十四 八岐大蛇
── 島根県松江市
自身を祀る
道中、眷属のごとく権現した魔物を天羽々斬で薙ぎ払いながら進む。
有象無象には一瞥をくれてやるだけで見つめる先は大蛇のみ。
……。
事代主が酒造会社に着いた時、職人達はそこにいた。
「ああ、良かった。既に避難していても已むなしとは思ったが」
事代主はにこやかに杜氏に語りかけた。
「まさに今、そうしようかと思っていた所だがね」
蔵人達の手によって、会社の名前の書かれたバンと、自家用車数台に荷物が運び出されている際中であった。
「申し訳ないが仕事を頼みたい。この地に住まう者なら、あれの鎮め方は知っていよう?」
「酒か」
「それも酒精の強いものを」
杜氏は目蓋を閉じて、一息吐く。
代々続いた酒蔵も今日を以て廃業、命あっての物種と覚悟を決めたばかりであった。
しかし、あれに立ち向かう者達がいるならば、最期のひと仕事をするのも悪くなかった。協力するのに否やはない。
「わかった。市販の流通品よりも度数の高いものが欲しいんだな? あれがここに来る前にありったけ用意しよう」
「ありがとう。身の安全は保障するよ」
杜氏が周囲で話をうかがう蔵人達に号令をかける。
「しゃあ、聞いたかお前ら! やるぞ」
「「おう!」」
当然、ここにいる全員、大蛇退治の神話は知っている。
新たな神話の一ページを紡ぐ一員となるべく決意の光を宿した眼で、職人達は酒蔵へと戻っていった。
── 島根県出雲市 出雲大社
出雲大社・拝殿にて、啓介は
こうして作られた注連縄を避難経路や酒造会社の付近に張り、魔物の被害を防ぐ。
「これ、あとどれくらい作るんすかね?」
「まだまだ。いくらあっても足りないだろうから。あれが討伐されるまでずっとかも」
「うへえ」
近くの巫女に話しかけ、啓介が駄弁を続けようとするも取り合ってはもらえなかった。
── 島根県松江市
八岐大蛇は家々を踏み潰しながら進んでいく。その胴体からは自重に耐えきれないのか血が滲み町を汚している。
逃げ遅れた人あらば、頭同士が争うように奪い合いひと呑みにしている。
そこかしこで渋滞が起き、車での移動は叶わず、走り逃げ惑う人々の悲鳴が溢れる。
また一人、逃げ遅れた女性が大蛇の餌食になろうかという時。
素戔嗚は女性を後方に放り投げ、大蛇の舌を切り落とした。
「行け!」
女性は振り返らずに一目散に走った。
八岐大蛇の頭の間を飛び回り注意を引く。この場でこれ以上、悲しみや怨念が増えないように。
……。
同じく松江市揖屋。
八岐大蛇を迂回するように光と将史が駈けていく。
「えいや!」
「ふっ!」
天津神に借りた十拳剣を手に、道中現れた魔物を切り捨てて進む。
二人は出雲大社にて、建御雷の加護を得た。
全身に力が漲っており瘴魔の攻勢をものともしない。
同様に加護を受けた二人だが、血の覚醒によって身体能力が向上した光に引けを取らないどころか、
僅かに上回るのではないかという動きを将史が見せていた。
それを見て、光はこの戦いの後で少しは鍛えるべきか等と考える。しかしこれが一連の事件の終焉だと頭を振る。そんな余裕すら窺えた。
将史としても、帰宅時に瘴魔に襲われた記憶が蘇ってから、また、この旅においても、光が一人で戦うのを歯痒く思っていた。ここぞとばかりに力を振るう。
目指すは黄泉の神殿。
……。
八岐大蛇はまっすぐに出雲大社に向かっているようで、今は松江の市街地を逸れて田畑を荒らしながら進んでいる。
頭八つに一人で対処するのは限界があったため人の多い所を外れてくれたのはありがたかったが、出雲大社までの直線上には所々に町がある。余談は許されない。
突然、自身の対峙している頭とは別の頭が激しく威嚇しだした。
「おう! 遅かったな!」
「
建御名方が助太刀に現れた。
父・大国主が素戔嗚の娘・
だからと言って須世理姫が母かと言うと、そうでもないのが神々の複雑なところ。
しかし素戔嗚としても祖父のように慕ってくる建御名方を邪険にはせず、むしろこうして手の足りない時に駆けつけてくるので、なんとも頼もしく思った。
「黄泉比良坂が亡者で詰まってるのが見えまして! 爺様の部下をあの二人のつゆ払いに遣ったんですが、宜しいですかい!」
「ああ、それでいい」
建御名方に報告を受けた後、素戔嗚が声を張る。
「あまり怒りを買いすぎるなよ! 酒に目が行くくらいの余裕を残してやれ!」
「はっ!」
── 島根県出雲市 出雲大社
彩音は大国主と共に負傷者の手当をして回っていた。
人間の怪我は大したことはない。せいぜい、擦り傷、切り傷や捻挫などが大半であった。それ以上の怪我となると八岐大蛇の下敷きか胃袋の中かという、幾人か出てしまった手遅れの者のみ。
しかし、素戔嗚に続き勇猛果敢に大蛇へ挑んだ神々からは痛ましい怪我人が出ている。足の折れ曲がった者、腕から先を食いちぎられた者などが歯を食いしばり痛みに耐えている。
そこで、彩音は医薬の神の威光を目の当たりにすることとなった。
怪我人を診るやいなや、材料箱をあさり瞬時に薬を作りだし処方する。傷はたちどころに塞がり、面影も残さず、失った手足でさえも再生を始めている。
彩音は作り置きの薬を持って、専ら軽症の者の手当にあたったが、大国主の手元に幾度となく目が奪われた。
── 黄泉の国 黄泉津大神の神殿
「まさか、こんなに早く戻ってくるとはお母さんも思ってないだろうね」
「ほんと、どんな顔して会えばいいんだか」
黄泉に住まう神々の助力を得て、黄泉の神殿へとたどり着いた光と将史。素戔嗚を慕う神々が、群がる亡者の軍勢を切り捨て、道を開いてくれた。
ここから先は神々が怨念の新たな温床となるのを防ぐべく、光と将史の二人で進む。
既に先程来たばかり、伊弉冉がどこにいるかは知っている。一直線に鏡の間へと向かう。
光の手には勾玉の首飾り。玉祖命と祓戸大神によって作られたこれが伊弉冉に取り憑いた憤怒の怨念を吸収するという。
過去最大の魔物を解き放った直後、今が絶好の機会であった。
ばんっ! と扉を開く。
「愚か者が戻ってきたか」
振り向く事なく告げる伊弉冉。傍らには近侍する沙織がいた。物音に驚きそちらを見れば生者の国に帰ったはずの息子が立っている。
「光! なんで戻ってきたの!」
「ほんと、ごめん。色々終わらせるために戻ってきた」
「終わらせるって……」
何をしでかすつもりなのか、沙織は心配するような目つきで息子を見た。相手は黄泉津大神・伊弉冉尊である。無茶をしないでほしい。
そして当の伊弉冉は今の会話に引っかかりを覚えた。
「沙織、あれを逃がしたのはお前か?」
「……ええ」
「何故じゃ。其方は長年わらわに尽くしてくれた。味方と思うてたが」
「ええ、私も貴女の味方でありたいです。しかしそれでも、貴女に息子を殺させる訳にはいきません」
「そうか、あれは息子か。月讀め、隠しておったな。しかし私より息子が大事か、この裏切り者め!」
伊弉冉は沙織の顔をはたき、突き飛ばした。
沙織はよろけて倒れ、赤く腫れた頬に手を当てながら俯く。
「何するんだ!」
母を傷つけられ、頭に血が上る。
光は、咄嗟に沙織と伊邪那美の間に立ち剣を向けた。
「おい、誰に向かって申しておる。それに剣を立てるなど、無礼者め!」
「光……」
将史に起こされた、沙織はなんと言えば良いのかわからなかった。
「もう良いわ、親子そろって無となれ。醜女共、今夜の糧にしてしまえ」
声を合図に、ぞろぞろと泉津醜女が入ってくる。
将史と二人、十拳剣を構えた。
── 島根県松江市
八岐大蛇は宍道湖の畔を進む。
この頃になると、大蛇のけたたましい威嚇音の他に空を割る自衛隊機の風切音も辺りに響いた。
民間人の護送に、怪獣の偵察にと忙しくしている。
瘴気の魔物に対し、警察及び自衛隊の攻撃は一定のダメージが認められた。
しかしこれら魔物は、動物のように見えて、悪意や怨念によって作られている。
身体の一部を吹き飛ばしたとしても、飛散した瘴気が集まり修復してしまう。
神の力や神器の聖なる力で祓う行程が必要となるのだ。
無力化したはずの敵が再び動き出す様子を見て駆除を断念し、住民を魔物から引き離すことを主目的に動いていた。
八岐大蛇が来待川の付近にさしかかった頃、素戔嗚に報告がくる。
「酒の準備ができました。この先、出雲空港に運ばれています」
「よし」
── 島根県出雲市 出雲空港
空港内滑走路には西日本の各地から蒸留された酒精の強い酒が集められた。
出雲近辺で製造された酒は、避難誘導にと酒蔵を訪れた陸上自衛隊が買って出た。
事代主は、大蛇の巨体を少しでも長くその場に留めるべく、
昔ながらの大桶に入った酒が何十と並べられる。
それらを八つに分けて設置するよう月讀が指示を出す。
「ご苦労だった鳥船。それと、もう一つ頼めるかい」
楠の大船は再度、西へと飛んでいった。
大蛇への対抗手段はいくつあっても良い。
天鳥船が飛び立ったのを見送り、滑走路を見渡す。
「さあ再び
神代から時を超えた八塩折作戦が始まる。
── 島根県松江市
「撤退だ!」
素戔嗚が建御名方に叫ぶ。
八岐大蛇が宍道湖に侵入した頃合いで、素戔嗚らは注意を引くのをやめた。
十分時間を稼ぐことはできた。
自分らも決戦の地に向かう。
今度対峙するとき、大蛇の首は胴とお別れすることになる。
「湖でよくその首を洗っておけよ……」
この先に出雲空港がある。
── 島根県出雲市 出雲大社
境内に、置かれた光のリュックがもぞもぞと動き、僅かに開いたチャックの隙間から小兎が顔を出した。
身をよじらせて、こてんと外に転げ落ちる。跳ねてまわり、境内のあちこちにある兎の像を巡る。
こはくが一体の像の前で立ち止まり見つめていると、その兎の像が突如動き出し、声を発した。
『よーしよし良くやった、偉いぞぉ。帰ったらいっぱい遊んでやろうな』
それを聞いて、こはくはその場で跳ね回った。
『そうか、そうか、愛いやつめ』
聞こえてくるのは白兎の声だった。
自身を模した像を通して、こはくに声を送っている。
白兎はこはくを自らの眷属とし、神の使徒としての役割を与えていた。
何やらこそこそと出掛ける準備をする光の鞄に潜ませて同行させたのもその一つ。自身にその目的を伝えるため、危険があれば助力するために。
思春期の少年達の逃避行なら気の済むまでやれば良いと思ったが、黄泉比良坂でこはくの気配が地上から消えたとなると話は違う。
直前までこはくが現在地を白兎に思念伝達していたおかげで、子供らの危険を月讀に伝えることができた。
黄泉では伝達が届かなくなったためか光を頭役と考えて、神殿に案内してしまったようだが、それは仕方がないだろう。
与えられた役割は果たした。存分に褒めるに値する小兎であった。
青銅の前脚で傷つけないように少しだけ撫でていると、そこに一柱の神が近づいてくる。
その姿を見ると、兎の像は頭を下げ平伏した。
こはくは小首を傾げるばかり。
「兎殿。そちらのかわいいお嬢さんを少しお借りできるかな?」
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