第3話 カフェ『アチュウ』

 古くからこの群咲むらさきの地に根を下ろす旧家の柊家。その御曹司である僕はいわゆる金持ちである。他人より多くを持つことはそれだけで争いの種になりえるし、恵まれた境遇にあぐらをかいて周囲の不興を買うのはよろしくない。金持ちは金持ちとしての矜持を示すことで社会に受け入れられるのである。


 では、その矜持とは? 


 簡単明瞭、私財で私腹を肥さないことに尽きる。必要を超えた金は他人のために使うことで、聖なる輝きを放つもの。故に柊家の次期当主たる僕は、この街のあらゆる事業に投資を行っているわけだが、ラムネが経営するカフェ『アチュウ』もその出資先の一つである。オープンテラスを備えた異国情緒漂う瀟洒な佇まいでありながら、決して敷居は高くなく、老若男女誰でもふらっと立ち寄れるような親しみやすさがあるその店は、経営者の人となりをそのまま表現したかのような町内の憩いの場であり、いつだってそれなりに賑わいを見せていた。


「待たせたね客人! 柊昂良たから、ただいま推参だ!」


 口上はもはや常連客にとって日常茶飯事。お帰り昂良ちゃん、なんて温かい声援に迎えられながら店内に入ると、丁度通りかかった女性給仕に出くわす。僕を呼びつけた張本人であるところの二見花乃ふたみかのだった。


「昂良ちゃんったら騒々しい。ご近所迷惑」


 人好きのする柔らかな微笑を浮かべ、開口一番憎まれ口。相変わらず表情と発言内容が一致しない奴である。


「やかましいわ従業員、登場早々悪態をつくんじゃないよ。大体、僕の花道に割り込むとは恐れ多いにもほどがある。モブはモブらしくさっさと掃けなさい」


「もう、口が悪いなぁ。ちっちゃい頃の素直で優しい昂良ちゃんがいなくなっちゃって、花乃ねえちゃんは悲しい……ぐすっ」


「いい年して泣き真似をしないでほしいな鬱陶しい」


 この嘘泣きに翻弄されていた幼少期の自分を思い出すにつけ不憫さを感じざるをえない。感情とは裏腹に涙を流せる人種は結構身近にいるものなのである。


 二見花乃という陽気な三十代は、初めて出会った十数年前から内面と外見がほとんど変わらない怪人物。その奇特さを利用して、実は魔法使いでしたとか、オーラを操ってますとか、果ては義体なんですとか突飛なことを言い出しては純朴な妹を揶揄う性質タチの悪さが特徴である。とはいえ、僕達兄妹にとっては姉のような存在で、気心の知れた間柄であるため、こうしてカフェの従業員も引き受けてもらっていたりする。


「ラムちゃん、お花見どうだった? 楽しかった?」


 花乃の朗らかさとは対照的に、ラムネは陰鬱な表情を見せる。思い描いていたプラン通りに花見もハグも出来なかったもんだからいじけているのだ。


「……九波さんのせいで台無しでした」


「酷い! こっちはただ真面目に働いているだけなのに!」


「あれ、きゅうちゃんいたの? 存在感薄すぎて気付かなかった」


「あなたのために傷を負ったのに塩まで塗られる!?」


「うるさいぞ九波。そんなことより、客人はどこ?」


「一番奥のテーブルですよー。すっごく美人なお嬢さんだからすぐに分かると思う。あと、おっぱいがでっかい」


「昂良さん、警護のために俺も同席します。もしかしたらそのおっぱいはミサイルかもしれない」


「頭の悪い発言過ぎてもはや言葉もないよ」


 九波の興奮振りとは対照的に、ラムネはシンと冷め切った視線を僕に向ける。


「言いたいことは分かるけど、柊家の名前に遠慮してそもそも応募者が少ないんだ。この先も応募者が来るとは限らないから、あからさまに怪しい御仁でなければ僕は雇用するつもりだよ」


「美人で巨乳だから尚更、ですか?」


 刺々しい言い方がラムネの拗ね度合いを如実に表している。


「美人で巨乳であることに越したことはない。まぁとりあえずどんな人か会ってみよう」




 カフェ店内は内装からインテリアに至るまで、柔らかな海と砂と琥珀の色に彩られている。バルト海を臨み、海岸で採取できる琥珀が特産物のリトアニアにちなんだテーマカラーで、ラムネの生まれ故郷の景色でもある。ちなみに『アチュウ』という店名もリトアニア由来で『ありがとう』という意味だそうだ。


 僕ほどの街の有力者かつ人気者ともなると、住人とは大体知り合い。午後の優雅なひと時を過ごす有閑階級のご老人や奥様方と挨拶を交わしながら奥のテーブルにたどり着くと、気配を察した待ち人は音もなく立ち上がって深々とこうべを垂れた。


「ごきげんよう。募集主の柊昂良だ。今日は来てくれてありがとう」


 頭を上げてこちらを真正面から見返す瞳は、黒曜石のような深い暗紫色で、緑の黒髪と相まって、その場の誰もが息を呑むほどに神秘的な美しさだった。


「こちらこそ、貴重な機会を与えていただき、ありがとうございます」


 控えめだが、聞き心地の良い玲瓏れいろうとした声だった。艶やかな黒髪とのコントラストが印象的な白い肌、すらりとした出立ち、柳腰を際立たせる色っぽい服装に眼を奪われるが、スッと筋の通った鼻梁、形の良い鮮やかな赤い唇もまた眼を見張る精巧さ。美人の要件達が奇蹟のコラボを見事果たしていた。


 しっとりとした雰囲気を纏う美女を対面に座らせる。立ち居振る舞いがイチイチたおやかで、かつ、なんかいやらしい。はちきれんばかりの巨乳をはじめ、呼吸するようにエロさが炸裂していて、並みの男なら息遣いだけで悶絶するに違いないし、そうでなくとも目のやりどころに困る。


「お名前を教えてもらってもいいかな?」


古戸森こともりうくると申します」


「では古戸森さんと呼ばせていただこう。左隣は妹のラムネ、この店の経営者だ」


 ぎこちない笑顔で軽く会釈するラムネ。僕好みの美人を前にすると敵愾心みたいなものが出てきてしまう困ったお兄ちゃんっ子である。


「で、右隣は物見遊山の九波。たまたま居合わせただけなんだけど、行く当てもないらしいから同席させてやってほしい」


「昂良さん、さすがに不自然ですよそれじゃ……」


「はい、よろしくお願いいたします」


「受け入れられた!?」


 あまりにも完成されたしっとり美人をチラチラと不信そうな眼で見ながら、九波が小声で囁きかけてくる。


「あの……これってまたあららぎさんの仕掛けたハニートラップなんじゃないですか? めっちゃ昂良さん好みの美人じゃないですか。不吉ですよ」


「何が不吉だ、僕好みの美人が現れたら世界が滅亡でもするのか――いや、待て。後世、歴史に名を遺す英傑たるものはそれくらいの宿命を背負うものなのかもしれないな。世界平和と絶世の美女、どちらか一方しか手に入れられないとは……どうしよう」


「どうしようじゃないですよ、真剣に悩まないでください。とりあえず、ちょっと探り入れてみてもいいですか?」


 咳払いを一つしてからしっとり美人と真正面から向き合う九波。男好きする見てくれの女相手だろうと、主の為ならほとばしる性欲も押さえつける忠誠心がその精悍な顔つきにみなぎっていた。普段から間が抜けた言動と不真面目さが際立っているだけに、この変わり様は目をみはるものがある。


「単刀直入に伺います」


 相手を委縮させるかのような冷たい声色。絶世の美女を前にそこまで素っ気ない態度を取れるなんて……すごいぞ九波。


「何カップですか?」


「いい度胸だな。訴えられても知らないぞ」


 インパクト大な巨乳の魔力には逆らえなかったらしい。所詮、九波は九波。一瞬でも期待した僕が馬鹿だった。


「Gカップです」


 予想外だったのはしっとり美人の切り返しの方だ。怒ることも恥ずかしがることもなく胸のカップを自己申告されたもんだから、一同、あまりの衝撃に沈黙である。


 九波は言葉を失い続けたまま、椅子から立ち上がってその場で珍妙な悶絶ぶりを披露する。すごく鬱陶しい。


「確かめますか?」


 片乳をそっと持ち上げるしっとり美人。過激な逆セクハラに九波の理性は崩壊寸前だった。


「い、いいんですか?」


 鼻息荒くしっとり美人の巨乳に目が釘付けとなっている憐れな部下はまだ気付いていない。奴に対するラムネの元々低い好感度は、もはや引き上げること叶わないどん底にまで墜ちていったことに。


 多幸感をもたらす脳内麻薬は痛覚を鈍化させる。心の痛みもまた然り。容赦なく突き刺さる蔑みの視線に今さら気づいたところで時既に遅きに失する。


 猫に睨まれた鼠状態の九波。良い歳した大人が女子大学生に軽蔑される様子を見て、しっとり美人は小悪魔的な微笑を見せた。どうやらサディスティックな傾向があるらしい。


「ちょっと過激だけど、胆力の座った女性は割と好きだよ。美人なら尚更だ」


「恐れ入ります」

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