さぁ、逝きましょうや、生き地獄にね。

鈴ノ木 鈴ノ子

さぁ、いきましょうや、いきじごくにね。

長野県の下伊那地方のある集落に古刹がございます。

 江戸の頃は寺社領を持ちまして、それなりに繁盛してございましたが、明治の御代より廃仏棄釈によりまして、あれよあれよと言う間に廃れも廃れまして、集落の高齢化、過疎化も相成りまして、今では参拝する者も少なく、墓は荒れ放題、が御代の終わり頃にご住職も亡くなられてしまいまして、今では境内も荒れ放題のありさまでございました。


「本当にここでよろしいのですか?」


 飯田駅より山を越え谷を越えて1台のタクシーが傾きかけた山門の前に止まりました。


「ええ、ここで大丈夫でございます」


 美しい尼さんが妖艶な声でそう答えました。

 もちろん、妖艶な声なんて出しておりません、運転手の聞き間違いでございますが、しかし、そう思えるのもしょうがないことでございます。なんせ、細身の体躯に透き通るほどの色白の肌、なにより絶世の美女と言いましても過言ではないほどの、美しい顔立ちに尼僧頭巾と老齢の運転手の朽ち果てそうな性欲を燃え上がらせるほどのさまでございます。

 尼さんはその雰囲気を察して嫌悪を抱きながらもぐっと我慢を致します。


「では、これで足りますでしょうか?」


 差し出された数万円のタクシー代は、5000円ほど多い金額でございました。


「では、お釣りを」


 釣りを差し出そうとする運転手でしたが、それを白い手が制しました。


「いえ、取っておいてくださいませ、ああ、受け取れないのでございましたら、これは前金というものにしておいて頂けますでしょうか?これも何かのご縁でございます。何かの際にはご助力を賜るかもしれませんので、その際は申し訳ございませんが、お願いいたしますね」


 開いたドアからそう言って尼さんは降りてしまうと、運転手に深々とお辞儀を致しました。

 もうそうなってしまえば、運転手にはどうすることもできません。


「お声がけ頂けることをお待ち申しております」


 振り向いたまま運転手も深々と頭を下げますと、ドアを閉めてタクシーを走らせて行きます。

 それを頭を上げた尼さんが手を優しく振りながらお見送りを致しました。お釣りを受け取らなかったのは、その残滓の念に触れたくなかったからでございました。


「ふぅ、ようやくついたわね。なかなかに遠い地でありますが、それでも、自然は豊かで水は綺麗、山が生きておりますわね」


 寺の前を流れます小さな小川を覗きながら尼さんはそう言って小さな胸に手を当ててほっと撫でおろします。

 容姿もこれまた完璧でございまして、袈裟の着こなしから立ち姿まで、年齢以外は高僧と言っても過言ではないほどでございました。手にしたります数珠を握りまして数度ほど念仏を唱えますと、やがてその数珠より白き御霊、つまり、魂ですな、それが2つほど抜け出ますと、傾いた山門の中に納まっておりました、金剛力士像にすっぽりとはいったのでございます。


「おうおう、こんな身とは、情けない限りじゃ」


「このような地に主様がお住みになることなど、なんと残念なことじゃ」


 力士像の2人は囲を荒々しく破りながら長らく薄暗く虫食いされておりましたその身を陽の元に晒しました。少し動きますとボロボロと崩れよりますので、尼さんは二言三言ほど経を唱えますと、あら不思議、なんと木の体が筋骨逞しく、見目麗しい2名の若い僧侶に変化したのでございます。


「おお、これならば動きやすい」


「本当じゃ、この姿なれば、主様をお助けすることができまする」


 2人の僧侶は嬉しそうに笑い合いながら、尼さんの前に進み出でますと片足を焼石となったアスファルトへとつきまして深々と頭を下げて臣下の礼を取りました。


「赤鬼、青鬼、御前にまかり越してございまする」


 袈裟に青い刺繍の家紋の入りましたる好青年がそう申しまして頭を上げますと、尼さんがその手で優しく2人を撫でました。


「凛々しくなったわね、私は嬉しいですよ」


 そう言って大の男でも恋に落ちる流し目を見せながら、そのまま寺の中へと入ってゆきます。赤鬼、青鬼も立ち上がり、音もするように大慌てでお供致します。


「さて、まずは草取りと修繕を頼みますよ、一刻の内に仕上げてしまいましょう」


 荒れ放題の境内を見てため息をつきながら、尼さんが指図を下しますと、赤鬼、青鬼は袖よりどこに入っていたのやら、箒や塵取り、はたまた修繕の道具などを取り出しまして、赤鬼は草取りや境内の清掃を、青鬼は修繕作業の大工仕事を始めたのでございました。


「一つ目小僧、今着きましたよ」


 本堂前の扉に向かって尼さんが囁きますと、本堂の扉がギギィっと音を立てがたがたとその身を震わせながら開きますと、昔ながらの小坊主姿、まぁ、アニメの頓智の利いた小坊主さんの衣装でございますが、それを着た大きな目がトレードマークであります、1つ目の妖怪が姿を見せました。


「ああ、お出迎えもできず、無作法で申し訳ございませぬ。堂内は一通り清掃を終えておりまする」


 本堂内は朽ちた姿より一変し、金銀銅宝石が控えめながら光り輝き、ご本尊から歴代住職の位牌に至りますまで綺麗に磨かれております。

 黒漆の廊下は神々しく光りまして尼さんの姿を映し出し鏡のごとしでございます。


「素晴らしいわ、これならばどなたが来られましても、問題はございませんでしょう、よくやりましたわね、一つ目小僧」


 頭を撫でられた一つ目小僧は嬉しそうにニコニコと笑いまして、可愛らしい子供のように片手を頭の後ろに回して恥ずかしがっておりました。


「さて、鏡は見つかりましたか?」


「はい、ご本尊の前にお出ししております。あの白木の箱に入りましたるものが、それでございます」


 ご本尊である立派に磨かれた不動明王様の御前に白木の箱が一つ台座の上に置かれておりました。


「ありがとう、さて、見てみましょうかね」


 白足袋の小さなお足が美しい所作で床を進みます。

 天井には妖怪の垢嘗めがうろうろと動き回りながら、汚れの穢れを舐めるのではなく、腰に下げたる100均一で揃えました数多くの掃除道具で綺麗に磨いておりました。元来、綺麗好きな性格なのでございまして、年を経るごとに潔癖症に磨きがかかって来ているありさまでございます。


「ああ、愛しの鏡、ついに手に入れました。ちなみにどのあたりにありましたか?」


 台座までたどり着きました尼さんが白木の箱に手を掛けまして、ゆっくりと優雅に上蓋を持ち上げて開きますと、円形の鏡が1枚、真っ白な布の上に宝物のように置かれております。


「恐れ多いことでございますが、ご本尊様の目の前に打ち捨てるように置かれておりました」


 一つ目小僧が悲しそうに申しました。


「盗人でも入ったのでしょう、こんな世ですから仕方ないことです。しかし、盗まれていなくて安堵いたしました」


 尼さんは再びホッと胸を撫でおろしますと、鏡を持ち上げて自らを映し出しました。


 そこには大変毛並みの美しい狐の姿があったのでございます。


「ああ、愛おしや」


 尼さんの口から切なそうな声が零れ落ちます。

 鏡を動かして身を映していきますと、美しい毛並みの手足、そして九尾の立派な尻尾が鏡を通して見えております。ぽろぽろと涙を流しながら、尼さんはその場にぺたりと膝をついて鳴き声を漏らしました。

 そう、皆さまもうお分かりでございましょう。

 尼さんはかの有名な九尾の狐、玉藻御前でございます。

 朝廷より逃げ延びたる折りにある名高い高僧に見つかました玉藻御前様は、その姿を封じられ仏門へと引きずり込まれてたのでございます。その身を仏に捧げて徳を積まれて研鑽をされては、妖怪、あやかし、幽霊などの御威光の届かぬ者たちを悍ましき人々から救っておりました。

 しかし、いくら修行をつみましても彼女もまた女でございますから、やはり、自身の本当の姿を常々見たいと切望しておりました。そして、あの忌々しい自らの正体を暴きましたる照魔鏡を世紀をかけて探していたのでございます。

 それが、この寺にあると数年前に妖怪伝あやかじづてに噂を聞き、本山に許可を賜りましてこのお寺へと住職として参ったのでした。


「ありがたいことです」


 泣き崩れた身を正して鏡を戻しますと、ご本尊様に両手を合わせて真摯に祈りを捧げます。経を読み、時より涙を流しながら深々と鏡を守ってくださったこと、このお寺を守り抜いてくださったことへの感謝を申し上げました。


「無事に来れたかね」


 お経を読み終えますと、同じように袈裟を着た初老のお坊様が、本堂と脇に建ちます住居を繋ぐ廊下より姿を現しました。妙に頭の大きなお坊様でございますが、その所作も声の音も高貴な公家を思わせるほど優雅なものでございます。


「ああ、ぬらりひょんさま、先にお着きになられたのですか?」

  

「うむ、一反木綿に頼み申してな、一足先に夜を駆けてきた次第ですよ」


 けらけらと笑ってお坊様がそう言いますと、後ろからお盆に湯呑と急須、そしてこの地方の銘菓を乗せて持ってきた一反木綿が、その眼の下に立派なクマをこさえて眠たそうな目で控えておりました。


「あらあら、可愛そうに、お茶を置いたらすぐに休みなさいね」


 慌てて駆け寄ってお盆を受け取った尼さんが微笑みながらそう言うと、一反木綿は深々とお辞儀をしまして、ふわりふわりとその身を眠たそうによろよろとははためかせながら廊下を戻っていきます。


「しかし、我々も山奥に住まねばならなくなりましたなぁ」


「ええ、本当に」


 青鬼が本堂の修繕を鬼神の如く済ませて行きましたおかげで、山門から本堂、住居が見違えるように立派に輝いております。先ほど軋みを上げた本堂の扉も美しい白木の姿に変わりまして、見違えるように美しくなった境内と透き通る池が見えておりました。


「人とは本当に恐ろしいものでございますなぁ」


「恐ろしいですねぇ」


 本堂より外へと出ますと、階段にあたります「きざはし」に腰かけました2人は、お茶を急須に入れて緑深い日本茶をゆっくりと飲みますと一息を着きました。


「欲に塗れたまみれた時代になりましたなぁ」


「ええ、善人も少なくなりましたものね」


 日が差して程よい暖かさがあたりを漂いますと、本堂脇の街道をトラックやバイク、はたまた車が、大きな音を立てて走り抜けて行きます、それと共に邪念のようなものがゆっくりと流れてまいりましたので、慌てて2人は念仏を唱えて場を清めてゆきます。


「恐ろしい、恐ろしい、まったく、油断も隙もあったものではない」


「基地局なるものができましてから、ついぞ酷くなるばかりでございますね」


 ため息をついた2人が残念そうに晴れ渡っております青空を見上げてため息をつきました。

 今では身を守る側に変化しました彼らでございます。人間の欲の深さにほとほと呆れかえっております。

 どうにか同族を守るべく、この寺で肩身を寄せ合って慎み深い生活をしていかねばと、2人は固く誓ったのでございました。


 ネット社会と申しますから、現代はスマートフォン1つ持ちますれば、ある程度ことが足りる時代となりました。

 ですが、どうでございましょう?

 それができたことによりまして恐ろしき人の強欲の扉が開いたのでございます。

 怨嗟の声を上げる呟き、恨み言を書き上げる口コミ、欲を搔き立てる如何わしい写真や文言、そして、今では殺人まで依頼できる世の中となっております。

 驚くべきことに本来は恐れるべきでありまする妖怪の姿までを色事にしてしまう始末であります。

 

 古来の妖怪達が人をおぞましく思えるほどの、欲の坩堝がその世界には出来上がっているのでございました。


 ひとりひとりが、呪符のようなもの、を持っているような感じと申せば理解が早いかと存じます。


 人がね、新しい怪異となったんでございますよ。


 欲に塗れた恐ろしい怪異にです。


 え?私は違いますって?、いやいや、あなた、今握っていますそれ、手放せますか?他人に見せることができますか?


 ハイって答える方が居たのなら、その人はもはや立派な怪異ですな。


 え、そんなことはないって?、では、お伺いします。


 正しいって今の世界でなんですか?、しっかりとはっきり言い切れますか?


 なんでしたら、こうも言い換えることができるんですよ。


 使ってる時点で繋がってしまってるんです、怨嗟が溢れるネットという魑魅魍魎の世界に。


 そして向こうはいつでもあなたに誘いをかけておりますよ


 さらに、深淵な怨嗟深く、欲深いところへと、おいで、おいで、と冷たい手が手招きしております。


 あっという間に堕ちるでしょうなぁ。

 

 きっと今世も生き地獄、来世は業が深くて生き地獄でしょう、ご愁傷様でございます。


 その画面を切ってご覧なさい。


 ほら、照魔鏡の出来上がりでごさいますよ。




 語り部:件(くだん)

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さぁ、逝きましょうや、生き地獄にね。 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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