ひばり

増田朋美

ひばり

その日は、とにかく暑い日で、エアコン無しではいられないというか、そんな日であった。当然のことではあるけれど、エアコンというものが完璧では無いことはみんな知っている。エアコンするのは確かに悪いことではないけれど、それと同時に当たりすぎると風邪を引くという悪影響がある。

その日、製鉄所では、いつもと変わらず杉ちゃんとジョチさんの一行が、他の人の世話をしたり、食事を作っていたところであった。一応、杉ちゃんたちのできる彼女たちの世話はこれらのようなものである。それだけでは利用者さんのところへ行き届いた世話ができるわけでもない。

「理事長さん、夏美さんが、少々熱があるみたいなんです。」

と、一人の利用者がジョチさんに言った。

「病院に連れていきたいんですが、今日小薗さんは用事で五時まで帰ってこれないということでしたよね。」

ジョチさんは困った顔をした。

「そうなるとバスで行くことになりますが、熱があるとなると、バスは乗れないですよね。タクシーももしかしたら乗れないかもしれない。そうなると、民間救急にでも問い合わせますかね。」

そう言って電話をかけてみたが、民間救急は、富士市内に一つしかなく、あいにく出てしまったばかりだと言われて断られてしまった。

「そういう事なら誰かに運転を頼まなくちゃいけないことになりますね。どうしようかな。何処か運転してくれる業者ってありましたっけ。」

ジョチさんは、タウンページを開いて、運転代行業者を探し始めた。

「ほんなら、素雄さんに頼んだらどうだろう?」

杉ちゃんがそう言うので、ジョチさんはそうすることにした。急いで、スマートフォンを取って、電話をかける。

「ああすみません。素雄さん。あの、一人熱が出てしまった女性を病院まで連れていきたいんですが、運転代行をお願いできませんでしょうか?名前は比留間夏美さん。統合失調症を持った女性です。」

ジョチさんはそう言って、夏美さんの状態とか、どんな女性なのかとかを詳しく話した。素雄さんはそれを聞くと、

「わかりました。近くの内科まででよろしいのですね?」

と言ってくれた。

「ええ、内科であればどこでもいいと言うわけではないと思いますが、一応総合内科とかそういうところへ連れて行って上げてください。よろしくお願いします。」

ジョチさんがそう言うと、

「そうですか。このあたりで総合内科と言いますと、磯谷先生が的確かな。以前、僕のクラブを利用していた人がかかったときもすごく上手にやってくれました。だから、今回もそこでいいと思います。」

素雄さんはそう言って電話を切った。

10分くらいして、吉田素雄さんの車が製鉄所の前にやってきた。製鉄所の前で比留間夏美さんが待っていると、素雄さんは、よろしくお願いしますと言って、夏美さんを車に乗せて、磯谷クリニックへ言った。

「とりあえず、磯谷先生は近いですからね。すぐに到着できます。」

素雄さんは車を動かしながら言った。

「すぐですから、気を楽にしてくれて乗ってくれて良いですよ。」

「はい!」

夏美さんは金切り声で言った。それと同時に、素雄さんの車は、磯谷クリニックへ到着した。

「それではですね。確か裏口から患者入り口があるんじゃなかったかな?」

素雄さんは、磯谷クリニックの裏口に車を止めた。そしてスマートフォンで比留間夏美ですが、到着したと報告した。

「そちらでお待ち下さい。15分ほどしたら、看護師が来るそうです。」

素雄さんは、できるだけにこやかにそういうのであるが、夏美さんはやたらこわいらしく、がたがた震えていた。そして車のドアをぶっ叩きながら、こう叫ぶのだった。

「私が殺した。私が殺しました。私が家族も他の人達もみんな殺しました!」

「そうなんですね。」

素雄さんは態度も変えずに言った。

「それはどういうことですかね。家族と言っても誰が亡くなったということになるのでしょう?」

「ええ、わたしの家族の比留間義史と、母の比留間小夜子をです。」

「その人達は、どうして殺したということになるのでしょう?」

「はい。私が、病気を移してしまって、あの人達に病気を移してしまって、あの病気にかかると必ず死ぬから、私が殺したということになるのです。」

「そうですか。わかりました。確かにそういう気持ちにもなりますよね。精神をやんでしまうと、恐怖が何十倍にも感じられると言いますから。事実はそうでなかったとしても、あなたにはそう見えてしまうのですから、それは仕方ありません。それではしばらく病院にいたほうがいいのかもしれないですね。」

素雄さんはにこやかに笑って、そういう事を言った。

「安心してください。僕は引き出し屋でも説得屋でもありませんから、悪質なことはしませんよ。気にしないでなんでも話してくださいね。」

「わかりました。とにかく私が殺したんです。だから私は死ぬしか無い。もうこれで良かったじゃないですか。私は死んでもいいけれど、家族を私のせいで殺してしまうというのは耐えられない。だからもう死んでしまいたいんです。」

と、彼女比留間夏美さんは言った。

「わかりました。つまり、ご家族に感染させてしまうのが不安で仕方ないんですね。それは仕方ないことだと解決させることは、非常に難しいでしょうしね。自分でできない人も少なからずいます。」

素雄さんがそう言うと、看護師が二人やってきて、夏美さんに声をかけた。

「比留間夏美さんですね。それでは検査に伺いますので、これを鼻の中に入れて、五回ほど回してもらえないでしょうか?」

そう言って看護師は夏美さんに綿棒を渡した。手が震えてそれを受け取ることができない夏美さんに、素雄さんが変わって受け取って、夏美さんの鼻の中に、綿棒を入れた。夏美さんは、騒いでしまいそうであったが、それでも素雄さんがその通りに綿棒を五かい回して出してくれた。

「はい。これでよろしいんですかね。よろしくお願いします。」

素雄さんは看護師に綿棒を渡した。

「じゃあ、15分ほどお待ち下さい。それで結果が出ますから。」

看護師はそう素雄さんに言った。

「わかりました。それでは少々待たせていただきますね。」

素雄さんは、そう言って夏美さんに、待っている間に音楽でも聞きますかと言って、ディスクを車のオーディオへ入れた。かかってきたのはサンサーンスの白鳥であったが、

「あの、素雄さん、よろしければ、ひばりはあります?」

と、夏美さんは言うのであった。

「ひばり。誰の曲ですか?」

素雄さんが言うと、

「バラキレフのひばりです。」

と夏美さんは言う。

「わかりました。このディスクにないので、動画サイトでかけましょうか。ちょっとまってて。」

素雄さんはスマートフォンを車に繋げて、バラキレフひばりと動画サイトで検索した。ちょうどいい動画があったので、再生させて見たのだが、何でも本当に悲しい曲で、ちょっと悲しい気持ちにさせられてしまうような気がするのだった。

「それから、何処かいきたいところでもありますか?最も今の気持ちではそんなことを考える余裕もないかもしれないですけど、写真を流しますから、仰ってくださいませ。」

素雄さんはタブレットを取り出した。それを聞いて、夏美さんは一生懸命考えたらしく、

「しずかで涼しいところがいい。高い山の湖の畔とか。」

と、言った。素雄さんはわかりましたと言って、タブレットを操作し、美しい湖の畔の写真を出してあげた。

「わあきれい!」

夏美さんは嬉しそうな顔をする。

「えーとこれは。柿田川湧水の写真なんですがね。この時期、湧き水が豊富で、とてもきれいなところですよね。」

素雄さんは、そう解説した。

「他にも色々ありますよ。この写真なんかはいかがですか?これは、白糸の瀧の様子です。」

タブレットには、白糸の瀧の写真が映し出される。

「それからこちらは、河津にあります大滝です。河津では瀧のことをたると言うそうですね。他にも瀧はありますよ。出会い瀧、カニ瀧、初景瀧、蛇瀧。エビ瀧、釜瀧。」

素雄さんは観光ガイドにでもなった気分で、夏美さんに瀧の写真を見せてあげたのであった。

「静岡ばかりでは無いですね。瀧は、養老渓谷でも有名です。」

そう言って素雄さんは、また瀧の写真を取り出そうとした所、医師と看護師が一人づづ出てきて、車に近づいてきた。また夏美さんは緊張した顔になった。

「検査結果が出ましたよ。幸い、はやりの熱病ではありませんでしたので安心してください。喉が痛いということでしたけど、それは、クラミジアのせいだと思います。」

医師も、もう少し声を小さくして言ってもらいたいものだと素雄さんは思った。

「ああ、トラホームを起こすクラミジアですか?」

とりあえずそれだけ言っておく。

「ええ、今の若い子は、変なビデオをお手本にしてしまいますからな。」

医師がそう言うと、

「そうですか、まあ、とりあえず、トラホームにかかっていなくて安心しました。あれは酷くなると失明する可能性も無いわけじゃないですからね。」

素雄さんはそう返事をした。

「じゃあ、処方箋をお渡ししますね。幸いクラミジアは治療は難しくありませんので、薬を飲み忘れないでちゃんと飲んでくれれば、大丈夫ですよ。薬は、お隣の薬局でもらってください。薬局に言ったらお電話してお名前を告げてください。そうすると、薬剤師が持ってきてくれると思います。今後は、なにかありましたら、性病科を受信してくださいますよう。」

それと同時に、看護師が診察料を払ってくれといったので、素雄さんはわかりましたといって、診察料を看護師に渡した。そして、

「ありがとうございました。」

と言って、車のエンジンをかけて、隣の薬局へ向かっていった。夏美さんはとても恥ずかしいというか、人生が終わってしまうようなそんな顔をしている。素雄さんは、そういうときの彼女には声をかけないことにして、淡々と過ごすことにした。隣の薬局について、すぐに電話をし、しばらく待って、薬をもらい、薬剤師にお金を払った。

「吉田さんごめんなさい。」

と、小さな声で夏美さんは言った。

「ハア、何でしょう?」

運転しながら素雄さんは答える。

「せっかく病院に連れてきてくれたのに、不正交友していたのがバレてしまうなんて。」

夏美さんは静かに泣き出した。

「不正交友?ということはつまり、」

「ええ。私、ここに来る前は、旅館で働いてたんですけど、旅館のお客さんと一緒に、」

「売春していたんですね。」

と、素雄さんは言った。

「ごめんなさい。本当はやってはいけないことだからと言って、なんとも断りましたけれど、それでも、周りの人にどうしてもお金を返さなければならなかったんです。私、半日しか働けないし、生活していくためにはお金がないとできないし。」

そういう夏美さんに、

「そうですか。生活保護受けるとか、そういう福祉を頼ることはしなかったんですか?」

素雄さんは聞いてみた。

「ええ。そういうものは、親が許してくれないんです。それにそういう手続をするために市役所に行くとか、それをする手段が、誰かに運転して貰わないと行けないので、それでずっと手続きできなかった。そういうものに頼るのは、多分親のプライドが許さないんでしょうね。」

こればかりは、素雄さんも手が出せない問題であった。色々お手伝いはするが、ご家族のことは、変えることができないのが、素雄さんの様な職種である。

「でも、今日みたいに、自分が殺したなど、不鮮明な文句を口走るということであれば、ちゃんと障害者手帳をもらえるきっかけにはなると思うんですけどね。」

「多分きっと、そんなものもらって何になるんだとか、訳の分からないことを言われるだけだと思います。」

夏美さんは断定的に言った。

「そうですか。確かに家庭環境というのは、一番変えられないことでもありますからな。まあ、これからも、運転代行が必要であれば、いつでも呼び出してくださいよ。僕は、お役に立ちたくて、こういう事業をしているんですから。今度はどちらにしても性病科に行かなければならないのだし、そのときはちゃんとお手伝いしますよ。恥ずかしい診療科ですけど、意外とそうでもなかったりしますからね。そこらへんは大丈夫なので、よろしくお願いします。」

素雄さんが優しくそう言うと、

「ありがとうございます。その時は使ってみようかな。あの、吉田さん。今日の、診察結果なんですけど。」

夏美さんは言った。

「クラミジアであったことは言わないでもらえますか?」

「そうですね、一応理事長さんに報告して置かなければならないことになっています。理事長さんは、そんなことであなたのことをけなすような人ではないので、大丈夫だと思いますが。」

素雄さんはそう答えた。

「そうなんだ。私はやっぱり晒し者にされるんですかね?」

「いや、それはどうですかね。製鉄所の利用者さんたちは、皆優しい人ばかりで、とてもいい人が多いですよ。だから、大丈夫なんじゃないでしょうか?」

素雄さんはそう言って車を止めた。製鉄所に到着したのである。

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ひばり 増田朋美 @masubuchi4996

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