明日を綴る

明松 夏

第1話 言葉を文章へ

 震えるほど怖くてたまらないものが私にはあった。


 一人きりに感じる夜が。目を閉じて眠れば、一瞬にして姿を現す朝日が。制服に袖を通す朝のあの瞬間が。


 私には全て、敵に思えて仕方がなかった。



 学校に着けばいつも通り、女子二人と男子三人に囲まれる。傍から見ればリア充そのもの、もしくは高校生活を満喫している学生に見えるのかもしれない。けれど現実はそんな優しいものでは無いのだ。


「ねーいい加減その長い前髪切ったら? 鬱陶しくない?」

「え、あ……えっと……いや、そうでも…………ない、かも」

「出た、あかりお得意のどもり!」

「お得意て」

「いい加減それ治しなよ。社会出て困ると思うけど」

「あ……うん。ごめんね」


 朝教室に入れば、クラスの中で明らかに目立つグループが私めがけて歩いてくる。いつもの事ながら私はそれに肩を揺らし、素早く降りかかる言葉に必死に対応する。

 グループのリーダー格の彼女は人の机に偉そうにふんぞり返って座る癖があるようで、オマケに今日は手にいちごミルクのジュースが二個。もう一個は誰が飲むのかという問題にはあっさり見当がつくけれど、どうして私の机に堂々と腰を下ろせるのか、いつか彼女に問うてみたい。

 まあそんな勇気、私にあるはずもないのだけれど。


 しばらく会話に花を咲かせる彼らのそばで相槌をうっていると、予鈴のチャイムが教室に響いた。周りにいたクラスメイトたちはガタガタと椅子を動かして続々と着席していくが、私たちのグループは固まったまま動かない。


 ああ、またか。


 毎日繰り返されるこの瞬間に、手のひらがぐっしょり汗で濡れていく。また私がこの嫌な役目を負わなければならない。何度も黒板の上にかけられた時計に目をやりるが、彼女たちは気づかない。早々に自分で気づいてもらう作戦を諦め、腹を括った私はすうっと大きく息を吸い込み会話が途切れるタイミングを待つ。


「あ、あのさ。も、もうすぐHR始まっちゃうね……」

「えーマジか。まあいいじゃん。どうせあの担任注意して終わりだし」

「でも今日担任休みって聞いたけど。そしたら来るの学年主任だぞ」

「げっ、それはヤダ」


 それ早く言えよ! と逆ギレをくらう同じグループの男子――田村たむらくんはポリポリと頭を搔く。


「言ってやっただけ感謝しろよ。な、新井にい

「えっ!? あっ……いや、その」


 急に話題を振られた私は、通常より大きな声で応対してしまい突如周りにどっと笑いが巻き起こる。

 何も面白いことなんて言ってないのに。クラスメイト全員に注目された恥ずかしさと、みんなはわかることがすぐに理解できない自分の鈍さに顔が真っ赤に染め上がる。

 とりあえず笑っておけばこの場は凌げるのだろう。頭の回転が遅い私でもそれは理解できて、乾いた笑いを口からこぼす。面白くないのに無理やり口角を上げたからか、口の端はひきつって不格好な笑みだった。



 放課後の赤色に包まれた暗い教室。自身が所属している美術部で一枚絵を仕上げた帰りに、私はいつもここへ立ち寄る。

 一日ずっと顔に貼り付けていた笑みをようやく剥がすことができるこの瞬間。大好きな夕焼けも相まって、私はこの時間が一日の中で一番好きだった。


「……さて、書かなきゃ」


 ゴソゴソとリュックの中をあさり、数ある教科書たちの中でペンケースと青いノートだけを取り出す。


 何となくペラっとめくったノートの最初のページはしわくちゃで、文字も滲んで何が書いてあるのか、どんな思いがここにあったのか、著者の私でさえ分からなかった。

 分からなかったけど、きっとこのページの日は耐えられないほど辛い思いをしたのだとぼんやり想像する。

 別に具体的に思い出さなくったっていいのだ。所詮素人の文章、そして思い出したくもないほど嫌な思い出だったのだから。


 パラパラ静かにページを進めて、真っ白な見開きのノートにシャーペンを滑らす。今日起きた出来事。そしてその時に感じたことや考えたことなど、いわゆる日記を棒線上に作り上げる。


 この日記を書くことによって、あの時この人はこう感じていたのかと俯瞰して物事を考えることができるようになるし、何よりその時の相手の気持ちが理解出来る。まあ今更わかったって意味が無いけれど、もしかしたら明日そこから繋がる会話があるかもしれない。私はそんな少しの可能性に賭けたかった。



 この日記を書き始めたのは、中学生の頃からだった。その時から人と話すのが苦手であった私は、何かの本で「思いを文に起こしてみるといい」という言葉を目にした。どうやらこれはストレス解消になるようで、実際に悩みや不安に苛まれている人たちが日常に取り入れている行動らしかった。


 当時の私は何がなんでも人と話せるようになりたかったため、すぐに行動に移した。メモ帳に日頃から心の中に貯めていた文字を書きなぐり、書きなぐり。

 最初は人と話せない自分を責めるような言葉たちばかりが並んでいた。しかし、次第にあの子が嫌い、憎いといった悪感情があちこちに飛び交うようになる。

 最終的にボールペンで真っ黒に染まった小さな紙切れを見た私は、言い表しようのない孤独感と少しの達成感に心が支配された。たった一枚の小さな紙に一生懸命問うて問いて問うて得た解答は、底の見えない深い深い真っ暗闇だったのだ。


 結果、それは私にはなんの意味もない方法だったわけだが、そこから少しやり方を変えて今の日記へと成長させた。これも今のところ劇的な変化を遂げるほど役に立っている訳では無いが、少なくとも相手のことを理解することは以前よりできるようになったと思う。


 つまりこれは特に宿題というわけではなく、ただ単に私がやりたいからやっているものである。それなら教室でやらず家でやればいいのだが、どうもあの家では思うように手が動かない。それに加え、学校を出て家についた頃にはきっと夜。

 夜は嫌いだ。怖いから。あの暗い中に溶け込んでいきそうで。見えない何かが常に周りを囲んでいるような気がして。


 昔から何となく、夜の暗さには苦手意識があった。



 朝に登校してからこの時間までに起きた出来事を一通り書き終わり、私はググッと体を伸ばして息をつく。外は紺色と茜色のグラデーションが始まっていて、帰宅し始める生徒が窓から見えた。


 ふと思い出す。

 そういえば朝、学年主任の先生が来る数秒前。田村くんに言われたあの言葉の意味はもしかして。


「……助けてくれた、とか」


 言葉にして初めて、ふわっと宙に浮かぶような夢心地に包まれる。朝のあの時間から約十時間後。私はようやく真実にたどりつけた。

 小刻みに揺れるシャーペンをぎゅっと握り、ふわふわした気分で朝の出来事を書いた横に「田村くん 助けてくれた?」と付け加える。


 書いた瞬間、じわじわ心の中心部から熱が拡がっていく。普段あまり感じることの少ない温かい人の思いやりをその場で気づけなかったことは悔しかったが、それよりも何よりもちゃんと見てくれている人がいたことに喜びが隠せず口元が緩む。


 たった一度きりの出来事かもしれない。ただの気まぐれかもしれない。

そんなネガティブな考えを頭を振って吹き飛ばす。


 田村くんが一度優しくしてくれたからといって、相変わらず夜は怖いし、人とも全然話せない。けれど、今日だけは温かい夢を見れそうな気がして、私は満たされた心地で家に向かうのだった。

 リュックの中でノート達がガサガサ揺れる。


 さて、明日の日記には何を書こうか。

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