五 変身

 土曜日、来週に中間考査を控え、光は啓介の家に来ていた。


「兄さん、今日なんか用事ある?」

 日本史の教科書と問題集が広げられたローテーブルの前で兄に通話をかける。部屋には、その主である啓介と自身の二人きり。勝手知ったる仲であり、遠慮することもない。

『いや、特にないけど』

「じゃあ、啓介のとこに泊まっていいかな? 晩ご飯も誘われてるんだけど」

『おー、了解。あ、兔共はもう餌食べた?』

「いや、昼からこっちにいるから、夕食はまだなんだよね」

『うへえ、まじかあ。餌ってどこにあるんだっけ?』

「リビングの引き出しの一番下の段にあるよ」

『はいはい、チェストね。ほら、僕のこと見た瞬間不機嫌になったぞ。えーと、チェストの一番下の段。ああこれだな。うおっ! いつにも増して暴れてるなハクト、向こうでこはくがびっくりしてるぞ』

「あと、姉さんからの伝言なんだけど。一日一回はハクトに構ってあげてだって」

『……これに? 僕が触れようとしたら蹴り上げてくるのに? どう考えても光に言ってるよな』

「代わりにね。寂しいとかあるんじゃない?」

『おーけー、抱きしめとくよ。痛っ!』


 通話を切る直前、輝の悲鳴と耳を突き抜ける物音が聞こえ思わず顔を背けた。渋い顔でスマホを落としたのだろうかと考える。


「おーけー。さて続きをしますか」


 光はアプリを起動した。啓介とともにサンドボックスゲームで通信プレイに興じる。

 試験前には掃除が捗る。

 しなければならない事の前には別の何かに逃避したくなるもので、普段は億劫に思える整地作業や資材集めが大変に捗った。

 そこに、彩音と将史が部屋に入ってきた。


「光ちゃん、啓介くん。勉強会って聞いてたけど?」

「……息抜きだよ、息抜き。なあ、光」

「ああ、もちろんだ」

「これ、ゴールデンウィークの宿題だよね。二、三ページしか終わってないじゃないか。中間テストの勉強会のはずだろ?」


 将史がテーブルの上から問題集を拾い上げる。空欄ばかりのこのページは提出期限を過ぎた課題の範囲だった。

 光と啓介のスマートフォンは電源オフのうえ没収され、勉強会は深夜まで続いた。

 彩音は途中、夜遅くならない内に帰っていった。



 翌日、再度訪れた彩音と将史監修のもと、勉強会が再会された。


「宿題終わらせたんだから、もういいじゃねえか」

「宿題終わったって、もともと試験勉強のために集まったんだろ?」

「お前、基礎はともかく、なんで理系の物理や化学もわかるんだよ」


 啓介が将史にぶつくさと物申している横で、光が彩音に尋ねた。


「なんか暑くない?」

「そう? ちょっと肌寒いくらいだけど」

「あれえ? 僕だけ? そっか」


 腕まくりをしてみる。しかし暑い。服をつまんで前後に振って風を送る。それでも暑い。たまらず光は着ていたパーカーを脱ぎ、上半身は肌着姿となった。


「ん? 光大丈夫かい?」

「んあ。ちょっとぼーっとしてた」


 ペンは進まず、ただ一点をみつめて固まっていた。


「心なしか、顔が赤いよ?」

「おいおい風邪か? 近寄るなよ、帰れ帰れ!」

「ええ? そんな感じじゃないんだけどなあ」

「まあ、この辺りにしようか。ゆっくりするといいよ」

「お大事にね」


 勉強会は解散となり、それぞれ帰宅した。



「気怠いか? なんだろうなあ。ただいまー」


 昼過ぎ、光は家にたどり着いた。階段を登る前、リビングからがしゃんがしゃんと物音がする。


『くそぅ、これだから人間は……』


 ドアノブに手を掛けた時に、ケージの揺れる音とともになにやら知らない声が聞こえた。


「声がしたと思ったけど」


 リビングに入るも、いまだ出張中の姉、大学にいるだろう兄、人影はない。

 光を認識したハクトがより大きく暴れ出す。


「おう、どしたいどしたい。ご飯は兄さんがくれただろ? それとも寂しかったか?」


 ケージを開けると、ハクトは光の膝の上に飛び乗り肩まで駆け上がった。そして、光の頭を前脚で何度も踏みつける。


「うわっ! なんだよ、怒ってんの? 痛っ! ごめん、ごめんて」


 ハクトの戯れに付き合っていると気怠さも吹き飛び、ふっと気持ちが楽になった気がした。ケージに戻ったハクトはぷいとそっぽをむいた。

 その様子をみてふっと笑みがこぼれる。やはり寂しかったのか、もう一羽とも戯れようと自室に戻る。こはくをケージからだして、少し撫でた。




「んん~……」


 夜の暗闇の中。寝苦しさに、うめき声をもらした。

 微熱を帯びた身体を冷まそうと、光は毛布を蹴り捨てる。暗闇の中、その様子を小兎が見つめていた。

 身体から熱が去って行った頃、街に夜明けの光が降り注いだ。

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