柊さん家の鬼退治―かぎろいの春に鬼が湧く―

長月十六夜

第1章 目の覚めるような美女、目のやり場に困る美女

第1話 妹はハグをしたい

1


 言うまでもなく心地よい春うらら。石畳の桜並木は桃色の霞を作り、うぐいすの爽やかな鳴き声と花見に興じる老若男女の賑々しさも遠くに聞こえる、そんな長閑のどかな昼下がり。


 並木道を臨む和菓子店では、この時期、軒先に緋毛氈ひもうせんを敷いた縁台が用意される。座りながら温めの煎茶をすすっていると、妹のラムネが花見団子とクリームあんみつの載った盆を持ってきた。


「兄さん、お待たせしました」


「サンキュー」


 ラムネは僕の隣に座って、堪え切れないという風に笑みを零す。かなり上機嫌らしい。


「今日は絶好のお花見日和ですね。今年も兄さんと来ることができて嬉しいです」


 幸福感と高揚感でラムネの白い頬が上気していた。なるほど、花の便りは誰にとっても心躍るものに違いない。勝手に送り付けられて腹が立たないのは、春の知らせか親の仕送りくらいなものだろう。


 普段は静かな地方都市――群咲むらさきも、この時期は多くの人々が訪れ賑わうのが常。ソメイヨシノの桜並木と、清らかな小川沿いに咲き乱れる色とりどりの芝桜の共演は、県内ではちょっと名の知れた観光名所なのだ。


 盆の上の花見団子をしげしげと眺めていると、仲睦まじく寄り添うカップルが眼前を横切る。ラムネはカップルの後ろ姿を羨ましそうな眼で追っていたかと思うと、急にソワソワし出した。耳まで真っ赤にして僕の様子を窺うように盗み見る。


「じゃ、じゃあ! そろそろ約束のハグ、してもいいですか!?」


「うーん、無理」


 ラムネは腕を広げた体勢のまま、この世の終わりかのような表情で崩れ落ちた。


「まさか拒否されるなんて……嗚呼、私なんかもう生きる資格ない……」


「身投げの準備とか気が早いなぁ。僕は今、花より団子の気分なんだ。お前みたいな恋愛栄養生物じゃないから、異性と抱き合っても養分を摂取できないんだよ」


「根っからの男好きみたいに言わないでください! 兄さん以外の男性とハグなんてしません! ここは日本なんです。恋人でもないのに不自然じゃないですか」


 義理とはいえ兄妹でもそれは同じだろう、という突っ込みは花見団子と共に飲み込んでおく。普段は聡明で大人しく、物分かりも良いラムネが、この手の話題になると急に頭が悪くなるから面倒くさい。


 不貞腐れてクリームあんみつを口に運ぶひいらぎラムネは、今年二十歳になる妹である。陽光を浴びてきらめく金髪に澄み渡った翠緑の瞳、雪のように白い肌と端正な鼻梁びりょう、桜色の瑞々しい唇……目の覚めるような美人に違いはないのだけれど、時々、常識や世間一般の価値観が居眠りをしてしまうところがこの手のタイプのご愛敬。人間、誰しも欠点は存在するという良い事例だ。


「兄さん、食べ終わったら、今度こそ、その……いいですか?」


 捨てられた挙句、何日も気づいてもらえず、ようやく出会った人間に庇護を求める子犬のような目を向けてくる。断り辛い事この上ない。


「逃げやしないからゆっくり食べな」


 はい、と弾んだ声が返ってくる。その嬉しそうな横顔を見るにつけ、僕はこの妹の行く末が心配になる。


 異文化への寛容さと多様な価値観が当たり前のこのご時世、軽く抱き合うなんて大したことではない。家族となれば尚更だし、月一回の定例化は妹の熱望でもあるから僕だってやぶさかではないけれど、事はそれほど単純でもない。


「……何を隠そう、ラムネは重度のブラコン。過剰なスキンシップは今後のためにならないと考え、僕はこうして、毎月訪れるラムネルートのイベントをどう穏便にやり過ごすか、頭を悩ませている訳だ」


「何か言いましたか?」


「何でもない。ところでラムネ、大学はどう? 楽しい?」


「え? はい、楽しいですよ。急にどうしたんですか?」


「いや、お前が大学に通い出して一年経つっていうのに、揶揄からかい甲斐のある話一つ出てこないから、もしや周りと上手くやれてないんじゃないかと少し気懸りだったんだ……僕が嬉々としてイジれるような話題とかないの?」


「うーん、兄さんと過ごす時間をたくさん取ろうと、なるべく早く家に帰るようにしてるので、これといった話題はないかも」


「なんだその史上稀に聞く面白味のない回答は……」


「それより兄さん、改めてハグを――」


「ラムネ! あそこにとんでもない美人がいる!」


 綽約しゃくやくとした後ろ姿の美女を指さしながら、新大陸を発見したコロンブス並の高揚感で叫ぶと、案の定、嫉妬深いラムネは膨れっ面を見せた。


「もう! ちゃんとお花見に集中してください!」


 ふふふ、まんまと術中にはまるとは単純な奴。冷静な思考判断を乱すには相手が嫌がることを面と向かって堂々とやればいい。悠久の昔から変わらない千古の鉄則である。


「美人は“物言う花”とも言うんだ。花も恥じらう美しさを愛でるのも立派な花見。僕は桜でも女性でも美しいものは美しいと称賛したいだけなんだよ」


「そういう博愛主義は女性の不興を買いますよ。大体、美女ならその……ほら、すぐ近くにいると思いませんか?」


 恥ずかしがりながら、明らかに期待に満ちた上目遣い。どうやらその美女とやらは自分だと言いたいらしい。凄まじい美形の癖に内気だから自信満々になり切れないところが実に揶揄いやすい。僕は大仰に溜息を吐いてみせる。


「ラムネ、お兄ちゃんは憂慮している。ちょっと男受けする面だからって慢心して余裕かますヒロインは、大抵、さっと登場する新キャラに意中の相手をかっさらわれるものであって――」


「ご歓談中、失礼します」

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