八 憂世

「君さ、昨日の放課後のこと覚えてる?」

「何が?」


 部屋を訪ねて聞いてみたところ、啓介は狼騒動の記憶を無くしているようだった。

 それもそのはず、月讀に渡された希釈したレーテの水を飲んだのだ。

 これでも飲んで落ち着きなさいと知ってるおじさんに水をもらえば、断るという判断にはならなかった。

 それはもう美味しくいただいた後、気づいたら家にいた。習慣というのは怖ろしいなと見当違いの解釈に落ち着いたのだった。


「例えばの話なんだけど、僕ら二人の目の前に狼がいてさ、どうも逃げ切れそうにないって状況になったら、どう対処する?」

「なんだよ急に。まあそうだな。そうなったら、お前の足を引っかけて転ばせるかな。餌食になってる間に逃げさせてもらうよ」


 啓介が笑いながら答える。


「なるほどなあ! ははっ。とりあえずぶん殴っていいか? 僕にはその権利がある」


 あの時、光は何かに躓き、転んだ。

 では何に躓いたのかを考えた時に思い至るものがあった。


「何でだよ。例え話だろ?」

「ああ例え話だとも。でも君は実際にやる奴だ」

「そんなのわかんねえだろ」

「わかるんだなあ、それが」


 小突く。


「おい、やめとけよ。喧嘩になるぞ」


 小突く。


「やめとけって」


 小突く。


「上等だ、やってやらあ!」


……。


「で、この通り。月讀の力を手に入れたってわけ。おわかり?」

「痛いほどね」


 ボコボコにしてわからせてやった後で、町を歩きながら自分の身に起きたこと、今後の展望について語る。

 故意だろうが事故だろうが関係ない、啓介の足に躓き、転び、一人酷い目にあったことを思えば多少の鬱憤晴らしが必要であったのだと心で言い訳をする。能事畢れり。


「気にするなとは言われたけど、僕のせいで父さんが肩身の狭い思いをするのはなあ」


 女神ヘスティアの時は、神々ほど信仰を集めてる訳でもなく、人間ほど脆弱でもない神と人の子、半神が事の次第にあたったと白兎から聞いた。これにより瘴気に狙われることも少なく、仮に瘴気の支配下に落ちても影響は少なくなるといった状況で退治することができた。

 現在日本には神と人との間の子はおらず、前述の条件に一番近いのが人間の身体と神の血を持つ光であった。

 高天原には、光を鍛えて怨念への対抗手段の一つにすべきという意見と、彼もまた保護すべき人の子であるという意見、どちらも存在した。

 保護すべきというのが、月讀をはじめとする高位の神々の意見であったため、光は今まで平穏無事に過ごしてこられた。

 しかし対抗手段にというのも少ない意見ではなかった。保護を強く主張する月讀の意を汲んだ高位の神々にしても、どちらの意見も妥当なものであるというのが本音であった。


「それで、ヒーローの真似事をするって?」


 啓介は患部を変若水で冷やしながら、光の話を聞く。

 若返りの皮膚の活性化とともに、治癒の効果もあるらしい。


「真似事ね。大人しくしてたいってのが本音だけど。そうした方が良いのかなって」


 月讀が語らなかった神々の反応を白兎から聞き、自分はどうすべきか未だ身の振り方を決めかねている。


「優柔不断だな。ま、なるようになるだろ」

「そうかもなぁ。じゃあ行こうか」


 啓介の家を出て、将史の家に向かった。

 インターホンを鳴らせば、喜んで迎えてくれる。


「やあ、いらっしゃい。どうしたんだい?」

「世界の秘密を持ってきたよ」


 約束を果たしにやってきた。


 ……。


「うーん、啓介にはその記憶はないんだね?」

「ああ、昨日の夜のことはよく思い出せないな。普通に帰ったような気もするんだが」

「凄いや、おじさんや卯月さん、それにハクトまで神様だって? 僕、これまで失礼なことしてなかったかな?」


 非日常的な話に感じ入るように将史は聞き入った。


「それで、今回は鬼じゃなく狼だったんだね、しばらく後をつけてきて転んだ際に襲いかかってきたと」

「ああ、転ばされた時にね」

「うるせえな、心神喪失か緊急避難で無罪だろ」


 考え込む将史。その狼の挙動には思い至るものがあった。


「送り狼?」

「おい、誰が送り狼だ」


 啓介がもの申す。


「違うよ。そういう妖怪がいるんだ。縄張りに入ってきた人間をつけてきて転んで隙を見せると襲いかかるっていう伝承がある」


「じゃあやっぱり、お前のせいで襲われたんだ」「知らねえよ」と光と啓介が罵りあう。

 光は将史にも、自身も祓魔にあたるべきかと告げてみた。


「君、聞く限り日中は人の範疇なんだろう? 無茶しないでくれよ」


 将史ならばそう言うだろうと、案に違わぬ返答に首肯をもって答えた。


 ……。


「鬼、送り狼……送り狼が狼で、鬼がオーガか。大罪・憤怒の生物。より日本人に恐怖を与えようと伝承を取り込んだのかな。じゃあ鼬は鎌鼬とか? 猿、ユニコーン、ドラゴン、この辺は何だろうな」


 将史は二人が帰った後、ネットで過去の通り魔事件について調べ続けた。


─────


 数日過ごしてみると何度か、狼に遭遇したときに感じた悪意のようなものに気づいた。

 その悪意を感じた近くに行って様子を窺ってみれば、そこかしこで、喧嘩や争いが起きている。

 例の瘴気によって、人々に怒りの感情が芽生えているのだ。そしてまた、その感情が悪意の瘴気をより大きくしている。

 負の連鎖がずっと続いていく。


「ねえ白兎。あの通り魔に対抗する手段が欲しいんだけど」

「なんだ? 既に一度やってのけただろうに。まあスマートなやり方じゃなかったが」


 ハクトはぶっきらぼうに答える。話すようになって気づいたことだが、こいつは人に興味が無いんじゃなくて、人間が嫌いなんじゃないだろうか。言葉の節々から光はそう感じ取った。

 それはともかく、魔物に対する武器なり方法なりを強請る。もし、立ち向かう選択肢を選んだとしてステゴロではあまりにリスクが大きいことは過去二回の接敵で証明された。


「父さんは、僕に関わってほしくない。姉さんは父さんの考えに従う。でも白兎はちょっと違うんだろ?」

「何を言うか、わしだって月讀様に従うわ」


 嘘だ。でなければ、わざわざ高天原における月讀の境遇を教える筈がない。

 問いただすように見つめていると、白状するように語り出す。


「あれは人間の悪意が神々に牙を剥いたもんだ。完全なる神でも完全なる人間でもないお前さんなら動きやすかろうとは思う。余所の半神みたいにな」


 しかしと続く。


「既に解決に向けて動いとる。今回、月讀様が呼んだのはオリンポスの半神。こないだ、お前さんも会ったろ」

「会った? オリンポスの半神……まさかセイリオス?」


 ここ最近で会った海外の人物と言えば、兄貴分セイリオスのみ。意外な名前を出したと自分でも思っう。いやしかし、神である父の友人の子となると半神であって不思議はないと思い至る。

 光の問いに白兎も首肯する。


「オリンポスは、かつて瘴気を追い払ったとは言うが、消し去っちゃいない。解決できず取り逃がしたとも言える。汚名返上の機会でもあるわけだ。十対〇の借りができるわけじゃない」


 気にするなと言う、一種の慰めだろうか。


「だから、お前さんの英雄願望を満たすために、わしは力は貸さんぞ!」


 どうやら違うようだ。白兎に身内の情は期待すまいと心に決める。


「そんなんじゃあないよ。でももう二回も酷い目にあった、向こうから来たんだ。少しくらい自衛できた方がいいだろ? 父さんや姉さんがいつも一緒にいるわけでもないし。それとも君が護ってくれるかい?」

「わしが武闘派に見えるか? こんなにキュートな兎さんが」

「もちろん見えないとも」


 神力の類は計り知れないが、少なくとも肉弾戦においては光が圧倒するように見える。

 しかし、力もないのによくもまあ鮫を挑発できたなと嘗ての愚行を憐れに思った。


「わしがお前の口車に乗ると思うか? どうせ、武器なんぞ持ったら向こう見ずに自分から突っ込んでいくだろ。わしが月讀様を裏切るような真似をすると?」


 確かにその可能性は捨てきれなかった。月讀が天界で窮屈な思いをするならばと、立ち向かう気持ちも無きにしもあらず。

 どうも説得に応じてもらえないようなので光は交渉の切り札を切ることにした。


「そうかじゃあ、こはくは僕の部屋から出さないようにする。もう会わせない」

「は?」

 

 ハクトの正体を知る前、運動をさすべく度々ケージから開放して二羽を一緒にすることがあった。

 席をはずした時、どうも白兎がこはくを猫かわいがりしてるように見えた。部屋に戻ってきた一瞬その様子が確認でき、それ以後はすんと平静を装うのだ。

 どういうつもりか知らないが、好意があるのは明白だろうとあたりをつけた。


「だいたい、雄と雌を一緒にしてたら大変なことになっちゃう」

「そんな事するか! あの子は、けんぞ……いや、子や孫みたいなもんだぞ」

「そうは言っても兎だしな」

「だあもう、わかった、わかった! 自衛の為だな」


 かわいい娘御との面会を前に、白兎は折れた。


「もちろん、自衛のためさ」

「ふん、事代主ことしろぬし様に伝えとこう」


 事代主命。大国主命おおくにぬしのみことの子で高天原と地上を結ぶメッセンジャー。白兎は高天原製の武器を取り寄せてもらえるよう頼むこととなった。


─────


 下校中、遠くない所から嫌な気を感じた。

 悪意を感じるまま、そちらに向かってみると怒鳴り声や、喧嘩が聞こえる。人に瘴気が巣くって怒りを増幅させている。

 鞄にはホームセンターで購入したキャンプ用のナイフがしまってある。白兎に自衛の武器を頼んだとはいえ、いつ手元にくるかわからない。受け取る前に通り魔に遭遇しないとも限らない。物騒な世の中なのだから仕方がない。

 しばらく歩くと、また怒号が聞こえてきた。もはやありふれた光景である。世を憂いながら横目で確認すると、いつもと異なる事が起きていた。瘴気が滲み出して集合し魔物に実体化したのだ。

 鼬だ。

 愛くるしい姿でありながら瘴気を放ち、複数で人を襲い始めた。


「きゃー!」「うわ、何だこれ!?」


 街の喧騒が悲鳴に変わる。これはいけないと、鼬に駆け寄る。この場で対抗できるのは自分しかいないと知っていながら、一人身を案じて逃げるのは僅かに躊躇われた。

 光に、微かな神の気配に気づいた一匹がキーキーと鳴き号令をかける。鼬の姿をした悪意の塊が光を襲う。

 近づいた数匹を蹴り飛ばしながら、人目のつかないところまで走って引きつける。

 そこでようやく鞄からナイフを取りだし、身体にまとわりつく鼬を薙ぎはらう。

 生物を傷つけることへの嫌悪感もあったが、切り捨てれば黒煙となって消える様子がその気持ちを和らげた。

 光は、息をきらしつつも発生した全ての鼬を切り伏せた。

 自身に大きな怪我もなく、また発生初期に夢中で突っ込んだことにより怪我人も少数に抑えられた。

 自分の行動で救われた人がいる。可能な限り、人助けの方向に動くのも悪くないように思えた。


────

 

 とはいえ、光にできることは少ない。日中は学校に通わねばならないし、そもそも力も人の範疇であるため対して役に立たない。帰宅後にわざわざ外出し警邏するのも不自然であり、言い訳も立たない。せいぜいが、定期代はもったいないが学校から歩いて帰り、途中にある繁華街の様子を窺うくらいである。


 念のため、下校時間ギリギリまで校内に残って日の入りを待ち、力の漲る夜に少しだけ見て回る。

 いざ反応を察知し、悪意の元にたどり着いたところ、そこには魔物と先客がいた。


「ん? お前は」


 先客もこちらに気づいた。


「下がってなさい」


 帯剣した神衣の男が光に告げる。

 魔物を見れば、光の身長よりも僅かに大きいように見える。それがにやにやと笑いながら力任せに腕を振るって暴れている。確かに自分には敵いそうもなく、言われた通りに後ろへ控えた。

 危なかった。一度上手くいったからといって次も同じように上手くいくとは限らない。安易な考えだったと自省する。


狒々ひひだ。あれは荷が重いだろう」


 そう言って、建御雷は猿の化け物を一太刀で葬った。

 納刀し、こちらへ振り返る。


「それがお前の得物か?」

「いや、これは…… はい」


 建御雷は光の手元のキャンプ用ナイフを見て尋ねた。

 拙い武器で魔物に向かおうとしたことを咎められるだろうかと逡巡する。しかし、例え嘘をついても相手は神様、結局は見透かされるのではないかと思い正直に話す事にした。


「そうか、その市販品よりはましだろう。これを持ってなさい」


 建御雷が腰から抜き取った、日緋色ひひいろの短刀を受け取った。


「事代主から奏上があった。それなら役に立つだろう。まあ何かあれば……この近くだとそうだな、春日神社に逃げ込んでこい。助けてやろう」


 建御雷はそう言って姿を消した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る