第25話 “魅了する”という異能

 ごめんなさい、私ったらなんてはしたないことを……とか心にもない事を言って、アシュリーは僕の隣に腰を下ろす。


「先ほどは災難でしたね。立場上、お助けすることは出来なかったので、人払いに努めさせていただきました」


「なんだ、不自然なくらい誰にも会わないと思ったら、アシュリーの仕業だったか。でもありがとう。おかげで余計な注目を浴びずに済んだよ」


「いえいえ、お怪我がなくて何よりです。けれど、柊さんは御自分が異能持ちであるということをもっと自覚なさった方がよろしいですわ。先ほどの襲撃が柊さんの異能目当てかどうかは存じませんが、今後もこういう事は往々にして起きるでしょうから」


「聞きたくないタイプの予言だ。大体、異能とやらを腰痛持ちくらいに何気なく話されても、はいそうですか、とは簡単に受け入れられないっていつも言っているじゃないか」


 アシュリーはしゅんとして大袈裟に肩を落とす。なんだかとても酷い事を言い放ってしまったかのような錯覚を覚えるけれど、全然、横暴なことは言っていない。


「残念です。主治医として日々懇々と丁寧にご説明差し上げているというのに……ところで、先ほどの慣れない逃走劇とは別に、少しお疲れのご様子ですが、体調が優れませんか?」


 驚くべきことに、アシュリーは若干十八歳にして特別なルートで医師免許を有しており、定期的に柊家を往診している。異能持ち故に心身にリスクを抱えがちらしい僕の健康管理だけでなく、仕事柄、生傷の耐えない玄翁衆の治療などもしてくれるが、本来の目的は本人の言のとおり、僕が異能を悪用していないかを監視する素行調査である。


「実はちょっと寝不足でね、でも大したことはないよ」


 アシュリーは困ったように眉尻を下げた。

 

「また明晰夢をご覧になったんですね。以前からお伝えしていますが、その夢は単に脳の情報処理過程で副次的に生み出される想像世界だけではなく、魂が世界線を往来して別位相の並行世界を垣間見ている可能性があります。魂が惹かれ続けてしまえばこちらに戻ってこられない危険もあるのですよ」


 俄かには受け入れ難い内容だけど、アシュリーの指摘に思い当たる節がないわけじゃない。夢の中の稟に「こっちにおいでよ」と言われた時の全身を駆け巡った気味の悪さ――まるで心臓を直接、手で撫で回されるような――は、感覚が不確かな夢の中といえども命の危険すら明瞭と感じたものだ。きっと、あれが別世界に魂を惹かれかけた状態ということなのだろう。


 問題児に手を焼く教師のような苦笑いを浮かべながらアシュリーは続ける。


「柊さんの異能は『魅了』アドミレイションだと推察しています。相手の精神を特定の志向で縛る『魅惑チャーム』や『蠱惑テンプテーション』という厄介な魔術がありますが、『魅了アドミレイション』はさらに始末が悪い。何せ強制ではなく自発的な服従を可能にすることから悪事に用いられやすいばかりでなく、歴史的にも社会に与える影響が大きかったことから、最重要の監理対象となっています。いわゆる神の賜物カリスマですね。正しく用いた例としては聖乙女ラ・ピュセルこと聖ジャンヌ、悪用した例とすれば二十世紀に続出した独裁者達でしょうか。身も蓋もない言い方にはなりますが、どちらも人心を掌握し、群集心理を巧みに利用して人的資源を効率的に結集・動員することで大事を成したのです。柊さんの潜在的な脅威がお分かりいただけますでしょう?」


「先人達の偉大さは良く分かるけど、僕は英雄軍人にも大物政治家にもならないから心配無用だよ」


「既にたくさんの人々と主従関係を取り結んでいる方の言葉は説得力に欠けますわね。柊さんの場合は、さらに厄介なことに、『魅了』アドミレイションの力がこの世界を通り越して別世界にまで波及している疑いがあります。力が強すぎれば、並行世界からこの世ならざる者を招き寄せてしまう可能性がありますし、異質な明晰夢は、『魅了』アドミレイションによって惹きつけられた並行世界を認識するチャンネルが脳内に開きかけている状態だと私は考えています。控え目に言って危険水準ですよ?」


 柔和な笑みではあるけれど、言葉に柔らかさは一切ない。出で立ちも話す内容も怪しさ満点のアシュリーは、に生きる正体不明の美少女医師、というのが僕の理解だ。裏世界というのは僕の造語で、法律の枠外に存在するのが裏社会であるなら、常識の埒外に存在するのは裏世界だろうということで名付けた。初めて出会った時からアシュリーはこんな調子で、正直、接し方に困っているが、異能とやらが実在するかはともかく、そういう常識では測れない物事を正しく監理するのが、アシュリーが籍を置く『聖鍵せいけん教会』とやらの仕事らしい。


 そもそも聖鍵教会とは、かつて世界宗教が唯一皇帝との蜜月期に確立した世界秩序維持の役割を継承し、精神の統治の障害となる“この世ならざるもの”を秘密裏に封印・駆逐してきた秘密結社だという。要するに、秩序の枠からはみ出したものは無理やり枠に押し込めるか、最初からなかったことにする力業で人の世の常を守ってきた大雑把な組織とのこと。具体的に何をしているのかは全然知らないし、知りたくもないけど、祈りによって世界を護っている人達はそういうものだと割り切っている。アシュリーもまた、訳の分からない理由で僕をストーキングしている次第である。


「もしかして、憂いを断つために暗殺とか封印とか、そういうおっかないことされちゃう?」


「場合によっては。でも、九波さん方玄翁衆と敵対するのは、こちら側としてもリスクが大きすぎるので、現状維持がお互い望ましいかと。私個人としても、柊さんを死なせたくないということもありますしね」


「なるほど……アシュリーがそこまで僕のことを愛していたとは思わなかった!」


「この気持ちが愛かどうかは分かりかねますが、柊さんの力を利用すれば、頭の固い教会の老害達を労せず従わせることが出来ますもの。仕事がとてもやりやすくなりますわ」


「愛情の欠片もない理由だった! そんな怖ろしい企みには協力しないぞ」


「そうおっしゃると思いましたので、代替案も用意してあります。柊さんの家系は代々、『魅了』アドミレイションの異能を発現しているようですから、貴方の子どもは保有確率が高いということになります。幸いなことに私は女なので、子種を頂戴して孕ませていただければ、アシュリーは愛する我が子と共に教会を支配下に置きます」


 さらっととんでもないことを言うじゃないか。冗談っぽく言っていても、アシュリーは半ば本気だろう。襲撃犯の少女といい、アシュリーといい、昨今の十代は末恐ろしい振り切れ方をしている。


「アシュリーの愛云々はともかく、その……『魅了』アドミレイションだっけ? 僕の人間的魅力を差し引いても、変な連中が集まってきやすいことやコ〇ン君ばりの事件遭遇率の高さにも説明がつくかもね」


「あら、今度はどんな事件に首を突っ込んでいらっしゃるのですか?」


 鬼退治、と短く答えると、アシュリーは当惑することもなく喜色を露にする。


「素敵。ご先祖様の名跡をお継ぎになるなんて立派です」


「そっか、アシュリーは僕の先祖のことも知ってたんだっけ」


「もちろん、とても興味深い家系ですもの。お止めすることはできないでしょうが、くれぐれもお気をつけくださいね。“鬼”とは隠されたもののこと、存在し得ないと思われていたものがこちら側に流れ来ること。普段、巧妙に隠されている人の心の負の側面が幻視させる仮想敵だけでなく、柊さんの異能によっては、が招来されてしまう危険もありますから。では、ごきげんよう」

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