十二 脱走

「輝……いや光? 何してるのこんな所で! ここは生きた人間が来るところじゃないの!」

「わかってる! さっき聞いたよ!」

「はあ……! でも会えて嬉しい」


 沙織は光をぎゅっと抱きしめた。

 抱きしめられた光はどうしてよいかわからず、抱きしめ返すべきかと腕を持ちあげたが、それもなんだか恥ずかしい気がして、そっとまた降ろした。


「大きくなったね」

「うん、母さんは変わらないね」

「ええ、だって死んじゃったんだもの」


 その声はどこか寂しげだった。

光を抱きしめ、目を閉じてその体温を感じた。

 しばらくして目を開けると、光の肩越しに沙織と彩音の目があった。


「この子は……彩ちゃん、彩音ちゃん?」

「はい、そうです。お久しぶりです」

「やっぱり! お母さんの面影があるもん。彩ちゃんもすごく大きくなったね。お母さん元気?」


 せっかくなので沙織は彩音も抱きしめた。


「はい。両親も姉も妹もみんな元気です」

「そっか、奏詠ちゃんも遙歌ちゃんも大きくなってるんだろうなあ」

「うん、兄さんと奏ちゃんは大学四年。僕と彩ちゃんは高校二年。遙ちゃんは中学三年。みんなそれなりに大きくなってるよ」


 それを聞き沙織は、がばっとハグを止め二人の肩に手を置いて顔を合わせた。


「大学生に高校生!? そっかあ、もうそんなに経つんだね。いっぱい勉強してる?」

「ぼちぼちかな」


 沙織は微笑みながら、光の頬を軽くつねった。


「話し込んじゃった。まだまだ話し足りないけど。追われてるんでしょ?」


 光と彩音が首肯する。


「ここ、この本棚の裏に……」

「手伝うよ」


 沙織が、本棚を動かそうとするので光が手伝う。


「ふう、隠し通路があるの、道なりに行けば外に出られる」

「母さんも一緒にどう?」

「ううん、母さんは一緒にいけない。もうここの住人になっちゃったから。それに、伊弉冉尊はね、今は少し怖いかもしれないけど、本当は優しい方なの。ひとりにできない」


 先ほど怖ろしい思いをした光としては俄に信じがたい話であった。

 母が死を賜った元凶が伊弉冉なのだ。神様と言えども諸手を挙げて歓迎できる方ではない。


(母さんは一体、ここで何を見たんだ……)


 しかし、長らく一緒にいる母がそう言うのならば、きっとそうなのだろうと思う。


「そっか……また会える?」

「きっといつかね。彩ちゃん、光をよろしくね」


 沙織はそう告げたあと本棚をすぐさま元の位置に戻した。

 再び親子は別たれた。


「行こうか」

「うん」


 光の言葉に彩音は静かに答えた。


「大丈夫?」

「うん、ありがと」


 彩音に握られた手を、光はそっと握り返した。


 ……。


 外廊下へと出た二人は将史達の元へ向かう。


「おいっ! 後ろ! 後ろ!」

「後ろ? おわっ!」


 神殿の外に出て気づかれたようで泉津醜女が化け物を引き連れて追ってきていた。


「走れ! 走れ!」


 鳥居を抜ける際に、一体に鞄を掴まれる。


「ぐっ、この」


 振り払おうとするが、掴まれたまま一緒に鳥居をくぐり抜けてしまう。

 内に封じられた者を外に出さない結界は破れ、泉津醜女とその軍勢が溢れ出た。


「わあ! わあ!」


 各々、鞄から桃を取り出して投げつける。

 奪い合い、貪ってる間に距離を稼ぐがすぐに追いつかれる。


「なんとか地上まで戻って入口を塞ぐんだ!」

「桃は!?」

「もうない!さっきので最後だ!」


 無数の亡者に追いかけられる。


「なああああ!」


 洞窟を駆け上がる。


「出口が見えた! もうすぐだよ」

「二人とも急いで! 追いつかれちゃう」


 足の速い将史と彩音が後の二人に呼びかける。

 四人が門の外に飛び出し、急いで扉を押す。


「閉まった!」


 門を閉め閂をかける。これで一安心。そう思ったのも束の間。


「えっ?」

「うそ、うそ、うそ」


 反対側から押され黄泉の門が動き始める。閂が歪み、どんどんと開く隙間が大きくなっていく。


「将史! どうすんだよ、これ!」

「なんとか抑えるんだ」


 四人が体重を乗せ押さえるが、あまり持たないことを全員が知っていた。


「駄目! 開けられちゃう」

「ああ、島根が魑魅魍魎の街に……」

「……人口が増えて、良かったのでは?」

「···…確かに。痛っ」


 光と啓介が焦りと緊張と恐怖を誤魔化すべく冗談を言い合っていると彩音に殴られる。


「ごめん、やっぱなしで」

「鬼籍の奴らが増えても戸籍課は喜ばないわな」


 彩音としても小突く程度のつもりだったが、切羽詰まった状況では加減できなかった。


「もうこれ以上は……無理! 限界」

「走ろう! 三、二、一で一気に」


 将史の提案に何度も頷く三人。


「三、二、一、いまだ!」


 光が岩肌に触れ三人が千曳岩の外に飛び出す。

 辺りはもう、夕紅に包まれていた。


「うわっ、気持ち悪」


 光は、去り際に黄泉門から無数に飛び出る手を見てしまった。

 駆け抜け、注連縄をくぐり、さらに走る。


「ん? あいつら来ないぞ」


 振り返れば、泉津醜女は詰まったように固まっていた。石柱の間から出られないようで、注連縄の内側に泉津醜女が押しつけられて、醜女ぶりをより晒している。

 駐車場と境内と言うべき場所は段差になっていて、ここが境界なのだと認識できるのだが、その境界においても同様の光景が見られる。


「あそこにガラスでもあるのかって感じでへばりついてるね」

「注連縄って凄いな、ひと安心か?」

「そうでもないみたい」


 『みしっ、みしっ』と注連縄が音をたてていることに彩音は気づいた。


「えーっと、離れようか?」

「そうしよう」


 光の提案に賛成する将史。


 『みしっ!』とひと際大きな音をたてた注連縄。ついに限界に達し千切れた。

 そして溢れ出す亡者。

 スポーツ万能な将史、彩音とは反面、運動の得意でない光と啓介は遅れて走る。

 光は月讀の血により身体が変化し筋力は上がっていたが、持久力はそこまでだった。


「走れ! 走れ!」

「俺らの心配はいい! 振り返らずに走り続けろ!」


 二人を心配し、後ろを振り返りながら走る将史と彩音に対し、啓介が叫ぶ。


「あいつらまで、俺らに付き合わせることもないだろ」

「そうだね」


 僕らに合わせる必要はない、二人だけでも助かってくれたら。そう思い啓介の選択を尊重する。


「まあ俺も付き合う気はねえけど」

「はあ?」


 まだ、力が残っていたのかスピードを上げ、離れ際に光を煽る啓介。


「へっ、遅いぞ光!」

「くっ」



 泉津醜女の手が光に触れようかという瞬間、日が沈む。

 途端に力が満ちてくる光。走るスピードが上がり、啓介を追い抜く。


「遅いぞ啓介」

「くっ」


 追い越し際に啓介を煽る光。


「おいっ! 今なら逃げずに戦えるだろ」

「ん? それもそうか……いや、馬鹿言うな! あの数だぞ! ん?」


 道の先、前方に人影が見えた。


 「あれは……父さん!」


 月讀の姿に気づいた時、世界が暗転した。




「きゃっ!」

「うっ!」


 四人の声が重なる。

 突然、浮遊感を感じたと思ったら地面に叩きつけられていた。


「ここ、どこ?」


 辺りを見渡すと神社にいるようだった。


「これは、出雲大社だ」


 将史が社殿を見て気がついた。


「そうか? なんか違くね?」

「ああ、有名な注連縄は神楽殿の方なんだ。こっちは拝殿だね」


 呑気に神社談義に花を咲かせてる場合ではないと思い出した頃、月讀もやってきた。

 光にずんずんと近づき、目の前で叱り始めた。


「この馬鹿者! 黄泉の神殿に行くなど何を考えている。それに家を黙って出るなど、皆がどれだけ心配したことか」

「ごめんなさい」

「あそこは生きた人間が行く場所ではない。許可無く黄泉へ入るなど」

「さっき母さんにも怒られたよ」

「ああ、そうだろう誰だって怒る……沙織に会ったのか?」


 月讀の勢いが止まった。


「うん、母さんはこの十二年。ずっと黄泉の神殿で働いてたみたい。伊弉冉尊をひとりにできないって言ってた」

「そうか……」


 月讀は少し顔を伏せる。沙織が死んだ後、黄泉の国を探し回ったが姿がなかった。すぐさま転生してしまったか、ないとは思うが魂まで破壊されてしまったか、あるいは黄泉の国の探せない場所にいるのか。どうやら三つ目が正しかったらしい。

 二人の息子がその生を終えた時、黄泉の国で再会できればと思っていたので、見つかったことが嬉しく思う。一人は早すぎる再会をしたようだが。


「……よく戻ってきた」


 そのまま黄泉の国の住人になってしまうことも考えられたため、生きて出てきたことを褒めてやった。


「そうだ、あの亡者たちはどうなったの?」

「泉津醜女なら、ひとまず私が黄泉に送り返した。千曳岩の中は今頃ごった返しているかもしれん」

「そっか」


 先程の瓶に詰まったような光景が光の脳裏に過ぎった。



 ぽつんと水滴が肌を撫でた。


 「雨?」誰かがそう言った直後、僅かに地面が揺れた。


「地震か?」


 その場にあるすべてのスマートフォンがけたたましく鳴り響く。


「速報より揺れの方が先に来ちゃったよ……ん? 違うな。避難警報?」


 地震を知らせるアラートかと思ったが違った。


「巨大生物出現、直ちに離れてください。何これ」

「これだ……」


 ネット上にアップロードされた映像を観る。

 薄汚れた太く長い骨が宙に浮かび、それに向かって大量の瘴気が集まっていく。骨を覆い隠し、みるみると膨れあがった塊は生き物の姿を形作っていく。

 瘴気の最後の一粒が合流し、実体化した怨念は地揺れと衝撃波を起こしながら地に降り立った。

 長い首と赤く鋭い眼光を持つ怪物が天に咆哮している。


「これは、竜?」


 別の地点の映像も確認できる。

 こちらの映像では先ほどの怪物が三体蠢いていた。


「竜が三匹も?」

「いや、もっとだ。それにこれは竜じゃない……八岐大蛇だ」


 映像を確認した月讀尊が眉をひそめた。


「狙いは何?」


 光の問いに、顎に手を当ててしばらく考える。

 一カ所、思い当たる所があった。


「ふむ。おそらく、ここだろう」

「出雲大社? なんで」

「ここでは神々が、様々な議を行う。男女の運命を結ぶ神議りもそうだ。……日々の死者千人のみならず、生まれてくる因果さえも消してしまおうというのか、母上」


 月讀尊は揖屋の方向の空を見上げた。


「兄上、ここにいたか」

「素戔嗚」


 光の叔父・天之猛。父の弟であれば、それが素戔嗚尊であることは、考えられることだった。素戔嗚と呼ばれた叔父がどかどかと近づいてくる。


「光! お前、偉いことしでかしたなあ」

「ええ、あれも。あれも僕のせいかなあ……?」


 黄泉の神殿に侵入した代償が怪獣の出現という、自分一人では到底背負いきれない重いものとなり、目を背けたくなった。


「他にあるか? ふっ冗談だ。遅かれ早かれああなっただろうよ。まあ母上が今日と決めたのはお前のせいかもな、がっはっは」

「うう……」


 バシバシと光の背を叩きながら笑う。相変わらずの剛力だが、その痛みが僅かな慰めとなった。

 素戔嗚尊が胸を叩いて頼もしく吠える。


「まあ任せとけ! 実体化したならこっちのもんだ」

「そうだな母上に巣くう膨大な怨念をどう祓うべきか考えどころだったが、あれを形作るため相当量放出しただろう。風向きは変わった。膨れ上がった悪意そのものを向けられれば我々も取り憑かれる可能性があったが、これならいける」

「大蛇退治ならお手のものよ。おい、この辺の酒造会社まわって酒精の強い酒造らせろ。俺が引きつけとく」


 やってきた事代主命に命じたのち、天羽々斬あめのはばきりを引き抜いてにやりと笑う。


「では、行ってくる」


 素戔嗚尊は姿を消した。



「父さん、僕はどうすれば?」

「あれに対してはその短刀も役に立つまい。下がっていなさい。いや、そうだな……」


 月讀尊はしばし思案する。

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