第4話   ラファエル邸

 私はあれよと言う間に空間のねじれに吸い込まれ、顔を洗ったときの両目に水がたっぷり入ってしまったあの景色が何度も視界を占めて、思わずぎゅっと目を閉じた。


 辺りの空気の雰囲気が変わったのを、肌で感じた。上質なお香の匂いもする。そして、また聞き覚えのない男性の声もした。


「お手柄だ、ベネット!」


 とてつもない近距離から聞こえた。


 恐る恐る目を開けてみると、とんでもない至近距離に、筋肉隆々の半裸の上半身が!


 言葉にならない悲鳴が上がった。逃げようとしたら両肩がガタガタと壁にぶつかった。


 こ、この狭さは何なんだ!? 物置か?


 半裸の大男は、シャツ一枚をラフに羽織っているだけの無防備な格好で、堂々と私の前を塞いでいる。背がやたら高いヤツで、私が見上げてみても割れたアゴと、青々とした剃り跡しか見えない。ご尊顔が確認できないのだ。


 あ、大男の後ろにベネットが、窮屈そうにしながら立っていた。


 なんなのだ、ここは。


 魔法を放って護身に回ることも考えたが、今日は家を焼いたばかりで、頭部にタンコブまでできた衝撃を思い出し、変な話だが冷静になれた。


 三人がぎゅうぎゅうに詰まっている小部屋……私はまだ両腕を縛られているし、ただただ意味不明である。


 私の真正面にいる大男の、大胸筋の盛り上がりが視界のほとんどを埋めていて、周囲の様子がまるでわからない。


「お前が森から現れた魔女だな! よく来てくれた。この狭い部屋は、うちのベネットが作った。魔法も魔力も遠くに移動させる部屋、つまりこの部屋に入れば、誰も魔法が使えなくなると言う代物だ。俺は魔法とか魔力がないから、全くわからないがな! あーっはっはっは!」


「はぁ……」


「単刀直入に尋ねよう! 我々侯爵家一族に忠誠を誓い、その命尽きるまで我々と共に、国の繁栄と安寧を願い、務めようではないか!」


 なんだろう、私たぶん、この人苦手だ。いきなり瞬間移動させられて、いきなり目の前にぎゅうぎゅう詰めに接近されて、忠誠を誓えだなんて、普通に考えて「はい!」なんて答える人がいるだろうか?


 よっぽど頭が単細胞な人間か、もしくは事前にカンニングしていて、どんな答えを出せば首をはねられないか理解していない限り、即答できないだろう。


「わかりました」


 例えば、この私のように。


 大胸筋男は、この狭いのに筋肉をアピールするようなポーズをとってみせた。


「俺は侯爵家嫡男、ラファエル・ユリシエール・ボルゾンだ! 今日からよろしく!」


「よろしく……」


 変な人間だけど、反抗さえしなければ、とりあえずはこの狭い室内で危害を加えられる事は、無いようだ。


 兄に復讐できれば、後はどうだって構わない。兄が帰ってきてくれることだけが、私の心を支える全てだったのだから。


「僕はベネットだよ」


 ラファエルの大きな上腕二頭筋と壁の隙間から、ベネットが挙手した片手をのぞかせた。


「知っている」


 さっきからタメ口を効いてしまっているが、彼らに気にしている様子はなかった。


「ほんとはもっと大きな箱が作りたかったんだけど、大きな箱の中で暴れられると捕まえるのが大変になるからさ、狭いままでもいっかなーと思って、そしたらこんなことになりました」


 魔法が使えないラファエルまで部屋にいるせいだろう。とりあえず同調してやるしかなかった。この距離感の狂っている狭い部屋から、早く出してもらうためにも。


 魔法が使えず縛られているというのに、自分が驚くほど冷静でいるのが、なんだか、これではいけないのではないかと思ったけれど、他にどうしろと……私の魔法が本当に使えなくなっているのか、ちょっと試してみたい気持ちがうずいた。ラファエルとベネットの背後に、扉がある。開けてしまおう……ん、びくともしない。


 これで扉が開いたならば、この大きな筋肉質の男ごと、ベネットが真後ろにドテンと倒れただろう。ちょっと見てみたかった。


 ベネットは紳士に扉を開けてくれた。ラファエルは……まずこのでかい男が出てくれないと、私も外に出られない。


「ラファエルー、彼女が出られないってさー」


「お、そうか! ここを通りたくば俺を倒して行け!」


「え~? またまた、そういう冗談ばっかり言うからモテないんだよー。君はもう小さい男の子じゃないんだからさ」


 ラファエルが小さい男の子である感覚のままならば、狭い部屋にもわくわくしながら一緒に入ってしまったんだとしても、まあ納得してやる。


 ベネットに大きな鞄のごとくベルトを引っ張られながら、ようやく私の視界から大男の大胸筋が遠ざかっていった。妙な圧迫感がなくなっただけで、呼吸まで楽になった気がする。


 ……私も、彼らに続いて小部屋の外に出ても、いいのだろうか? 兄以外の誰かの家に入るのは、本当に久しぶりだ。勝手がわからない……。


 靴は……脱がなくて良さそうだな。こんなにふわふわの絨毯を、土足で踏んでいいのだろうか。掃除するときどうするつもりなんだろう。


 さっきまで我々が入っていた小部屋は、この部屋にドンと置かれただけの、細長い木箱だった。


「ああ狭かった! ストレッチが存分にできる空間こそが、生きる上で最も重要視されるべきである!」


「諸説あるよね」


 この二人は仲が良いのか、互いの会話を聞いていないだけなのか。


 改めて部屋を、一瞥してみる。たぶん金持ちの屋敷の一室なんだろう、丈夫そうな壁や天井には無駄に豪奢な装飾や彫り物がされていた。家具らしき物は、なぜか見当たらない。金持ちとは、こういうものなんだろうか?


 いろいろなポーズを決めながら、肩の関節を伸ばしているラファエル。人間はそんな動きまでできるのかと、自分の運動不足を実感させられる。ん……? ラファエルの顔、兄にそっくりだ……。


「ん!? どうした魔女よ! 悪いが俺には婚約者がいる!」


「なっ、己惚れるな。お前の顔が知り合いに似ていただけだ」


「なんと! では結婚するならそいつにしろ!」


 人の心の傷を全力で踏み抜いて大穴を開けてくるな!!


 はぁ、なんか精神的にドッと疲れたぞ……。なんなのだ、ここは。ここでおとなしくしていれば、本当に兄のもとへ運んでもらえるのだろうな。


 それとも、人任せにせず旅を続けていたほうが、賢明だっただろうか。あ~もうわからない~……。


「ラファエル、彼女どう? 合格できそ?」


「もちろんだ! パーフェクツ! 会って早々俺に惚れるとは見る目がある! 合格だ!」


 合格した……。


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