第2話 忍者・九波貫介

 桜木の陰から騒々しく現れた無粋な若造にラムネはしたたかに驚いていた。僕はラムネを庇うように身構える。


「離れろラムネ! まさかこんなところまで追ってくるとはな!」


「宿敵登場風に驚かないでくださいよ、最前さっきからそこにいたじゃないですか」


「そうだっけ? まぁいいや。飽きたから下がっていいよ」


「興味失くすの早ッ! ラムネさん、このめちゃくちゃなお兄さんになんとか言ってやってくださいよ」


「兄さんの言葉は絶対です」


「聖母のような笑顔でなんて狂気じみたことを言うんだこの人……」


 狂信者ラムネに恐れをなす男の名は九波貫介くばかんすけという。平凡を絵に描いたような中肉中背でシルエットに特徴がなく、初対面の相手の記憶に残りにくいという性質の持ち主。意図的なのか自然体なのか、一貫して影が薄いところは称賛ものである。


「フフフ……知ってのとおり、ラムネには“兄に甘々な義理の妹”というキャラ設定がしっかり刷り込まれている。『今日からお前は僕の妹だ』のフレーズから始まった一連の改造プロセスは、学術用語でいうところの『D.C.効果』、あるいは『朝倉式兄妹関係構築法』と呼ばれ、ご覧のとおり効果は絶大」


「ちょっとラムネさん見ましたか、あの悪い顔! 妹を往年のギャルゲーヒロインに魔改造したとんでもない人が目の前にいますよ」


「兄さんの顔は悪くなんてありません! すごく整ってカッコいいです!」


「ダメだこの人! もう手遅れだ!」


「というか九波さん! 当然のように隣に座らないでください! そもそも何でここにいるんですか!」


「何でここにいるかですって!? 誰もしてくれないので自分でご説明します。一抹の罪悪感を抱きつつも、ラムネさんが前日眠れないほど楽しみにしていた昂良さんと二人きりのお花見に何食わぬ顔してちゃっかり参加するのが身辺警護という仕事なんです!」


「わー! そういうことバラさないでください!」


 そう、何を隠そう、このパッとしないし、記憶に残らないし、面白くない三拍子揃った男は僕の身辺警護のために雇われている隠密――いわゆる『忍者』だったりする。ちなみに誤植ではない。


「あの! 警護でしたら影に日陰に徹していただいて問題ないと思いますけど!」


「同感だね。シンプルに狭いからあっち行ってくれよ」


 兄妹息の合った挟み撃ちで縁台から追い出そうとすると、九波は必死の抵抗を見せた。


「待って話を聞いて! 花乃かのさんから二人を呼んできてほしいと頼まれたんです。昂良さんもラムネさんも全然スマホ見てくれないから」


 ジャケットの内ポケットに忍ばせていたスマートフォンを確認してみると、確かに花乃から数件の着信とメッセージが届いていた。例の如く、ものぐさな花乃は『とりあえず早く戻ってきて』としか寄越さないから、要件の軽重も緊急性の度合いも分からない。ただ一つ言えるのは、絶対、大した要件ではない。長年の付き合いから来る勘である。


「どうせまた色を塗ったダチョウの卵をドラゴンの卵とか言ってラムネを騙す魂胆だろう。赤ん坊並みの純真をあんまり揶揄わないでやってほしいな」


「に、兄さん。恥ずかしいのでその話はこれっきりにしましょう」


 笑い話だったが、本人は結構気にしているらしい。


「それがですね、昂良さんが募集してたお手伝いさん候補の方が見えたという話で――」


「え、何それホント? そういうことは早く言いなさいよ。ラムネ、とりあえず一旦、『アチュウ』に戻ろう」


「ま、待ってください兄さん――っ」


 慌てて縁台から立ち上がったラムネは、石畳の段差につまづいて体勢を崩してしまう。穿き慣れていない高めのヒールに、決して運動音痴ではないが驚くほどおっちょこちょいなラムネの性質を勘案すればその事態は容易に想像できていた。計ったかのような完璧なタイミングで、僕はラムネの身体を抱き留める。


「あ、ありがとうございます」


「さて、ラムネの危機も救ったし、ハグの約束も果たしたし、これで心置きなく家に帰れるぞ」


「え……えぇ――――!?」

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