第13話   再会

「お? いらっしゃいませ!」


 店員の声がやけに嬉しそうだったので、つられて私もその客を見上げた。


 そして、兄を見つけた。


「レ」


 レオ兄だった。縦幅も横幅もあって、どっしりと立っているあの感じ……やたらカラフルなシャツが、ぜんぜん似合ってない。無精髭をそのままにして過ごしていた顔は、青髭を残してすっきりと剃っていた。


「レオ兄だ」


「へえ、彼が?」


 思わずこぼれた私の小さなつぶやきを、いろいろ食べ終わって静かになっていたベネットが、拾い上げた。


「うーわー、顔がラファエルにそっくり。ラファエルから筋肉を削ったら、あんな感じになりそうだな」


 兄の傍らには、そのまま海で泳げそうな薄い格好の女性が一人。日差しに愛されたようなまばゆい金髪に、夏の空をそのまま写したみたいな、綺麗な青い瞳だった。小麦色に焼けた肌は、日頃からよく海で泳いでいるらしき跡を残していて、そしてこの暑いのに兄と手を繋いでいた。


「やあレオ! もうすぐご結婚おめでとう!」「前祝いだ、飲んでけ飲んでけ!」「よせよー、嫁さんが身重で飲めないんだから」「あ、そうかそうか、元気な子産んでくれよー! あっはっはっは!」


 店内が、二人を祝福しだす。二人の祝いを理由に、景気良く注文される酒類。


「……」


 いつも流暢なベネットが、ぽかーんとしていた。その視線の先は、女性の腹部だった。ほんのり、膨らんでいた。


「あ、あの、ヒューリ、いったん移動しようか?」


「私、行ってくる」


「ええ!?」


 独り、席を立って歩きだした。可愛い靴が床板でヒールを鳴らしている。


「レオくん、今日どれにする〜?」


 一冊のメニュー表をテーブルに広げて、二人で覗きながら昼食を決めている二人のもとへと。


 不自然に距離を詰めてくる女に、レオ兄が気づいて顔を上げた。気づかずメニュー表に釘付けになっている女性を、庇うように片腕を横に広げた。


「なんですか?」


 レオ兄の敬語は、初めて聞いた。


「私だ、レオ兄」


 その言葉に、険しかった兄の顔が、みるみる情けなく溶けていった。眉はハの字に、口はへの字に垂れ下がり、泣きそうな顔に。


「ね〜え〜、どれにする? レオくん……レオくん?」


 返事をしない兄を不審に思ったか、女性が前髪を揺らして顔を上げた。そして私と兄を、交互に見る。


「どうしたの? レオくんの知り合い?」


「ああ、いや、その」


「あ! もしかして、レオくんの友達!? わあ! よかったじゃん、レオく〜ん! 無くした記憶の手がかりになってくれるかもしれないよ!」


 は?


 無くした、記憶???


「あ、初めまして! ナンシーです! あなたは?」


 満面の笑顔で元気に尋ねられて、思わず名前を言いそうになった。


 兄が遮るかのような勢いで立ち上がり、


「ちょちょちょちょっと、外で話してくる。メシ、適当に頼んでて」


「は〜い」

 

 恋人をその場に残して、私の腕を掴むと店の外へと連れ出した。



 鮮やかなテントが並ぶ街中を横切り、販売店の在庫置き場らしき薄暗い倉庫裏まで、腕を引っ張られて歩かされた。レオ兄の力はそこまで強くなかったから、踏ん張ればいつでも立ち止まることができたが、そうしなかったのは、どこへ連れて行くのかと興味が少しだけ湧いたから。


 そして、薄暗くじめじめした倉庫の裏に連れて行かれる気配がして、途中で踏ん張って腕も振り払った。


「レオ兄、記憶喪失というのはどういうことだ。さっきはすぐに私の顔に、ピンときていたじゃないか」


「や、あの、これは、その……」


 派手な南国風のシャツが、本当に似合っていなかった。気まずげにボリボリと後頭部を掻くその姿が、とても頼りなく見えた。


 いろいろ言わねばならないことがあったし、文句もちゃんと用意していた、そのはずだった。でも、いざ目の前で港町にどっぷり染まって、友人も多く、みんなから祝われている有り様を見てしまったら、想像していたよりも、流暢に言葉に出なくて、苛立ち交じりのため息が出た。なんとなしに、建物の隙間から見える海を眺めた。


「綺麗な港町だな」


「あ、ああ」


「あの娘はだれだ」


「……その、浜辺で、偶然、出逢って……最近お父さんを亡くされて、男手に不便してるって言ってたから……俺が居候的な流れに、なったって言うか、そこから、だんだん仲良くなって……まだ小さい妹が七人もいて、本当に男手に不便している家庭だった。今じゃあ、すっかり俺の稼ぎに依存してる。俺も、あの家に納まるつもりだ」


 私が五年間も、殺されかかっていたと言うのに、それでも必死に帰りを待って、家を守り続けていたと言うのに。兄は行きずりの女の家庭環境の過酷さに同情してしまい、すっかり丸め込まれたと言うことか。


 じつに兄らしい。


 兄らしいが故に、腹が立った。


「兄さんの人生だ。どんな出逢いを得て、誰と恋愛しようが、私に縛る権利は無い。しかしだ! 記憶喪失とは何事だ! 自分には森で留守番している妹がいると、なぜ誰にも話してくれてないんだ!」


「し、仕方ないだろ……」


 そんな言葉をボソッとこぼされ、思わずカッとなった。


「何が仕方ないんだ!」


「俺は、魔法が使える子供なんて、存在するわけがないと思っていたんだ。行く宛てがないお前を引き取ったときも、変な言いがかりを付けられて街を出された気の毒な子供としか、思ってなかったんだ」


「魔法を使われるのが、不快だったのか? なら、そう言ってくれたらよかったのに。私は魔法を使うのを控えたぞ」


「……毎日、楽しそうに魔法を使うお前の顔を見ていた。自由な暮らしも、暖かな家族も、手にできなかったお前から、唯一の楽しみである魔法まで奪い取れなかった」


 なっ、なんだその理由は……。私のためだとか言われても、揺らがないぞ! だって、ずっと置き去りにされていた事実は、変わらないのだからな!


「レオ兄の魔法に対する気持ちは、よくわかった。しかしだ! どうして一度も帰ってきてくれなかった。せめて、手紙を――」


「領土の問題で手紙が送れなかった。新しく領主になったラファエルってヤツは、周囲の貴族と気質が合わずに孤立している。手紙のルートからも外されているんだ」


「じゃ、じゃあ! なんで一度も戻らなかったんだ! 私に留守を任せるようなことを言っておいて、自分はさっさと他の女と好き勝手やって……手紙が無理だとわかった時点で、私の様子が気にはならなかったのか!?」


「んん……」


「私との生活のために、出稼ぎで稼いだ金は」


「……彼女が、妊娠したんだ。代々双子が産まれやすい家系だそうだ。金が、要る……これからも」


 とつとつと、だが理解しやすいレオ兄の言葉は、『考え無しの最低男』の輪郭をくっきりと浮き上がらせて見せた。こうして話しているのも、嫌になってきた。


「お、お前だって!」


 ずっと気まずそうにうつむいていた兄が、急に眉毛を険しくした。


「お前だって、悪いんだぞ。森を支配する邪悪な魔女だとか、森に入った人間を焼いて食うとか、そんな物騒な噂が、この港町にまで流れてきたんだ。信じてるヤツはあんまりいないけど、俺は、お前が人に向かって魔法撃ってるんだと……もう俺の知ってるヒューリじゃなくなっちまったんじゃないかって、そう考えたら、家に、帰れなくなったんだ。俺まで魔法で攻撃されないって保証はないだろ」


「……」


 言いたいことが山のように喉に詰まって、何から言い返したらいいのか、わからない。


「……私が、恐ろしい魔女だと……そんな噂を本気にして、他の女のもとに逃げ込んだと言うのか」


「そう言われると……人聞きが悪いな」


「レオ兄がいない間、恐ろしい人間ばかりがあの森にやって来たんだ! 友達になりに来たわけでも、私を心配して来てくれたわけでもなかった! 松明や刃物を持って、私を殺そうとしてきたんだぞ!」


「お前が魔法を使って攻撃するからだろ!? もう二度と人に向かって魔法は使わないって、俺と約束したじゃないか!」


「使ったのは、襲われそうになったときだけだ! 舐めるな!」


 声を枯らさんばかりに叫んで、行く宛てもなく走って逃げてしまった。こんな程度じゃ済まない。もっと何か、言いたい、訴えたい、でももうあの場にいるのが、耐えられなかった。


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