第5話 魔女の自己紹介
トントンと扉がノックされた。
「失礼いたします、旦那様。あとニ十分ほどでお客様がお見えになります」
「お! そうであったな。着替えなければ!」
「お手伝いいたします」
「うむ! ではベネット、後は任せたぞ。その魔女は煮るなり焼くなり好きにしろ。ではな!」
ラファエルはあっさりと退場していった。なんなのだ、あの大男は……。魔女の処遇を丸投げされたベネットは、いつものことなのか特に怒りもせずにいる。
「合格おめでと、ヒューリ」
「私を兄のもとへ運んでくれるのか」
「ん、まだだよ。ラファエルは君を雇うに値するって評価したけど、まだ君に仕事を渡してないから、もう少し待ってようね」
なんだかんだで、上手いこと雇われてしまったな……。
「先に言っておくが、私にこれといった特技はないぞ。我流で身に付けた家事くらいしか取り柄がない」
「ハハ、そこまで謙虚な自己分析ができてるんなら、納得の合格ラインだね。あの小部屋を出ても魔法を使ってこなかったし、少し心配になるレベルでおとなしい性格してるね」
おとなしいだなんて、初めて言われた。凶暴か癇癪持ちか、今まではそのどちらかに違いないと言われてきた。
やれ合格ラインだとか、こんな曖昧なやり方で身近に置く他人を選ぶだなんて、それとも世間ではこういうやり方が当たり前なのか?
私はあの街と、森の中しか世界を知らないんだ。常識なんて……わからない。ここが国内のどの辺りなのかも見当がついていない。国王と貴族が治めている国だというのも、今日初めて知ったくらいだ。王様がいる世界なんて、昔に読んだ絵本の中だけの話かと思っていたぞ……。
私が過ごした日々と言えば、勝手に日が昇って、勝手に夜になって、その間に食べられそうな物を、森の中や畑に入ってガサガサと探す。水場が清潔で、たまに雨が降り、誰も来ない静かな時間が過ごせれば、それだけで充分だった。他の事を学びたい、森から出てみたい、そういう欲求は我慢で押しつぶしてきた。兄を待つという大きな目標の役に立ちそうにない事柄には、ほとんど興味を抱かないように努めていた。
「ヒューリは何か欲しい物はある?」
「ん?」
「君は侯爵様に雇われたんだよ? 任される仕事は大変だろうけど、その分ご褒美は期待していいからね」
「……」
欲しい物なんて聞かれたのも、初めてだな。ベネットに会ってから、初めての経験だらけで、どうにも調子が出ない。
欲しい物とは、なんだろう。赤の他人に、話して良いことなんだろうか。
私の心の中を占めるのは……私を置いていった兄が、もうすぐ誰かのモノになるという、衝撃、怒り、悲しみ、その三つでもうパンパンだった。欲しいモノより、復讐をやり遂げたい。
他の誰かが何をしようが、今も全然興味がない。
私はパッチワークだらけのローブの胸に片手をうずめていた。小さい頃に着ていた服を、裂いては縫うを繰り返した結果の大芸術作品だ。
そもそも、服を買うお金も、私に服を売ってくれるお店もないんだから、自給自足で補うしかなかった。もしかしたら魔法を極めたら、何でも欲しいものが手に入るのかもしれないけど、私には教えてくれる人がいなかった。
でも、もういいんだ。私は兄に仕返しさえできれば。ウェディングケーキめがけてぶっ放し、花嫁共々クリームまみれにしてやればそれでいいのである。
私のことを思い出してくれたら、それでいいんだ。私がどんなに傷ついてきたか、置き去りにされて忘れ去られ、気にもかけられなくなった私が、どんな気持ちで式場に現れたか、ほんの少しだけ察してくれればそれでいい。その後、私の命が尽きようが、どうでもいい。
「欲しい物なんて、ない」
「ずいぶん考え込んでたのに、無いんだ」
「兄のもとへ運んでほしい。望みはただそれだけだ」
他に何か考えようとも、思えない。復讐をやり遂げないと、次の予定なんて考える余裕がない。
「それでも、君の働きに応じてラファエルは何か与えようとするよ。あいつは昔っからそういうところがきっちりしてるんだ」
「……じゃあ、食い物なら受け取る」
「欲がないね〜」
肩をすくめるベネット。私と会話している最中に、たびたびそういう仕草が見られた。
「簡単げに見知らぬ魔女を雇うとか言ってのけるが、私の噂を知らないのか」
「魔法使いには不気味な噂が付きものさ。そもそも魔法が理解されにくいものだからね」
「……そんなことを言っているが、あとあと私を解雇するんだろ。評判の悪い使用人など、主人の名前に傷を付けるだけでなんの得にもならないはずだ」
「それは君の働き次第だねー。ラファエルに繊細な人間観察なんて無理だから、君が変に先読みするだけ時間の無駄さ。大事なのは今、これからの働き次第だよ。頑張ってね」
そんな雇い方、あるものか。みんな私の悪い噂ばかり信じてきた。私自身には全く身に覚えがない話ばかりを……なぜか街の人間どもが強く信じているんだ。時計塔を壊したのは、私の落ち度だが……。
謎に私を受け入れようとしているベネットに……この奇妙な屋敷にいる人物たち全員に、よくよく考えてほしい。私を身近に置くということが、どういうことなのかを。私がここにいることが街の者の知るところになれば、ラファエルにも批判が飛んでくるだろう。
「私を雇う前に、自己紹介だけさせてほしい。少し長くなるが」
「家焼いたんだっけ? 魔法使いなら、そういううっかりもあるよね〜」
「……それより以前の話になる。流れ者を雇うならば、最低限の自己紹介はさせるべきだと思うぞ」
本当に私をそばに置きたいのか。
すぐに裏切られて捨てられないか。
兄の復讐以外に、気にすることなんて無いと思っていたのに、いつの間にかそんなことを心配している自分に、自嘲が漏れた。
「私は祖母に連れられて、物作りの盛んな小さな街に引っ越してきた。それ以前の記憶はない。街はもっと大規模に発展していても不思議ではないほど、優秀な職人が多かった。しかし、暗黙のルールや上下関係が非常に過酷で、互いの足を引っ張りあって発展を妨げているという、なんとも鬱屈したところだった」
「あ〜、あそこってそういう気質の場所なんだよね。ラファエルのお父さんも諦めてたよ。って言うか代々諦められてたな」
「昔からそういう場所だったのか」
なぜだか納得してしまっていた。あの古い時計塔のように、新しく建て替えることなく、良くも悪くも今まで通りのまま、時を刻んできたんだろう。
「祖母がなぜそのような場所に、私を置き去りにしたのかはわからない。初めから異質な存在の私は、街のどこへ行っても浮いてしまっていた。周りの子供らとも一緒になれないし、そのうち街の片隅で、祖母から習った魔法の練習に、独りで打ち込むようになっていった」
「あ〜、小さい子が独りで引越しするのは無理があるよね。軽い家出ならできるだろうけど」
やたら相槌を打ってくるヤツだな。兄でもこんなに相手してくれないぞ。なんか調子が狂うな……まあいいか、聞いてくれる相手に細かいことを指摘するのも面倒だ。
「気づくと私には、奇妙な噂話がつきまとうようになっていた。没落貴族だの、朽ちた魔女の血だの、代々そろって悪趣味だの。祖母いわく、我々の家系は生まれたときから良からぬ噂とともに生きてきたと言う……その祖母も、ある日どこかへいなくなってしまった。噂の詳細は、聞けずじまいだった」
祖母が借りていた部屋の支払いなんて、幼女に引き継げるわけがない。あと数日で部屋を出ろと大家に言われ、途方に暮れながら外を歩いていたら、石が飛んできた。
投げたのは、いつも集団で遊んでいる子供らだった。私はなぜか祖母や祖母以外の身内をバカにされ、とても腹を立てた。両親の顔も知らなかったけれど、自分の身内だけはバカにされてはならないのだと、なぜか強く自負していた。
私は街の子供らと大ゲンカし、カッとなって撃った魔法が、時計塔に命中してしまった。今思えば人間に当たらなくて、幸運であったと喜ぶべきだったのだろう。
それから、兄に拾われることとなった。兄もあの街の異様な空気が苦手らしくて、仕事を請け負ったとき以外は森で黙々と作業に打ち込んでいた。
兄が木々と向き合い、コツコツと作業している物音が好きだった。兄は私がそばに居ても嫌がらない唯一の人。となりでうたた寝ができるくらい、安心できて、楽に過ごせて、きっとこれが「幸せ」なんだと噛み締めたものだ。
その兄が、二人分の生活費が苦しくなってきたと言って、出稼ぎを提案してきたときも、本当は寂しかったけれど、兄が私との今後を考えてくれての決断なのだと理解していたから、泣かずに見送ることができた。
しばらく戻らないから留守を頼むと……そう言い残して、兄は出かけていった。
寂しさの余韻に、ずっぷり沈んで動けなくなっていたが、すぐに寝ているばかりもいかなくなった。私を家ごと燃やそうとする男どもが、街からやってくるようになったから。
「街から来る男どもは、ひどいときは発明品らしき便利そうな道具を持って、襲ってきたこともあった。いくら私が魔女とは言え、大勢の男どもに武器を持って追いかけられては、たまったものではない。もう魔法を撃ちまくって対抗していた。発明品らしき道具も、毎度粉々に砕いてやった」
「……」
ベネットの視線は、何事か思案しているかのような、ゆったりした動きで部屋を泳いでいた。
「……。私はよほどのことがない限り、人間に向けて魔法は撃たない。信じてもらえるとは思っていないが」
「いやいや、信じるよ。だって憲兵と僕とラファエルに、君は魔法を使わなかったもん。ぶっ放してもおかしくない状況がたくさんあったのにさ、君は戦う素振りすら見せなかったんだ。もともと戦いが好きな性分じゃないんだね」
そうなんだろうか。ずっと戦ってきたから、もうわからなくなっている。
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