第23話 急襲

 組長と若頭だけでなく、組長の奥方や組員達も加えた鉄選組総出の丁重な見送りを受けて、僕達は任侠一家の屋敷を後にした。猫を被っていた九波は、真空状態でもがき苦しんでいた状況から脱したように、大きく息を吐き出した。


「あー、怖かった。昂良さん、組長に喧嘩売りかけたでしょう? ラムネさんのことになると後先考えないんだから」


「だって次男の噂を聞いちゃった手前、積極的に応援できないのに、あんな見え透いた政略チラつかせるから、つい条件反射で。ほら、僕って正義の側の人間だから」


「昂良さんの正義に付き合ってたら命が何個あっても足りないですね。しかし、ラムネさんは自他認める行き過ぎたブラコンですけど、昂良さんも大概シスコンですよね?」


「そんなんじゃないよ。ただ、なんかさ、妹を泣かせたくないって衝動が僕を突き動かすんだよ。もしかしたら、転生前は妹を泣かせ続けたダメ兄貴だったのかもしれない」


「え、転生設定なんですか? もしかして中身は三十代引きこもり無職のおっさんなんですか?」


「ない。期待に満ちた眼差しで僕を見るなよ――っ」


 極端に異様な気配というのはごく普通の一般人たる僕でも感じ取れるものらしい。群咲じゃとんと見かけない奇抜なメイクと、コートをはじめキャップもタイツも黒一色という少女が僕達の行く手を通せんぼするように待ち受けていた。雨の予報でもないし、日傘として使う気配もないのに、紅い傘を手に提げて僕達を凝視している。その視線たるや獲物を品定めする肉食獣のそれのようで背筋に悪寒が走る。九波は既に相手を脅威だと認定して、自然な動きで僕の前に躍り出た。 


「こんにちわ。お兄ちゃん」


 よく知った仲のような挨拶を満面の笑顔でされて、こちらは当惑するしかない。


「えっと、お知り合いじゃないですよね?」


「うん、存じ上げないね」


 ところが少女の方では認識が異なるようで小首を傾げる。


「あれ? お兄ちゃん、私のこと覚えてるよね?」


「申し訳ないけど、まったく記憶にない。人違いじゃないかお嬢さん?」


 唐突に九波が大きな声を上げた。


「なんだ急に!」


「まさか……前世の昂良さんが虐めていたっていう妹さんも転生していたんじゃ……!?」


「その設定まだ引きずってるのか。真に受けるんじゃないよ」


「いやでも、あの子の様子、尋常じゃないですし」


 言われて少女に目を転じれば、相変わらず無邪気で屈託ない笑顔を見せていたけど、その明るさの裏に身の毛もよだつような狂気と殺意が見え隠れしていた。


「酷い。私にあんなことしておいて、忘れちゃったの?」


「ほらやっぱり! 何でもいいから額づいて謝ってください」


「嫌だ。身に覚えがない理由で謝れるか」


「そうやって私がやろうとしていることが気に食わなくて、また、意地悪するんだね。そんなお兄ちゃん、懲らしめてあげなくちゃ」


 少女が手に提げていた傘の柄に手をかけると、眩しく煌めく鋭利な刃が姿を見せる。やはり普通の傘ではなく仕込み傘だったようだ。


「九波! 幸い人目はないから、とりあえず逃げる隙を作るんだ!」


「了解です! 満を持してお見せする機会が巡ってきました。往年の某野球漫画を見て会得した俺の新しい力!」


 九波はどこからか取り出した硬式野球ボールを振りかぶる。忍者というより手品師なんじゃないだろうかこの男は。


「とくとご覧あれ! これが九波式消える魔球です!」


 九波が放ったボールは真っ直ぐ少女目掛けて飛んでいったかと思うと、突然、大きな音とともに中から破裂した。どうやらボールの中身に炸薬でも仕込んでいたらしい。九波は興奮気味に僕を見た。


「どうですかこれ!? 野球の神様だって度肝抜かれる新解釈じゃないですか!?」


「野球以前に発想が物騒だよ。というかあの子、あの爆発に全然怯んでないぞ」


「むぅ……昨今の過激な動画で感覚が麻痺しちゃってるんですかねぇ、れた子だ。よーし、では二つ目の魔球をお見せします。名付けて死の死球デッドボール!」


「頭の悪いネーミングだ。頭痛が痛いと同レベルじゃないか」


 常人ならざる俊足で迫る少女に対し、九波は徒手空拳で応戦しようとしているように見えた。豪風と共に横一文字で振るわれる仕込み刀は、しかし九波が右手に仕込んでいた何の変哲もないボールで邀撃ようげきされ、今度は左手に握りしめられた二つ目のボールでいとも簡単に刃が叩き折られる。あのボール、中身は鉄板か何かで覆われているのかもしれない。


 少女が一瞬、目を瞠った隙を見逃さず、九波は流れるような体術で少女を押し返す。後方に大きく飛んで衝撃を緩和したようだけれど、その分、僕達との距離は大きく開いたから、逃げ出すには絶好の機会となった。少女は分が悪いと踏んだのか、或いは急に興味を失くしたのか、僕達を追いかけることなく不気味な笑顔でこちらを見つめていた。

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