二 天之家

「いやあ、市内で発生するとはねえ」


 事件翌日、自室で光は将史と通話していた。身近で発生した通り魔事件。博識な将史の所見はいかがなものかと気になった次第だ。


『うん、全国ニュースになってるよ。よくある建物の破壊だけでなく犠牲者も出てるから扱いも大きいみたいだね』


 光は将史に促されてテレビをつけた。


『……鹿児島県鹿児島市で発生した、いわゆる通り魔事件ですが、重軽傷あわせて二三人』

 昨日、全校朝会で聞かされた事件の概要が語られている。地元が全国ネットに映れば、普段であれば多少は嬉しくなるのだが、事が事でありそんな気にならない。もっと明るい話題で放送されればいいのに、暗い話題で世間の注目を集めることになるとはと残念に思う。


「大型の動物に噛まれたような痕ね……これは人じゃなさそうだね」

『そうだね。でも、かといって動物の仕業かと言われると、それも。人の怪我はまだしも建物や道路の破壊はどうだろうね。たとえ熊でも、コンクリート相手じゃ爪痕を残すくらいが限界だろうし』

「神出鬼没の化け物ね。これ日本だけなんでしょ?」

『そうだよ。西日本に少し偏りが見えるけど、日本全国で通り魔と思われる形跡がみつかってる。でも海外では今のところ報告された事例はないみたい』

「はあ、いつ終わるのかね」

『犯人もわからず、犯行目的もわからない。解決の糸口すら見えないからなあ。かといって、ずっと怯えて経済活動を止める訳にもいかないし、地震や噴火みたいな災害と同じ対応になってくるよね』

「災害なあ……」


 光は窓の外、桜島の方向を見つめる。今日は、噴煙は上がっていない。

 しばらく眺めながら将史の話を聞いていると、開いた窓の外から春風とともに話し声が部屋に入ってきた。それは光のよく知る声だった。


「ん? 父さんかな」

『今回はひと月ぶりかい?』


 天之家の父は、家にいないことが多い。というより、家にいることの方が珍しかった。仕事で忙しく日本各地を行ったり来たりの毎日だと光達は聞いており、専らひと回り歳の離れた卯月が保護者代わりであった。

 それが寂しくなかったと言えば嘘になるが、確かに父からの愛情を感じていたため何も言うことはなかった。困らせることになるのを知っていて、やはり躊躇われたのだった。

 それに、輝と光は幼い頃に両親を亡くしていた。光が生まれる少し前に父を、その四年後に母を。幼い兄弟がここまで育つのに、手を差し伸べ、見守ってくれた養父に文句などなかった。


「そのくらいかな。どうやら今回は叔父さんと一緒らしい、そっちも長いこと会ってないんだよね」


 ガチャリと階下から扉の開く音が聞こえてきた。


「やっぱり、ちょうど帰ってきた」

『そっか、じゃあまた』

「はいよ」


 階段を降りれば、父・みつると叔父・たけるが立っていた。向こうもこちらに気づいたようで笑顔が返ってくる。


「おかえり、叔父さんもいらっしゃい」

「ただいま、元気そうだね。輝や卯月はどうしてる?」

「兄さんはいま大学に行ってる。姉さんは仕事みたいで部屋にいるよ」

「そうか、光は今日は学校はないのかい?」

「今日は祝日だからね、休みだよ」

「そうだった、昭和の日か。輝は祝日までご苦労なことだ。ちょっと卯月と話してくるよ。猛、リビングにいてくれ」


 そう言って満は階段を上がっていった。叔父と二人になった途端、光はばしばしと背中を叩かれる。


「光! 久方ぶりだなあ!」

「うん、久し、ぶりだ、ね」


 快活に笑い、常に元気が有り余っているような猛。冷静で物静かな満とは兄弟でありながら性格は似通わなかったらしい。本人にとっては挨拶のようなものだが、鍛えられた体躯によって繰り出される背中への平手打ちは、怒るに怒れないがとても痛かった。


「じゃあ、どうぞ上がって」

「ああ。 おっと、おいオクトー! なに突っ立ってる。入れ入れ!」


 猛が大きな声をさらに張り上げて門の外に呼びかける。そちらに目をやれば二つの人影。厚い胸板と短く整えられた髭が特徴のガタイのいい壮年の男性と柔和な笑顔とこちらも鍛えているだろう張りのある筋肉を持つ青年。海外から来た親子が立っていた。


「お前の家でもなかろうに、遠慮を知らん奴だな」

「勝手知ったる仲だ、構わん構わん」

「んえ? オクトーおじさんに……セイリオス?」


 そこにいたのは、父や叔父からオクトーの愛称で呼ばれる二人の友人、そしてその息子・セイリオスであった。

 彼らと最後に会ったのは実に三年前。親交の深い父を訪ねてきた時以来であった。

 思わぬ再会に光は目を丸くする。


「驚いたかな? まあ、聞くまでもないな」


 オクトーが自身のあご髭をさすりながらほくそ笑む。


「いや本当に、ええ? へへっ、びっくりしたよ。いつ日本に?」

「二、三日前だ。親父さんに話があってね。再会を邪魔して申し訳ないが、ご一緒していいかな?」

「もちろん。セイリオスも」

「ああ。前に会った時は中学生の時だったかな。大きくなってるじゃないか、光」


 いかにも好青年なセイリオスは、幼馴染みというには過ごした時間は短いが、幼い頃から幾度も遊んだ昔馴染みだった。輝より二つ年上で、光にとっても、輝にとっても良い兄貴分であった。

 卯月とともに階段を降りてきた満が「まだ玄関にいたのか」と少々面食らう。


「何も立ち話しなくてもいいだろう。さあ、入りなさい」


 リビングの扉を開けて満が誘導する。

 猛がどかどかと歩き一番に入っていき、セイリオス、光が続く。


「ひと月ぶりに会えたというのに、三年越しの再会には敵わんか」

「まあ、いいじゃない。今回は二、三日くらい家にいるんでしょう? お父さん」

「……」


 からかう卯月を満は半目でじとりと睨んだあと、オクトーに向き直り、


「オクトー。良い返事が聞けるかい」

「ああ、そのつもりで息子を連れてきた。だが、これで借りはチャラだぞ」

「すまない」


 オクトーは、満の肩を二度叩くことで言外に気にするなと告げた。


─────


 卯月は普段、自室で仕事をしているが、時折、出張して家を空けることがある。概ね、東京に行くことが多いが、呼ばれれば日本全国を巡る。なんでも、芸能関係のアドバイザーであると光は聞いている。これは、父・満もそうであるが、行く先々で現地の食べ物をお土産として買ってくる。これが滅多に県外に出ることのない輝、光にとって楽しみになっていた。

   

「じゃあ、ハクトのお世話お願いね。毎日かまってあげて?」

「わかってるって。いってらっしゃい」

「じゃあ、行ってきます」


  ゴールデンウィークの最終日。卯月は光と、ついでに輝の髪をくしゃくしゃにかき乱して家を発った。


「じゃあ、ハクトは頼んだ」


 乱れた髪を手で整えてからそう言って、輝は早々に自室に戻っていった。


(別に僕も好かれてる訳じゃないけど……)


 光は、鼻息をふんと鳴らして肩をすくめた。

 卯月の部屋に入ると、奥の壁際に兎のケージがある。


「さあ、ハクト。姉さんは出張に行ったから、しばらくは僕で我慢だぞ」


 ケージの中で伏せていた兎は光を一瞥し、ふてぶてしくそっぽを向いた。

 かわいげのない。

 光はケージに近づき、目の前で胡座をかいた。

 ケージを開け、ハクトを持ち上げてみる。抵抗せず、されるがままである。卯月から申し送りでもあったのだろうか。心なしか諦観めいた目をしているように思えた。

 膝の上にのせ、頭と背中を撫でる。さわり心地は良く、光もハクトもわずかに脱力した。

 ひとしきり撫で回した後、卯月の部屋を出る。


「じゃあ、ご飯の時にまた来るから」


 ハクトは、卯月や満には懐いているように見えるのだが、光や輝にはあまり好意を見せなかった。

 それでも光に対しては、触られてもまだ無抵抗で通すが、輝に対しては近づけば離れ、触ろうとすれば蹴りつけて抵抗してきた。

 卯月がいない時に、輝が餌を与えようとしても受け取ろうとしないので、光が世話を担当した。

 ペットのくせに人を選ぶ、全く以て、生意気な兎であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る