第14話   気分転換になるのなら

 ラファエル殿に初めて会ったとき、レオ兄と似ていると思った。だがそれは以前までの兄と比較してのこと。今の兄は……あらゆる誘惑に負けに負けて、波にたゆたうままに浜辺に流れついたゴミのようだ。


 私が、なんの理由もなく人に魔法を撃つわけがないと……誰も、兄すらも、信じてくれていなかったんだな……。


 ああ波の音がひときわ大きく聞こえる。知らない場所の、海が見える堤防とやらの、落下防止のための丸太の柵たちに肘を乗せて、腹が立つやら、あんなふうになってしまったレオ兄に、悲しみが募るやらで、怒ってるんだか情けなくなっているんだか、もうぐちゃぐちゃでわからない。


 涙の代わりに、吐く息がものすごく熱い。兄から一言でも謝罪の言葉があれば、少しは許してやりたい気持ちが、湧いたかもしれないのに。私のせいで家に帰れなかっただなんて、そんな、そんなひどいことってない。


「あ、いたいた、こんな所にいた〜。もう、捜したよ〜」


 ベネットの声がして、振り向こうか躊躇したが、背中を向けているままなのも不躾な気がした。振り返ってみると、私が立っている堤防周りに作られた小道の、出入り口にベネットが立っていた。そんな風変わりな格好して、探し回ってくれたのか……。


 ベネットは辺りを興味深そうに眺めていた。


「へ〜、こんな場所ができたんだ。堤防近くまで散歩できるように、木を組んだんだね。以前から、堤防まで行きたいって観光客の声が上がってたのは知ってたけど、こんな形で叶えちゃうなんて」


 ベネットが歩いてくる。私と少し離れた位置の柵まで来ると、だら〜んと両腕を垂らしてもたれた。子供か。


「いい場所選んだね。ほどよく人が歩いててさ。こんな日は、一人にならないほうがいいよ」


「兄の連れが、みごもっていた。双子かもしれないんだそうだ」


「うん……。結果は、その、アレだったけど、お兄さんと話せたんだね、がんばったじゃん」


「がんばってなどいない。もう、何をやっても、どうにもならないし」


「復讐は、どうするの? 新郎新婦にいかずちでも落としちゃう?」


 変わらず軽口を叩いてくれる……少しでも、私の励みになればと、思ってくれているんだろうか。


 もう、わからん。なんにも……。


「ねえヒューリ、僕はあの喫茶店でお兄さんとヒューリが話してるのを聞いちゃったんだ。ごめんね」


「ああ……兄は記憶喪失だと偽って、この街の気の良い人間どもを、片っ端から騙し抜いていた。あんな小細工ができるほど、器用な人間ではなかったのに……」


 は〜あ、思い出したらまた腹が立ってきた。


「ヒューリ、魔法を撃たないでくれて、ありがとう」


「……そう言えば、私は魔女だったな。あまりの衝撃的光景に、ド忘れしていた」


「ブッぱなしてくれたほうが、僕もスカッとしたよ。でも、あの店に罪はないからね……」


 繁盛して賑わっている店に、そんな真似するものか。あの屋根が降ってきたら、今度こそタンコブだけでは済まないだろうしな。


 その後ベネットは話題をガラリと変えて、夕飯どこにするかとか、海に入ってみるかとか、少しでも気晴らしになりそうなことを提案してくれた。


 すぐには、決められなかった。


 いろんな感情で胸がぱんぱんに膨らんで、どうやってこのガスを出せばいいやら、海に向かって叫びたくても、声が詰まって出なかった。


「ベネット」


「あ、ごめん、うるさかった? じゃあ、待ち合わせ時間だけ決めよう。街の中央に時計塔があるから、そこに集合ね」


「違う。気分転換がしたい。付き合ってくれるか?」


 ベネットが若草色の両目を、驚きの入った表情で見開いた。


「いいよ、何する?」


「お前の望みを叶えに行くぞ」


「へ? 僕、何かお願いしたっけ?」


「番人に魔素を管理されて、自由に魔法が使えないと訴えていたぞ」


「え? まさか、時計塔にいる番人に会いに行きたいって? 今のヒューリは失恋したてで、パニクってるだけだよ。そんなメンタルで何かしても、無理が祟るだけだよ」


「お前のためじゃない。何かして気を紛らわせたいだけだ。勘違いするな」


 プイと海に鼻先を向けると、しばらくして隣からため息がきこえた。


「へーへー、女王様。仰せのままに」


「ん、案内してくれる気になったか」


「それじゃあ、行きますか。魔素の番人のところに」


「今からか?」


「きっと番人に会ったら、君も気が変わるよ」


 どうせ私には何もできないとタカをくくったように、ベネットは肩をすくめていた。変なヤツだな、昨日は共に魔素の番人に立ち向かう相手を探していたふうなことを言っていたのに。今の精神状態の私には、会わせたくないらしい。


 それでも、今は会ってみたいんだ。私の問題と向き合うのは辛い、でもここに立ち止まってたくもないから、たとえベネットの問題であっても私は割り込んでやりたかった。


 魔素の番人は、私に会ってどんな反応をするだろう。どんな言葉をかけるのだろう。無断で魔法を使い続ける私とベネットのことを、どんなふうに思っているんだろう。


 会って、話してみたい。


「番人は襲ってくるかもよ。そしたら君でも助からないかも」


「相手が魔法を撃ってきたら、反転させて返却してやればいい。武術も武器も習ってはいないが、昔からそうして生き延びてきた」


「ん? 反転?」


 何か気になったらしく、その後しばらくベネットは上の空だった。今すぐ魔素の番人のもとまで案内してほしかったけれど、気の済むまで待ってやることにした。



「それじゃあ、少しだけ歩こうか。会わせたい番人がいる時計塔には、簡単には行けないようにロックかけてるからね、解除するための儀式に、散歩がいるの」


「儀式? ロック?」


「えーっと、ロックは施錠って意味。魔法はこうやっていろんな魔法を重ねがけして、簡単には突破できないように仕掛けを作ることができるんだよ。さながら時計の中身みたいに、複雑な組み合わせにして、『特定の相手』しか解除できない工夫をしてみたりもできるんだ〜」


「ふうん……。では、いろいろな仕掛けを作った当人が、解体の方法をしっかりと覚えておかねばならないな。少し面倒だ……」


「そういうときのために、信用のおける人に教えておいたり、書物に説明書をメモしておいたり、それをまた探し当てて悪用する人がいたりね、確かに、いろいろ面倒だ」


 ベネットがゆったりとした足取りで、小振りの丸太で組まれた海上の道を歩く。その背中を眺めながら、言葉少なに追従するのが、なんだか不思議な心地だった。


 私が追いかけていた背中は、大きくて、いつ飛び乗って驚かせても笑って許してくれて、生活の全ての基盤を背負って前へと進む、逞しい背中であった。


 いつも瞼の裏にあの背中があったから、私は生きる希望を見失わずに済んだのだ。


 ……。


 目の前で揺れる、銀糸の刺繍で侯爵家の家紋を刻まれた黄土色のマント。初めて会ったときよりも分厚い布越し、それでもわかる細身の体躯。ベネットの見た目は全く私好みではない。しかし、この背にはついて行っても大丈夫だと、それがわかるだけで、握りしめるような強い緊張も、手放すことができる。


 ハァ、私も兄のこと言えないな。変わってしまったのは、私もじゃないか。知らない場所に移動して、誰かを夫にして、こんなお洒落な服装して夫と歩いて……ハァ〜〜〜。



 堤防付近の散歩コースから、港町のしっかりしたレンガ通りへと戻ってきた。その頃には、壮絶な自己嫌悪から少しだけ復帰できていた。けれど、それは溺れながら何に掴まって、海面に顔を出しているようなもの。


「ねえ、並ばない?」


 振り向かれて、不覚にも目が合い、私は驚いてとっさに足元を眺めた。


「私がとなりにいて、何か変わるのか」


 我ながら、そっけない言葉を口にした。さすがの彼もムッとしたことだろう。おそるおそる視線を上げると、


「これから大事な人に会うんだからさ、顔だけでも、機嫌直しといてよー」


 ベネットはそう言って、あっさり前へと向き直った。特に腹を立てた様子もなく、まるで……こういった女の反応には、慣れているかのようだった。今は……仮初とはいえ、こいつが夫だ。だけど私はこの男のことを何も知らない。名前しか、知らない。姉妹などの、女の身内がいるのだろうか。それとも、恋人が、いたのだろうか。


 ……どう距離を詰めればいい? それ以前に、何を質問したらいい。友達の作り方すらわからないのに、今すぐヤツの身辺を探れる質問なんて……どうしたら、いいのか。


 ベネットは次の目標へと意識を向けたい私に、あっさりと応じて、今こうして付き合ってくれて……そこが、兄とは違うんだ。兄は私が人目につくことを心配して、森の中以外どこにも連れていくことはなかった。私もそれで良いと、了承していた。


 ……たとえ今ベネットと仲良くなっても、その先、絶対に裏切られないという保証は、どこにもない。ヤツもまた兄のように、ある日新たな居場所に引っ越して、私と過ごした日々を恥じ、誰にも秘密にし、私が来訪すると眉間を寄せるように、なるのだろうか。


「ベネット……」


 不安になって、気づけば名前を呼んでしまっていた。その先をどのように繋げばいいのか、何も思いつかないままに。


「ん? どした?」


「妻や恋人は、いないのか?」


「いるじゃん、ここに」


「私ではない。他の……だ。姉や妹が、その、いたとか」


 上手く聞けただろうか。


 う、ぽかーんとされている。


「うーん……いたよ? 何百人とね」


「なっ!?」


「もしかして、本気で僕のこと歳下だと思ってた? 残念。数世紀ほど年上です。ああ、奥さんの数はね、どこかの好色なお偉いさんのお下がりだったり、酷い目に遭ってた娘さんを保護したりね、それで人数だけがいっぱい増えちゃったんだ」


「そ、そうだったのか」


「え、納得しちゃうんだ……。ん? もしかして僕のこと警戒してるの? なんでも聞いてよ」


「……私の、他にも、今でも妻がいるのか?」


「いないよ。み〜んな浮気して、どっかに行っちゃった」


「え? 浮気!?」


「そ。だって、みんな僕のことが本命じゃない子ばかりだったから。僕もそれを承知で身元を預かってたに過ぎないし、僕のお下がりなら安心して嫁に貰えるってお家は、当時はすごく多かったんだよね」


 私はいつの間にか隣に並んでいた。その緑色の瞳に、からかうような動きは見えなかった。


「お前は、何者なんだ」


「僕は、今から会う魔素の番人の、因縁の相手さ。くれぐれも僕の名前は出さないでね。きっと細切れにされて、花畑の肥料にされちゃうから」


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