第19話 今は亡き友の面影

 いわゆる『情報屋』から稟の身上調査の完了報告を受けるため、ミサは別行動となった。


 報道カメラや野次馬がチラホラ見受けられる那美川邸を遠巻きに眺めてから、九波とともに我が家に帰宅すると、待ちかねていたかのように玄関先まで稟が出迎えに来ていた。体調について尋ねると、「少し休んだら落ち着きました」といつもと変わらない笑顔を見せる。空元気ではなさそうだ。


「お帰り早々、恐縮ですが、昂良さんにお渡ししなければいけないものがあります」


 稟が手に持っていたのは、鶴亀コンビが見せてくれた群咲警察署謹製の不幸の手紙に関する注意喚起チラシだった。


「今朝早く、巡回中の警察の方がお見えになって、このチラシを置いていかれたんです。郵便類と一緒にお渡ししようと思っていたのですが、時期を逸してしまい、申し訳ありません」


「問題はないよ。今日は本当に仕方がない。気にしなくていいさ」


「ご厚情恐れ入ります。それともう一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


「いいよ? デートに誘ってくれるなら動物園より水族館の方がいいな。僕、暑いのダメだから」


「……そのボケ、悲しくなりません?」


「ならない。何故なら可能性はゼロじゃないから!」


 面倒くさいなぁこの人、とぼやく九波。ボケをかまされた当の稟はというと、相変わらず涼し気な笑顔を崩さなかった。


「ご期待に沿えず申し訳ないのですが、東邸内を掃除しようと思いまして、マスターキーでも鍵が開けられないお部屋が一部屋ありましたので――」


「嗚呼、その部屋はいいんだ。柊家秘蔵の品々を保管している部屋でね、セキュリティの関係上、僕が持っている鍵でしか入れない。説明していなくて悪かったね」


 我ながら苦しい言い訳である。稟もそれを感じたようで、ポーカーフェイスにも一瞬、綻びが生じる。


「そう……なのですね。いえ、昂良さんが謝罪される必要などありません。承知いたしました」


 なんだか居た堪れない。僕が直接、稟に隠し事をするのはこれが初めてだ。一瞬、垣間見えた稟の僕に対する不審の眼差しが、まさかこんなにも収まりの悪い気持ちを抱かせるとは思いもしなかった。


 僕達は、稟にこんな気持ちを抱かせ続けているのか。ならいっそ、無理にでも彼女の隠し事を明らかにさせた方が良いのではないか。


「稟、君は――」


 喉から出かかった追及は、思いがけず帰宅したラムネと素晴の登場によって遮られた。


「あれ? 兄さん、また外出ですか? せっかく早く帰ってきたのに」


「そうやで昂兄。今日もラムネは群がる男子達に目もくれず、女子のお茶会も断って一目散に帰ってきたんやから、少しは相手してやって」


「そ、そうか。今帰ってきたところだから構わないよ。ラムネに群がる男達とやらはちょっと面白そうじゃないか、是非聞かせてもらおう。稟、談話室にお茶を用意してもらえる?」


 畏まりました、と深々と頭を下げて辞去する稟の姿を見送りながら、僕は内心、胸を撫で下ろしていた。軽はずみに彼女の胸の内を曝け出させるような言動をしなくて良かった。僕は、自分の心のざわつきのままに、彼女に対して感情をぶつけかけていた。罪悪感から逃れるために相手の罪を論おうと、彼女を一人の人間として尊重する気持ちが折れかけていた。まったく、心の陥穽かんせいに湧く鬼を退治すると意気込んでおきながら、当の僕がこの有様では示しがつかないじゃないか。


 部屋着に着替えるため、ラムネ達と別れて自室に向かう。僕の自室は邸内の一番奥まった場所にあり、中庭を横切る渡り廊下を挟んで、ほぼ第二の離れのような造りとなっている。その渡り廊下の始まりに設られた客室が、件の開かずの部屋である。


 部屋は至って普通の客室で、従前、親類縁者の投宿用だったらしいから、どう見たって由緒正しい品々を保管するような厳重な物置には見えない。ドアには、以前、訳あって住んでいた奴がネームプレートを貼り付けた後がうっすらと残っていて、室内もその住人が使っていた状態のままにしてある。住んでいたのはたった数か月でしかなかったし、もうこの部屋に戻ってくることもないのだけれど、原状回復するのはなんだか気が引けて、既に七年の時が過ぎていた。


「そういえば、あの時も玄翁衆が総出で警戒していたっけ」


 いくら付き合いの長い友人とはいえ、柊一門ではない人間を僕の部屋の近くに住まわせると聞いて、夜映なんかはもう発狂していた気がする。危険の芽を摘む意味で闇討ちでもされやしないかと気が気でなかったけど、三日も経つと、友人は持ち前の明るさと気さくさで玄翁衆とも打ち解け合い、良好な関係を築いていた。当時は不思議にも思わなかったけど、稟に対して同じ状況がこうして繰り広げられていると、アイツの並外れた人心掌握術というかカリスマ性みたいなものに改めて気づかされる。面倒見の良い性格でもあったから、ここにいればきっと、あれやこれやと稟の世話を焼いて、彼女の疑いを晴らすべく奔走していただろう。


「――アイツがここにいたら、か」


 物や空間には、人の記憶や思いが宿るという。それは故人との繋がりをこの世に残す縁だ。先年、亡くなった幼馴染――茉莉花まつりかのぞみの陽気な騒々しさが、この部屋にはまだしっかりと息づいている。


(第2章 了)

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