいた。

 石造りではあるが、地上の建築に近くなじみ深い建物である。


「ちょっと、まだなの? しっかりしてよ!」

「ごめんなさぁい!」


 宿舎の窓拭きをしている途中で先輩に小言を頂き、慌てて動きを速める。

 先輩は、先ほど光に指示を出して上の階の窓の清掃に向かったが全て終わらせた、先に始めたのにまだ終わらないのかと詰めてくる。

 アルバイトは禁止されている高校に通う光。初めての労働に四苦八苦していた。

 得意なことはあるかと問われたが、特に答えられるような特技はなかったため、ひと通り業務を行い適正を見ることとなった。

 業務を担うのは使用人用の食堂の手伝いや、使用人の部屋があるエリアの清掃など。

 拙い働きを神々にお見せする訳にはいかないので、多少目溢しもできる下っ端の作業を体験してまわる。


(この量は無理だって……!)


 光はワンフロア全体の廊下の窓拭きを命じられていた。

 オリンポスでの生活にはまだまだ馴染めそうにない。

 作業に不慣れなこともあるが、光は既に新人を歓迎しない方々に目を付けられていた。

 今は同じ使用人を相手にして働いているが、神々直属の使用人が足りなくなれば、ここで熟達した者が補充要員となる。

 他にも、卓越した技術や一芸が神々の目を引き、お声がかかるということもある。

 憧れの神様にお仕えしたいという者もあれば、神の寵愛を受けたいという者もいる。

 新人、すなわちライバルが増えることを疎ましく思うのだ。

 やりづらいことこの上ない。


「これじゃ、時間がいくらあっても足りないわ。貸しなさい!」

「ああっ!」


 光を監督する先輩・ヘレナも、新人を歓迎しない一人であった。

 掃除道具を取り上げてフロアの残りの窓をテキパキと磨き上げていく。

 仕上がりを見れば光が作業を行った箇所と、先輩が作業を行った箇所は一目瞭然である。

 暴行を受けるだとか、罵詈雑言をぶつけられるといったいじめではなく、シンプルに実力の差を見せつけて己の無能を突き付けてくるのでぐうの音も出ない。

 ここにお前の仕事はないから、さっさと辞めてしまえと言外に告げているように感じる。

 光はオリンポスに一旗揚げに来た訳ではないが、どうにもやるせない気持ちになった。



 その日の夕食。

 女性宿舎の食堂に行けば、長いテーブルに所狭しと料理が並んでいる。

 キトンに身を包んだ女性達が部屋いっぱいにおり、食事をとったり給仕をしている様は圧巻であった。

 光は空いてる席をみつけ、異国情緒あふれる食事に舌鼓を打った。

 さすがは天界の料理。美味であるだけでなく、オリンポスの食材を摂取している間は異言語間であっても意思疎通ができるまじないが掛かっているという。

 ぼっち飯もなんのそのといった具合であるが、正面に座ってくる者がある。


「やあ、光。今日の仕事はどうだった?」


 長身でショートカットの少女・ディミトラ。光の二つ年上のこの娘は宿舎の古株であった。光は心の中でイケメン女子と評価する。

 皆が皆、新人を嫌う訳でもなく、こうして気にかけて積極的に話かけてくれる者もいた。


「まあ、悪くなかったかな。少なくとも昨日やった厨房の手伝いよりはね」


 何十人分の食事を並べ、何百枚の皿を洗ったことか。光は飲食業にだけは就くまいと心に決めた。


「そっか! 適正が一つ見つかったなら何よりだ」


 監督の先輩に酷く打ちのめされ、適正と言えるものでもなかったと思うが、ディミトラが笑顔で激励してくれるので微笑みで答えた。


「しかし、全部人の手でやってるんだもんな。てっきり天界の食事ってのは無からパッと現れるもんかと思ってたよ」

「そういう神秘的な魔法は、神々や一部の半神の食卓ね。私達は基本的に料理人の手料理よ」


 答えたのは隣に座ってきたヘレナであった。


「やあ、ヘレナ。光と仲良くなったんだね」

「別に。今日は監督役だから傍についてるってだけよ」


 ヘレナはつっけんどんに返した後、パンをちぎって口に運んだ。


「料理にしても、掃除洗濯にしても人の手でやるのは、ある種の職業訓練だね。技術を磨いて神々の目にとまればお抱えになれる。そうでなくても、奉公を終えて地上に戻った時に、オリンポスで働いていた人材ってのは知る人にとっては計り知れない価値だそうだよ」


 奉公のため、数年オリンポスにいる者もあれば、使い物にならず数日で去る者もいる。

 大体は二十歳前後で、遅くとも二十五、六で地上に戻ることが多い。

 例外が神に気に入られた場合で、さらに長く、生涯をオリンポスで過ごすこともあるが稀なことであった。

 長い間天界で働き、教育の面で不利益は無いかと言えば、全知全能の称されるゼウスのお膝元なのだ。叡智の数々が納められた図書館で知りたい知識は全てが手に入ると言っても過言ではない。


「あんた厨房の手伝いは芳しくなかったみたいだけどね。魔法の食卓があったとしても、食にこだわる神は料理人に研究させて手作りの料理を召し上がるそうよ。料理ができて損はないわ」


 生きるために食べるのではなく、楽しむために食べるのが神々である。ヘレナのアドバイスは的を射ていた。

 お抱えになりたい訳ではない光には刺さらなかったが、預かった後輩への責任感の強さには感服した。


「日本の天界には人間はいないの?」


 ふと、興味を持ったのかディミトラが尋ねた。


「うーん、いないんじゃないかな? そもそも八百万の神って言って、神様だけでもたくさんいるから人の手はいらないんじゃないかな。もしかしたら有用な人材は死後、黄泉の国から呼び出されてるかもしれないけど…… でも、その場合も死後に神として祀られた人だろうから、やっぱり人はいないかな」

「人が死んだら神になるの? めちゃくちゃね」

「ちなみに『死んだら仏』って言葉もある。仏教徒はそっち」

「何でもありだね!」


 ヘレナは唖然とし、ディミトラはケラケラと笑った。



 少し離れた席で、その様子を面白く無さそうに見ている者達がいた。


「あーあー。ディミトラに取り入っちゃって、目敏いこと」

「生意気。ねえ、グラジア?」

「……」 


 ヘレナとは違う選択をする者達もいるようだった。

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