第24話 アシュリー・アシュレイ
追跡を撒くために何度か脇道に入り、二百メートルほど閑静な住宅街を走って小さな公園に逃げ込む。ここまで誰とも出くわさないとは思わなかったけれど、無関係の人々が巻き添えになる心配がなく、不幸中の幸いである。
慣れない全力疾走をした所為で息が上がる。僕は堪らずベンチに腰を下ろした。
「あの子、絶対
「かもしれませんが、それにしては執着無かったですね。少しここで様子を見ましょう」
職業忍者の九波はさすが涼しい顔で周囲を警戒していた。僕は呼吸を整えながら、急襲してきた少女の風采や言動を反芻する。
一見すると十代後半の小柄で華奢なごく普通の女の子だった。ちょっと個性的だったのは、額から頬にかけて入った紋様のような刺青や本物の血で化粧したかのような生々しさのあるアイラインと唇だ。世界各地の先住民族の中には、魔除けの意味合いでフェイスペイントをする民族がいると聞いたことがある。それと似たような風習だろうか。
ただ、外見なんかより、こんな住宅街で堂々と仕込み刀を抜いて、躊躇いなく人に襲い掛かるメンタリティは
少女は僕が「また意地悪をする」と言っていた。ということは、過去、どこかで面識があるらしい。こちらとしてはまるで覚えがないけれど、あんな取扱注意の女の子に顔を覚えられているとしたら、これまでのHCMGの仕事で何か因縁があったとしか考えられない。人物警護の過程で裏社会の仕事人達と衝突することもしばしばであることを思えばない話ではないけれど、彼女の口振りから察するに、復讐戦を仕掛けに来たという感じではなさそうだ。
「また意地悪をする」とはつまり、現在進行形で僕が彼女の仕事の邪魔をしているということになる。襲撃のタイミングから見て、鉄選組を訪問したことが
しかし、あれだけの力を持った用心棒も雇える麻薬密売組織なら、資金力も裏社会とのコネも豊富な、その筋の大家をバックに持っていてもおかしくないけれど、それにしては活動が限定的で、麻薬流通も群咲周辺に留まっている。鉄選組も敵対する同業者に心当たりはないというし、黒幕に関する情報が圧倒的に不足していると言わざるを得ない。手掛かりがほとんどない以上、身を守るためには、僕を取り巻くあらゆる人々やその行動を疑わなければならなくなるのだけど、人と人との関係を揺さぶって疑心暗鬼を生み出す手法は不幸の手紙と同じだし、姑息で汚いやり口を弄する黒幕に翻弄されていると思うと非常に不愉快な気分になる。
見えない敵。恐怖や不安が先に立って、いもしない”鬼”を幻視してしまうと、本質を見誤ることになる。
くさくさとした気持ちを紛らわせようと深呼吸をしていたら、公園の外を見張っていた九波が小走りで戻ってきて、「アシュリーさんです」と耳打ちしてくる。公園の生垣から、彼女のトレードマークであるプラチナブロンドの長い髪とタータンチェック模様の装いが見え隠れしていた。
「ごきげんよう柊さん、九波さん」
濃灰色のケープ風コートに身を包み、漆黒のレースの日傘を差したメアリー・ポピンズのような出立ちの女の子――アシュリー・アシュレイが屈託ない笑顔を見せながら近づいてくる。
「やぁ、アシュリー。また僕のストーキングかい?」
「あら、御存知でしたか? 柊さんがその異能を駆使して街の人々を籠絡してはいないか見張っていたのですが、ミイラ取りがミイラとはまさにこのことですね。私、すでにもう柊さんに手篭めにされているのかも」
「人聞きが悪いな。僕の溢れんばかりの人間的魅力が人々を惹きつけてやまないのは致し方ないことなんだよ。大体、いつも『いのう、いのう』と、僕は日本地図を作った人じゃないぞ」
「日本地図? 伊能忠敬様のことですか? ご存知かもしれませんが、地図を完成させたのは彼ではなく、彼の名跡を継いだお弟子さん達だそうですよ」
何食わぬ顔でボケを殺しにくるとは意地悪な奴。アシュリーは恍惚として
「あら、ご不満そうな表情……そんな顔されると私、興奮しちゃって、もっと虐めたくなっちゃいます」
前言撤回、さらに性質の悪い
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます