四 高天原にて

 ── 高天原 皇宮


「それで、オリンポスの返事は?」

「預かり知らぬと」


 天照大御神あまてらすおおみかみ建御雷たけみかづちの返事を聞き、然もありなんと小さく息を吐いた。


 失われた天叢雲剣の行方は高天原でも捜索されている。

 そもそも、その存在は初めからイレギュラーであった。

 怨念が実体化した魔物共は、倒せば霧となって消えるのが常であったが、先日討伐した八岐大蛇は違った。その遺骸が残り続けた。


 異なる点と言えば、有象無象の魔物共は怨念を押し固めて創造されていたが、八岐大蛇は神代の頃に素戔嗚尊が討伐した個体の骨に怨念が送り込まれ肉付けされる形で発生していた。

 その違いが、消滅か否か分けたのだろうか。

 騒動後、倒れるように眠りこけていた素戔嗚が目を覚まし、浴びるように酒を呑みながら亡骸が消えていないことを聞き、


『じゃあ、あの剣もあったりしてな! 前は尾から出てきたんだ』


と口にしたことで調査が行われた。


 そして、地上に降りた頃には既に誰かの手に渡っていた。

 人間が手にしたのかとも思ったが、どこの神社にも奉納はされず、また情報もない。

 国内の後ろめたい者か、国外からの神社と縁のない者に持ち出されたか。探してみるも行方がわからない。


 疑うようで悪いが、半神を派遣してくれたオリンポスにもそれとなく尋ねてみたが返事は先の通り。

 天照としても、派遣されたポセイドンの子セイリオス・ダルラスの人となりはある程度知っており、不埒な事をする者とも思っていない。


 はて、どうしたものかと考えていると何やら外が騒がしい。


「なんて事をしてくれたのだ! 思いつきで勝手をするのもいい加減にしていただきたい」

「でも、すっごく可愛くなったでしょう?」


 月讀が何やら申し立てているが、綾惶根は柳に風といった様子。


「そんな事は関係ありません。本人に勝手に身体を作り替えるなど言語道断だと言っておるのです」

「まあ、可愛くなかったってことですの?」

「うちの子は娘だろうが息子だろうが可愛いに決まってる」

「あらあら」


 月讀が執務室まで漏れ聞こえてくるような大声を上げているのは珍しい。


「何があったかご存じ?」

「どうやら月讀のとこの次男坊が綾惶根様の目を引いたようで」


 真面目くさった顔で建御雷は告げた。

 それだけで天照は何が起きたのか理解したのだった。


「これまでも、何度地上を混乱させたことか」

「素晴らしい資質を秘めている子を解放してあげただけでしてよ」

「真摯にそれを願う者であれば目も瞑りましょうが、大抵がその意に反していたではありませんか」

「そんな事ありませんわ。みんな、いたく気に入ってましてよ」


 口論は続く。

 しばし聞き耳をたててしまったが集中すべきは天叢雲剣の行方だと思い返す。

 そこにノックとともに新たな情報が神官によって届けられた。

 それはまさに行方を知る手がかりとなり得るものであった。


「外にいる月讀を呼んできていただけますか?」


 少しだけ思案した後、天照は神官に告げた。


───


「えっと…… なぜ僕は呼ばれたので。あっ、面足尊が戻られましたか?」


 夏の課外授業が終わり、いよいよ明日から夏季休暇。喜び勇んで帰宅した所、光は高天原に召喚された。

 天照大御神の執務机を正面に立つ。

 右手には高御産巣日たかみむすびと建御雷、左手には月讀と綾惶根が立っており、もちろん正面には天照が座っている。

 なお、綾惶根はニコニコとした笑みを浮かべていて、隣で月讀が難しい顔をしている。光はなるべくそちらには目を向けないように正面を見据えた。


「いえ、残念ながらまだ面足は戻っていません」

「そうですか……」

「今回あなたを呼んだのは神使としてのお仕事をお願いするためです」


 お願いとは言うが当然、断れる類のものではない。そのつもりもないが、一人で神々に囲まれているとどうにも居心地が悪い。


「承知しました。それで一体何をすれば?」


 説明は高御産巣日神が引き継いだ。


「お前にはオリンポスに潜入してもらう」

「潜入ですか? 派遣とか交流ではなく?」

「そうだ。ある物を探し、見つけた際は回収してくるのだ」


 光は僅かにたじろいだ。


「つまり……泥棒してこいと仰るので?」

「否。盗られた物を取り返してこいという話だ」


 高御産巣日は顔色を変えずに言い聞かせる。


「順を追って話そう。先頃、討伐した八岐大蛇。奴の尾には前例どおり天叢雲剣という神剣が眠っていた。我々が回収に向かった所、既に他の者によって持ち去られた形跡があった。国内を探ったがその所在についての情報は得られなかった」


 しかし、と続く。


「同時期に、国内にはオリンポスに連なる者が二人いたことが明らかになった。一人は高天原の要請によって来日したポセイドンの息子。こいつは当時の動向は掴めている。問題はもう一人。予告なく来日したゼウスの娘だ。事件の前後で密かに入出国している」


 当然、他の可能性も捨てきれないが、この娘によって国外に持ち出されたというのが高天原の大方の予想であった。


「オリンポスの公の返答は預かり知らぬとのこと。捜索の協力は期待できぬ。そもそもゼウス自体が娘に秘密裏に命じたのやもしれぬ」


 三種の神器に準ずるような神剣を黙って持ち出されたとあっては高天原としても面子がたたない。

 こちらもこっそり回収してしまえば何もなかったのと同じで公には丸く収まる。

 知らぬと言うならこちらが取り返しても文句は言えない。無い物は盗めない筈という理屈である。

 神々の世に国際司法裁判所など無い以上、自力救済するしかないのであった。


「そこで、お前にはオリンポスに潜入してもらう。天叢雲を探し、見つけ次第こっそりと持ち帰ってくるのだ」


 なるほど、オリンポスに行くべき経緯は理解した。しかし、光には懸念があった。


「わかりました。 ……この姿で行くんですか?」


 どうやってオリンポスに潜入するのかは当然考えがあるのだろうが、女性の姿で向かえというのだろうか。

 身体は女性のものでも動きは男性のもの。ぎこちなさが見て取れた。

 なによりパスポートの記述と異なる性別ではギリシャへの入国も適わないだろう。


「その姿の方が都合が良いのだ。第一に天之光という月讀の息子についてはオリンポスに知っている者もいる。しかし天之光というについて知っている者はいない。偽装の面で役に立つ。第二にオリンポスでは、男は外で力仕事、女は室内で使用人仕事をすることが多い。男の使用人もいないこともないがその数は少ない。神殿内を探るのにその性別が役に立つ。第三に、ゼウスは無類の……まあこれはいいか」


 高御産巣日は「ごほん」と一つ咳払いをして続けた。


「都合が良い理由はわかっただろう? その姿で向かってもらう」

「はい……」


 演技の経験などなく、家事を上手くこなす訳でもない。使用人として働きながらスパイ活動をするなど全くもって自信はなかった。


「では、さっそくよろしくて?」

「え?」


 光の両肩に手を置いたかと思えば、綾惶根はうきうきとした口調で他の神々に尋ねた。

 高御産巣日が呆れたようにため息をついた後、首を縦に振る。月讀は何か言いたげに口を開いたが再び閉ざし、好きにしろと言外に告げた。


「オリンポスには髪の短い女性は少なくてよ」


 綾惶根はそう言って、光の男性とも女性ともとれるショートの髪を、上から手櫛で撫でた。

 すると、手櫛を下ろすにつれて撫でたところの髪がスルスルと伸びていった。 


「わあ」

「ふふっ。ストレートも素敵だけど、巻き髪にしてもかわいらしくてよ」


 綾惶根が髪の半ばから毛先にかけて指でくるくると弄ると艶やかな髪がウェーブしていった。


「まあ」

「ほう」

「ふむ」


 神々の反応は上々。


「しかし、その髪型の女子おなごはオリンポスにはそれなりにいよう。顔は日本人なのだ。もう少し控えめにして東洋らしさを出してはどうだ?」

「あら、そう?」


 建御雷の注文を受け、手櫛で髪を梳かすとウェーブは解けていく。今度は毛先のみを指でくるくると回す。


「光。あなた要望はなくって?」


 そう問われても、光は女子の髪型の善し悪しなどわからなかった。


「……ちょっと落ち着かないので一つに束ねてほしいです」

「ふむ。これでよろしいかしら?」


 紐でポニーテールに結いあげたあと、鏡を差し出した。


「えっ、かわい……」


 鏡に映る少女の姿に光はしばし固まってしまった。

 綾惶根が月讀に近づき、肘でつく。


「ほら、ご覧なさい。みんな気に入ってると言ったでしょう?」

「……」


 綾惶根は、悔しげに黙り込む月讀をさらに煽ろうとする。しかしそれは光の言葉に防がれた。


「かわいい……うん。かわいいけど……僕はこの娘と話すことはできないし、触れ合うことも出来ないんだあ……」


 あわや涙が零れそうな表情と哀愁のこもった声で呟いた。


「息子がややこしいナルキッソスになったんだが、どうしてくれる?」


 ナルシストの語源となった、自身に恋をしたギリシャ神話のナルキッソス。

 息子が女体化した自分自身に惚れるという怪訝な行動に出た元凶に詰め寄った。


「まあ気に入ったことに変わりはありませんわ。ええと、光。右手で左手を握ってご覧なさい。そうすればその娘と触れ合えますわ」

「うう……虚しい」


 言われた通り自分の手を握るが何の情も湧かなかった。


「準備が出来たなら出発してほしいのですけれど……」


 天照大御神の言葉は失敬ながら、神使には届いていなかった。

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