二 少年少女

 ── 鹿児島市 中心市街地・県立高校


 夏季課外授業は、午前中のみ行われ、午後からは生徒諸君は各々勉学なり部活動なりに精を出す。

 光も部活動ではないが、中学生の一日体験入学を明日に控え、生徒会執行部のミーティングに参加していた。


「で、中学校ごとの参加者名簿を明日の朝渡すから、身長順に整列してもらって出席確認までお願いするよ」


 事務机を囲んで座る面々に生徒会長・宮路将史が体験入学の流れについて説明するが、まともに話を聞いているのは副会長・迫田彩音くらいで他の生徒会役員達はまともに耳に入らなかった。

 彩音の膝の上に抱えられた光が視界に入り、気が散ってしょうがなかった。


「あの、彩音さん。恥ずかしいのでそろそろ放してもらえませんか?」

「私語はやめて」

「いや、私語どころじゃないことを彩ちゃ……」

「しっ!」

「……はい」


 男子生徒用の夏服を着た女子生徒が天之光と名乗り生徒会室に現れた時は何を言っているのかと戸惑ったが、それを聞いた彩音が有無を言わさず女子生徒を自らの膝の上に乗せて後ろ抱きし始めたのはさらなる困惑であった。

 突如性別が変わった光も気になるし、普段やさしく頼れる副会長である彩音が澄まし顔で奇行に走っている。気が散らない筈がない。


「その後は半々に別れて半分が説明会、もう半分が校内の見学だ。全員が一斉に動くと廊下がごった返すからね。見学の引率は僕達だ。いくつかの中学校をまとめてその班ごとに移動。まあまあの数になるから、はぐれないよう学級委員長、副委員長が列の後ろで補助してくれる」


 むしろ会長はなぜ平気な顔で説明を続けているんだろうか、どれも意味が分からなかった。


「体育館に戻ったらもう半分と交代だ。説明会の方は先生方が取り仕切るから、僕らは同じ事を二回やるだけ。質問やわからないところある人?」

「はい」


 一年、書記の永田がすかさず手を上げた。


「天之さんはなんで性別が変わってるんですか?」

「光」

「いつの間にかこうなってた」

「だそうだよ。他に質問は?」

「はい」


 同じく一年、会計の谷尾も続く。


「彩音先輩はなぜ光先輩を抱っこしてるんですか?」

「彩音ちゃん」

「幼馴染みだからです」

「また疑問がひとつ解決したね」


 一切、謎は解かれないまま淡々と進行する生徒会長。

 一見動じていないように見えたが、実のところこの人も混乱しているのかもしれない。後輩達は様子のおかしい三人目を見てそう思った。


「明日の体験入学については質問なさそうだね。気も漫ろだったから内容も頭に入らなかったことでしょう。後でグループLINEに詳細を送っておくよ。みんな時間とって悪かったね、もう部活に向かっていいよ。解散だ」


 確かに、既に各々の部活動の集合時刻は過ぎていた。生徒会の仕事で遅れるとは伝えているが、そう大幅に遅刻する訳にはいかない。

 しかし人智を超えた現象に興味が引かれない訳もない。

 後ろ髪引かれる思いで顔を見合わせていると、将史にさっさと追い出された。

 扉が閉められた後も、何か言いたげな様子だったが渋々、部活動へと向かっていった。


「剣道部はどうなんだよ、将史」


 既に自身の部活も始まっているだろうにと光が少女の声でからかう。


「僕は生徒会長だぞ! 部活なんて行かなくても良いんだ!」

「良いわけないだろ、正気に戻れよ」


 昔馴染みだけの場になった途端に声を荒げて戯言をのたまう。将史もやはり混乱しているようだった。自覚しているのか、息を深く吸い、心を落ち着かせている。


「ごめん、取り乱した…… いったい、何でそうなった?」


 将史は足の先から頭の先までもう一度見直して、呆れ顔を浮かべた。


「言ったでしょ、気づいたらこうなってたって」

「気づいたのは、いつだい?」

「登校して御手洗に行って、有る筈のものが無くて…… 店員さんにも聞いたんだ。でもそこになければないですねって」

「そういうのは今は良いよ。はあ…… そりゃあ、僕達は不思議な体験をしてきた。神々が実在し、地上に影響を及ぼすことも知ってる。魔法や呪いといった類いもあるんだろう。誰に呪われたんだい?」

「いやあ、それがさっぱり」


 月讀の血によるもの? 月讀女神説? いや、男神である月讀に会っているのでそれはない。などとぶつぶつ言いながら将史は一人の世界に入り込んでいった。

 一方、光はスマホの充電が切れていたことを思い出す。

 遅刻と思い、家を飛び出したが家には三柱の神々がいる。呪いのような負の痕跡が家にあれば連絡が入っているかもしれないと考えた。


「彩ちゃん、モバイルバッテリー持ってない?」


 お腹を腕で固めて放さない人間チャイルドシートに聞いてみる。


「持ってない」

「そっかあ。そろそろ放さない?」

「や」


 自分よりも取り乱した者がいると人間冷静になるもので、姿の変わった当事者でありながらこの場で光が一番冷静であった。


「モバイルバッテリーなら俺が持ってる。貸してやるよ」


 ノックもせずに生徒会室に入ってきた啓介が空いていたパイプ椅子にどかっと座った。

 受け取ったバッテリーをスマホに繋ぎ、電源がつくまで充電されるのをしばし待つ。


「ずるいぞ。俺も幼馴染みだ、変わってくれよ」

「うわ、きっつ。ていうか、どっから聞いてたんだよ」


 女子の膝の上に座らせろ等とのたまう幼馴染みに光は顔を顰めた。


「そっちじゃない。俺は彩音ちゃんに言ったんだ。女子を膝の上に座らせる経験なんて滅多にできないからな! お前なら憚ることはない!」

「きっつ」


 顰めた顔の皺が深くなる。


「ほら、怖くないぞ!」

「そりゃ怖かねえけどさ」

「やめなよ、光ちゃん嫌がってるじゃん」

「おかしいな、彩ちゃんのも遠慮してた筈なんだけど」


 彩音が庇うように抱きしめた。嫌ではないが、なお恥じらいが勝る。


「いいの! これまでずっと男子どうしばっかりで仲良ししてたんだから、私の番なの!」

「別に仲間外れにはしてないだろ。なあ?」

「もちろんだよ、そんなことするわけないじゃない」


 光と啓介がとりなすが彩音の不満顔は納まらない。


「でも、瘴気の魔物とか危ない事、私に内緒にしてた」

「でもほら、黄泉には四人みんなで行ったでしょ? 一緒一緒」

「じゃあほら! 体育とか私だけ別の競技してる!」

「そういうカリキュラムなんだから仕方ねえだろ」


 光も啓介もなんとか納得してもらおうと反論にあたるが彩音の感情の吐露は続く。


「この間だって、一緒に勉強会してたのに。私だけ帰って、男子三人はお泊まりしてた! 仲良ししてた!」

「それは……うん」

「さっきからその仲良ししてたってのやめてもらえるか?」


 反論がなかったことで、今ぞ攻め時とばかりに言葉を並べる。


「ほら! これは仲間外れだったでしょ?」

「まあ、それはさ。世間体的にも良くないかなって」

「それ、世間体! 仲間外れの建前」

「いや、思春期遅っ。その辺の男女の違いとか小中学校でなんとなくわかるだろ」

「そう! わかってた! 仕方ないと思ってた! でも見て、ここにいるのは女の子どうし。なんの遠慮もない。男女二二だし丁度いいよね。万事解決」


 言ってやったとばかりに、むふーっと満足げな顔を浮かべるので啓介は降参した。


「仕方ねえ。今回は譲るよ」

「やったあ」


 啓介が折れたことで、誰のぬいぐるみになるかが決まった。

 気の済むまで好きにさせれば良いかと光は諦観めいたため息を吐いた。


「それはさておき、その変化は身体に害はないのかい?」


 思考の世界から戻ってきた将史が問う。


「彩音ちゃん、調べられないかな」

「……今じゃなきゃダメ?」

「頼むよ」

「わかった。しょうがないなあ」


 彩音は光を解放し、向かい合わせにパイプ椅子に座らせた。

 両手を手に取って、身体の中の様子を探る。

 胸元、彩音の制服の下で紅色の勾玉が淡く光を放つ。

 勾玉に付された大国主命おおくにぬしのみことの医療の神力しんりきを行使し診断する。

 頭の先から足の先まで確認すると勾玉の光も収まった。


「うん、異常なし。いたって健康。あと、外見だけじゃなく中身も女性のものになってる」

「ということは?」

「生まれた時から女の子って感じ。手術で改造されたって訳じゃないみたい。お父さんの病院で調べたら性染色体もXXを示すと思う」

「超常現象だね。大国主命の医療の力で戻せるかな?」

「たぶん無理かな。直すべき異常がないんだもん」


 害はないが、ないからこそ大国主の神力は使えないと光にとって複雑な結果となった。


「まったく、誰がこんなことを」


 そろそろ良いだろうと光がスマホの電源ボタンを長押しすると起動を始めた。

 家族からは特に連絡は入っていない。呪いの類の痕跡は家には残っていないのだろう。

 就寝時、充電していた筈のスマートフォン。なにか手がかりがないかといくつかのアプリを開いてみる。

 するとギャラリーに撮った覚えのない写真が並んでいる。

 変身した後の自分の寝顔が何枚も。ついでとばかりに撮影者とのツーショットまでも。


「なるほど……」


 光の呟きを聞いて三人もスクリーンを覗き込んだ。そこには知っている顔があった。

 綾惶根尊。高天原で出会った、女性を讃える女神。

 この女神なら、容易くやってしまえそうだとこの場の誰もが得心がいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る